50代は「第二の思春期」もやもやして当たり前~気が楽になる3つの視点
2025.03.15
公開日:2025年03月15日
ライフシフト・ジャパン 河野純子さんインタビュー
幸せな60代を過ごすために…50代でやっておくべきこと、手放していいこと
元「とらばーゆ」編集長でライフシフト・ジャパン取締役CMOの河野純子さんが自身の豊かな半生と多岐にわたる取材を基に『60歳の迎え方』を上梓。人生100年時代を見据え、50代から見つめ直すべき働き方や暮らし方の秘訣をお聞きしました。
52歳の転機、雇われる働き方を定年まで続ける?
「人生100年時代の新しいライフデザイン」を提案している、ライフシフト研究者の河野純子さん。「50代はかなりジタバタしていましたが、60歳を迎えた今、ようやく自分が本当にありたい姿にたどり着きました」と目を輝かせます。
そんな河野さんの、人生最大の「ライフシフトの旅」が始まったのが、52歳のとき。
リクルートで『週刊住宅情報』(現SUUMO)副編集長、『とらばーゆ』編集長、女性のライフ&キャリア研究チーム長(兼務)を経て、44歳で住友商事に転身。そこから8年。会社員として働き続けることに限界を感じ始めた頃のことでした。
当時、住友商事で幼児向けのグローバル教育事業の立ち上げに、全力を注いでいた河野さん。本部のトップが変わったことにより、急きょ事業にストップがかかり、4年かけて築き上げた新規事業を売却せざるを得なくなったのです。
「そのときの私は、『この仕事をするために生きてきたんだ!』と思えるぐらい、教育事業に熱中していたので、かなりショックを受けて。雇われる働き方をしている限り、こういう納得いかないことが起こってしまう……。会社員という働き方に限界を感じ、そろそろ卒業のタイミングなのかも、と思い始めました」
ただ、会社を辞めたとしても、この先、何をやりたいのかがわからない。世の中を良くするような新しい事業を起こしたいと思いつつも、明確に「これだ!」というものを見つけられず、半年ほどグズグズと悩んでいた、と言います。
「会社には優秀な人材もいますし、資金力もあります。一から新しい事業を始めるなら、会社に居た方が実現しやすいとも思いました。実際、自営業をしている夫からも『辞めるのはもったいなくない?』と言われたりして。
これまでの経験上、一つの事業を立ち上げて軌道に乗せるまでに5年ぐらいかかります。そのとき私は、57歳。そこから外に飛び出すのはハードルが高くなりそうと思いました」
53歳で退職、大学時代に断念した「海外留学」へ
揺れ動く河野さんを決心へと導いたのが、書籍『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著/東洋経済新報社刊)。
「この本を読んだとき、『ああ、今や人生は100年になったんだ』と、新たな気付きが生まれて。本に書かれているように、もし85歳まで働くとしたら、あと30年以上も残されている。だったら、今すぐやりたいことを決めずに、“学ぶこと”から始めればいいと思ったんです。そう考えたら、会社を飛び出すことが不安じゃなくなりました」
9年勤めた住友商事を53歳で退職。2、3年は新たなことを学びながら、「これだ!」と情熱を注げるものを探そうと決めた河野さん。最初に選んだライフシフトの旅先は、大学時代に断念した「語学留学」でした。
まずはフィリピンで3週間、英語のマンツーマンレッスンを受けた後、アメリカ・オレゴン州のポートランドへ。3か月間、滞在しました。
現地の人たちの自然と共生するサスティナブルな暮らしと、ゆったりと流れゆく日常は、それまで分刻みのスケジュールで生きてきた河野さんに「本当の豊かさとは何か」という大切な問いをプレゼントしてくれたそう。語学を学ぶ以上に、人生観が広がる体験となったと語ります。
帰国後は、「ソーシャルイノベーション(社会課題を解決するための事業づくり)を学ぶため、慶応義塾大学大学院へ。そこで「人生100年時代のライフデザイン」という研究テーマと出合い、深めることに。
と同時に、リクルート勤務時代の上司・先輩が立ち上げた「ライフシフト・ジャパン」(人生設計の支援会社)に参加。自分らしい生き方を始めた、多くのライフシフト実践者にインタビューを重ねていきました。
「50代から自分のやりたいことを始めた人たちは、“子どもの頃からの夢”や“人生でやり残していること”を思い返し、そこに向かって生き生きとチャレンジしていました。じゃあ、私にとってそれは何だろうと振り返ったとき、浮かんできたのが『インテリア』だったのです」
向き合わないと後悔する!大好きなインテリアを学びに
「今こそちゃんと向き合わないと後悔する」と感じた河野さんは、大学院修了後にインテリアの専門学校「町田ひろこアカデミー」に入学。2年間の新たな学びが始まりました。
「私は手を動かすのがすごく好きで、図面を引いている瞬間も楽しくてたまりませんでした。授業で『3つの異なるテイストでインテリアデザインの提案をする』というものがあったのですが、私は性格的に自分の好みのテイストしかできないと思っていたんですね。でも、実際にやってみたら、どれも良い感じにできて。これなら仕事として、お客様の好みに合った提案もできると自信がつきました」
学びの良いところは、その分野への向き・不向きを実感できることだと河野さん。
「学んでみて自分に向いていると感じられるのも収穫ですし、逆に違うなと感じても、それもまた学びになります。だから無駄なことは何一つないんですよね」
