私の生活3本目の柱「旅行」への復帰を果たして_10

ガダルカナルとラバウルで歴史と人々の優しさに触れて

公開日:2020/06/09

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2016年、C型肝炎を克服してわずか21日後に脳出血になったharumatiさん。リハビリを重ね、2019年12月から約2か月間のクルーズ旅行に挑戦してきました。今回は、ガダルカナル島とラバウルを巡る、南国の島の旅行記です。

現地の踊りを踊る青年

無知を恥じながら

ガダルカナル島 ホニアラ地元の暮らしの一端
ガダルカナル島 ホニアラ地元の暮らしの一端

第103回ピースボートの旅もいよいよ最終盤。残るは、南太平洋の二つの島「ガダルカナル」と「ラバウル」です。今回、その二つの島を訪れたときのことを書こうとして、はたと行き詰まりました。

「ガダルカナルって国名? それとも??」
「ラバウルは?」

今更ながらですが、調べてみました。「ガダルカナル」は、ソロモン諸島にある100余の島の一つであり、首都「ホニアラ」がある島の名前。「ラバウル」は、パプアニューギニア独立国にある都市の名前。そして、ソロモン諸島は1978年にイギリスから、パプアニューギニア独立国は1975年にオーストラリアから、独立したイギリス連邦の加盟国だそうです。

ソロモン諸島、パプアニューギニアは、以前このシリーズでお伝えしたフランス領ニューカレドニア、バヌアツとともに、「メラネシア」と呼ばれるオセアニアの海洋部にあり、何万年も前から人が住んでいたそうです。少なくとも2、3千年前からは、高地での農耕や、沿岸地での養豚、漁、製陶などが行われ、多様な部族が、各島各村ごとに異なる多彩で独特な文化を持ち、現在に至るまで続いているそうです。

そんな先住民の意志とは何ら関係なく、第二次世界大戦中の1942年から終戦までの3年間、日本軍と連合軍との激戦地となった後、連合国からの独立という形で、初めて統一国家になったそうです。

 

ガダルカナル島ホニアラにあるカカボナ村訪問

ツアーで訪れたカカボナ村。入り口での歓迎の儀式
ツアーで訪れたカカボナ村。入り口での歓迎の儀式

ここでの公用語は英語とピジン語。各部族の言語と英語が混ざってできたのがピジン語で、これが部族間の共通語となっているそうです。英語に近い単語が多く、例えば「Tengkyu tru. テンキュー・トゥルー」=「Thank you very much.」、「Apinun.アピヌーン」=「Good Afternoon」、「Mi laik kaikai banana.ミー・ライク・カイカイ・バナナ=「I want to eat Banana」という具合です。

オプショナルツアーには、全然参加していなかった私ですが、さすがに2000m級の険しい熱帯雨林と火山に覆われているガダルカナル島では、自由行動は無理だと判断して、首都ホニアラにある「カカボナ村」訪問のツアーに参加しました。

うれしいことに、カカボナ村は観光用に作られた村ではなく、普通に現地の人が生活している村でした。多少の脚色はあるとしても、普段もこれに近い生活をしているのだろうという様子を見せてもらうことができました。

バナナの葉で葺(ふ)いた屋根、土間での調理。料理は、すべて丸太をくり抜いた大きな容器に、バナナの葉を敷き、その上に熱した石を置き、材料を蒸し焼きにするというものでした。例えば、サツマイモ・タロイモ・キャッサバ・バナナなどの食材を置き、またその上にバナナの葉・石を重ねて蒸し焼きにしたものでした。油も塩も使わず健康的。一人一人に振る舞ってくれました。手も洗わず、素手で食べることが、ごく自然に感じられました。

バナナの葉で屋根を作る青年
バナナの葉で屋根を作る青年
料理はすべて熱した石で蒸し焼きにしたもの
料理はすべて熱した石で蒸し焼きにしたもの
石で焼いたサツマイモを振る舞ってもらった
石で焼いたサツマイモを振る舞ってもらった

最後は交流会。現地の人も一緒になって炭坑節を踊りました。それから現地の女性が「ウサギとカメ」を日本語で歌ってくれました。(なぜ炭坑節? なぜウサギとカメ? 疑問は残りましたが……)。次は、おばさま達に大ウケの地元青年によるダンス。自給自足の生活の中で鍛えられた体は見事に引き締まり、動きが美しいのです。最後に村長さんからご挨拶。スコールに降られて、急いでぬかるんだ地面を避けながらバスに戻り、これぞ熱帯雨林の村といった感じのカカボナ村の訪問が終わりました。残念ながら、ツアーではピジン語を使うチャンスはありませんでした。

現地の踊りを踊る青年
現地の踊りを踊る青年

 

パプアニューギニアのラウバルを訪れて

いよいよ最後の寄港地ラバウルが見えてきた
いよいよ最後の寄港地ラバウルが見えてきた
ジャングルを背景に町らしきものが
ジャングルを背景に町らしきものが

脳出血発症後、決意して出掛けた初めての船旅。ガダルカナルもラバウルも、まだたくさんの遺骨が土に埋もれたままで、訪れるべき戦跡がたくさんあることはよくよくわかっていたのですが、その現実に向き合う勇気は持てませんでした。また戦跡はジャングルの中にあり、ツアーでしか行けません。そのため、自由行動で近くのマーケットに行くことを選びました。

着岸地点からおよそ1kmの所に、地元の人が行くマーケットがあると聞き、1kmぐらいなら歩けるだろうと、出掛けました。あにはからんや、ここは熱帯。しかも沿岸部には、日避けになるような大木もなく、もちろん途中で休憩できるようなベンチもありません。10分も歩かないうちに、早くも暑さに負けて疲れ果ててしまいました。疲れたときの常で、夫の腕にすがりつくようにしながら歩き、何とか到着。それは、まさに地元の人による地元の人のためのマーケット。いきなり好寄心いっぱいになり、主に、果物を売っている辺りをウロウロしました。

地元の人による地元の人のためのマーケット
地元の人による地元の人のためのマーケット

みなさんにこりともせず、物珍しそうにジロジロとこちらを見てきます。そんな視線にもめげずに、知らないものがあったら「What is this?」と聞きまくりました。結構英語が通じます。その中で珍しかったのが「ビートルナッツ」。白い粉とセットで売られています。これは、ヤシ科の植物の果実で、一緒に売られている「カンパン」と呼ばれる珊瑚を粉にしたものと一緒に口に入れて噛むのだそう。やがて口の中は真っ赤に染まり、軽い酩酊(めいてい)感が得られる嗜好品とのこと。「Try it?」と言われましたが、「No, No,No」と断りました。現地では、子ども大人を問わず噛むそうです。地面のあちこちが血を吐いたように染まっていたのは、これだったのです。

バナナが、20本ほどもの大きな房で売られているのが、何とも魅力的に見えました。1房が日本円にして100円もしないので、買わない手はないなと思い、何日ぐらいで黄色くなり、食べられるようになるのか尋ねてみました。「In 3days」と言われましたが、本当かなあ。とても3日で食べ頃になるようには見えないけれど……。日本に着くまで後9日。もし黄色くならなければ、日本入国時に捨てるしかないけれど、まあ、100円ぐらいのことだしと思い、バナナを買って船に持ち帰ることにしました。

バナナ・マンゴー・ランブータンなどのフルーツが激安
バナナ・マンゴー・ランブータンなどのフルーツが激安

昼ご飯を船で食べようと、帰路に就きましたが、もうフラフラで、ランチタイムに間に合うようには歩けませんでした。仕方なく、船室のベッドとベッドの間にスーツケースを置いて食卓代わりにし、バヌアツのスーパーで現地通貨を使い切るために買っていた、クラッカー、チーズ、買ったばかりのマンゴー、日本から持ってきていた煎餅、紅茶などで、昼食を済ませました。

たった1km先のマーケットへ行ってきただけでクタクタ。ランチの時間に遅れて、部屋でランチ
たった1km先のマーケットへ行ってきただけでクタクタ。ランチの時間に遅れて、部屋でランチ

食べると、もう一度外へ行ってみようという元気が出ました。というのも、ここでも現地通貨を使い切りたかったのと、ちょっと素敵なものを見つけていたからです。それは、現地の人なら誰もが持っている「ビルム」(子宮という意味)。ビルムとは、ショッピングバッグから赤ちゃんのゆりかごにまで応用できる、手編みの袋のことです。

マーケットに行くまでの道端で、そのビルムを売っている所がいくつもあるのを見付けていました。オレンジや青、赤や緑の糸で細かく模様を編み込んでいるものから無地のものまで。大きさもさまざまです。模様を編み込んだものは、手持ちの現地通貨ではとても買えるような値段ではありません。どうしたものかと戸惑っていると、元気のいい3姉妹が、生成りの単色の物を手にして、口々に「For your husband.」と、大ぶりなものを薦めてくれました。夫が斜めがけしてみるとピッタリ。お母さんが作ったものを姉妹で売っているとのことでした。

バナナの店(?)とビルムの店(?)で、それぞれ一緒に写真を撮らせてもらったのですが、どちらも初対面の私たちとの距離の近いこと! もちろんポーズを取ってもらうようになどお願いしていないのに、なかなか様になっています。

美人3姉妹。人懐っこく、私に添えられた手に優しさがにじみ出ている
美人3姉妹。人懐っこく、私に添えられた手に優しさがにじみ出ている

そして、ふと気付きました。今回のオセアニアの旅行中、一度もスリに気を付けるように言われたこともなく、物乞いする人に出会ったこともなかったということに。ましてや、押し売りや、値段をふっかけられたこともありませんでした。かつて、ヨーロッパのツアーでは、集合のたびに「スリに気を付けてください」と言われてきました。かつて、アジアのある島では、押し売りに付きまとわれたり、値段をふっかけられたりもしました。もしかして、オセアニアの人たちは、お金に対する価値観が私たちとは少し違うのかもしれません。

自然と共生する生活を大切にする姿勢と合わせ、アフターコロナの新しい世界を考える上での大きなヒントをもらったような気がします。

着岸ターミナルで見送りのダンス
着岸ターミナルで見送りのダンス

次回は、船内生活について書いてみたいと思います。

 

 

harumati

定年退職・年金生活者。45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から1か月もせず、今度は脳出血に襲われました。1年半の闘病、リハビリ生活後、2018年、旅行・ボランティア・夏休みの娘母子とのプチ同居を3本柱にした、悠々自適のリタイア生活を取り戻すべく仕切り直して再出発しました。

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