1年生の修了時には最優秀生徒に選ばれるなど、インテリアへの適性を感じた河野さんは、その道のプロを目指そうと進路を探り始めます。インテリア関連の求人募集を探したり、雑誌編集長の経験を生かして「インテリア雑誌に潜り込む」ことも考えたりしたそう。
「正社員、アルバイト……いろんな求人情報を見てもピンと来るものがなくて。私って心底、自分がやりたいことしかできないタイプなんだとよくわかりました(笑)」
とはいえ、確固たる道筋は依然、見つからないまま。退職して4年が経っても「これだ!」と思えるものが見出せていないことに、焦りを感じていたと言います。
がん発覚をきっかけに、60歳の呪縛から解放されて
「目前に迫る『60歳』という年齢も心に重くのしかかっていて。60歳は、多くの人が定年を迎える年。急に高齢者のイメージがよぎって、私にとっては恐怖でしかありませんでした。
会社員時代は、社名や肩書きとともに自己紹介ができていましたが、その枠組みを離れた今、何者とも語れない自分がぐらついているように感じてしまう。だから余計に『60歳までに何者かにならねば!』と焦っていたのかもしれません」
悶々とする日々が続く中、予想だにしない出来事が。人間ドッグで食道がんが見つかったのです。幸い0期でごく初期のがん。30分ほどの内視鏡治療で切除可能とのことで、冷静に受け止めていたそうですが……。
「夫がすごく心配してくれて、こんなにも自分を心配してくれる人がいるって本当にありがたいことだなって思ったんです。しかも、コロナ禍だったため、入院中の5日間は夫の付き添いもなく、完全に一人きり。図らずも自分と深く向き合う、『一人合宿』のような状態になりました。
そのときに強く思ったのは、『これからの人生、仕事だけじゃなく、夫との時間を大切にしていきたい』ということ。夫婦の暮らしを楽しむことこそ、私のやりたいことだと気付きました。その頃からですね、『60歳までに何者かにならねば!』というプレッシャーから解放されたのは」
人生後半はいくつもの峰がつらなる八ヶ岳連峰スタイルで
それからは2人の暮らしを楽しむべく、自然豊かな三浦半島に仕事場を兼ねたセカンドハウスを建て、東京との二拠点生活をスタート。
「最初は、個人的に引き受けていた仕事を全部手放して、インテリアの道一本で行こうと考えていたんです。なぜなら、長年、会社員として目の前の仕事に100%の力を注ぐ働き方をしてきたので、一つのことに情熱を傾けないとプロとして極められないと思っていたから。
でも、一つに絞ることは、他の選択肢を捨てるということ。年齢を重ねると、自分にとって大切なことも増えていくし、人生でやり残している未練もたくさんあります。それに変化の激しい今の時代、一つの仕事・収入に頼るのはリスクがある。だから、やりたいことは一つに絞らなくていいと思ったのです」
その思いを強固にしてくれたのが、「人生100年時代のライフデザインで目指すのは、富士山型の一山主義ではなく、いくつもの峰がつらなる八ヶ岳型連峰主義」という言葉。
リクルート時代の先輩でもあり、東京都で義務教育初の民間校長となった藤原和博さんが、書籍やセミナーなどで常々話されている言葉でした。
自分の人生も、いくつもの峰がつらなる山脈のように――。インテリアという一つの山にこだわらず、どの仕事も山々を縦走するかのように楽しんでいけばいい。60歳を迎え、ようやく自分らしい生き方にたどり着いたと語ります。
最近、増えてきたインテリアコーディネートの案件は、専門家の力を借りながら経験不足をカバー。住まい関連のNPO法人で河野さんがマーケティングのアドバイスを行う代わりに、インテリアデザインのプロから指導してもらうなど、“知識交換”をしながらスキルアップを図っていると言います。
「インテリアの仕事がいずれライフシフトの研究と融合していくかもしれませんし、先のことはまだわかりません。今は目の前に広がる山脈を楽しみながら登っていけたら」
まずはパートナーや友人が応援し合える相手かの見直しを
最後に、自分らしい生き方へとライフシフトしたい50代に向けて、アドバイスを聞いてみると……。
「人生を大きく変えていくのは、自分一人だけでは難しいものです。いろんな人の力を借りることも大切ですし、自分の行く道を互いに応援し合える『旅の仲間』が必要です。
最も身近にいるパートナーが旅の仲間であったなら、幸運なことですが、残念ながらそうでない場合もあります。一番近い存在だけに、道を阻まれる可能性もなくはありません。
今目の前にいる相手は、自分を応援してくれる人なのか?逆に自分は相手を応援したいと思えるか?パートナーとの関係を続けるかどうかも含めて、改めて見直してみるのは大切なことかもしれません」
また、心の中からふと湧いてくる「モヤモヤ」を見逃さないことも大事だと河野さん。
「自分らしく居られないときに、違和感というモヤモヤが浮かび上がるものです。そうした感情が出てきたら蓋をせずに、『変わるチャンスが来た!』と歓迎しましょう。モヤモヤは自分の本当の望みを理解し、ライフシフトへの扉を開くカギになりますから」
河野さんの新刊『60歳の迎え方 定年後の仕事と暮らし』
60歳は人生の転換点。これからの40年は、楽しく働く、自由に生きる。
60歳からの人生は、もっと自由で楽しいものに。元「とらばーゆ」編集長でライフシフト・ジャパン取締役CMOが、人生100年時代に必要な「雇われない働き方」や幸福度を上げる暮らし方をリアルにひもといた一冊。
健康、仕事、家族、住まい……自分を、人とのつながりを見つめ直すことで、自分らしい60歳を迎えるための具体的なステップが見えてきます。
取材・文 伯耆原良子