突然遠距離介護が始まった一人暮らし女性の体験記#3
もう限界…50代で介護離職!介護中にやるべきこと、やらない方がいいこと
もう限界…50代で介護離職!介護中にやるべきこと、やらない方がいいこと
更新日:2025年09月03日
公開日:2025年08月19日
「家族で助け合って暮らす」聞こえはいいけれど…
弟は退院し、一旦、実家で暮らすことになりました。ですが、障がいのある弟には暮らしにくい環境です。
そこで今後のプランとして、両親から「バリアフリーの住宅を購入して、家族みんなで暮らしたらどうだろう」と提案が。言葉だけ聞けばあたたかな未来に聞こえますが、現実はそう簡単なものではありません。
地方の一軒家は、思っていた以上に管理が大変。除雪やごみ出し、日々の買い物ひとつ取っても車がなければ成り立ちません。都会暮らしが長く、長年ペーパードライバーの私には、負担が大きく感じられます。
あやふやな状況の中で中古物件の下見を重ねながら、「人生の拠点をここに変える覚悟が自分にあるのか」と、自問自答ばかりの日々でした。
普通の会社は難しくても…弟に残された“働くチャンス”
弟が以前勤めていた職場には障害者雇用の枠がなく、一人暮らしも難しいため、やむを得ず退職を選択しました。では、地元でどんな就労の道があるのか──調べて初めて 「就労継続支援A型」「B型」という制度の存在を知りました。
A型・B型事業所とは?
A型事業所
雇用契約あり(最低賃金保証、おおよそ月8万円以上目安・社会保険加入も可)
B型事業所
雇用契約なし(成果に応じた工賃、月1~2万円程度が相場)
弟はまだ働き盛りの40代。家に引きこもらずに、できる限り自立した生活を送ってほしい――両親は、就労先をあきらめずに探し続けました。
さらに調べると「バスでの送迎サービスがある」「昼食にお弁当が出る(有料)」など、家族の負担を減らすためのさまざまな工夫があることもわかりました。
ただ、実家の近くにはB型事業所しかありません。しかも、そこもすでに募集はなく、待ちの状態です。
希望通りの就労先も見つからず、先行きの見えなさに家中が重苦しい空気に包まれました。
突然、離職を決断…「もう限界」生活の糧を失って
帰省と仕事の往復を続けるうち、徐々に私の心も体力もすり減っていきました。
実家での弟の介助は想像以上に大変で、高齢の親が私を頼りにしているのひしひしと伝わります。何とかしてあげたい気持ちと、自分にできるのだろうかという不安が交差し、自分を責める気持ちで、都心に帰る新幹線の中ではぐったり。次第に気持ちの切り替えができなくなり、思い詰めるようになっていきました。
そんなある日、職場でのちょっとしたストレスをきっかけに、何もかもが煩わしくなり、「もう仕事を辞めよう」「もう疲れた、休みたい」と突発的に退職を決めてしまったのです。
事情を知り、親身に相談にのってくれていた上司は「リモートで続けてもいい」と提案してくれましたが、「これ以上、誰かに迷惑をかけるわけにはいかない」と思い込んで甘えることができませんでした。
そのまま当面の荷物を持って、何も考えず、実家へ――。
友人が夫婦別居を始めたため、仮住まいとしてわが家を提供。家賃と光熱費は彼女が負担し、急いで家具などを処分する必要がなかったのが助かりました。
当時はあれが精いっぱいだったのですが、介護離職は見通しがつかないうちは絶対に避けるべき、と今は心からそう思います。
先に私が壊れそう… 自宅介助で心身がすり減った瞬間
「自分さえ我慢すればすべて丸く収まる」と思い詰めた私が選んだのは、介護離職。
私は、長期の介護が必要になると思い詰めてしまい、会社制度をうまく使うことができませんでした。とりあえず失業保険の申請をして、実家に戻り弟の介助中心の毎日が始まりました。
最初の頃は、体の大きな弟の介助は並大抵ではなく、服を着せる、食事や入浴の補助、階段の上り下りやトイレ、通院の付き添いなど、体力の消耗が激しいサポートが多くありました。
何よりしんどいのが、下(しも)の世話。杖やサポーターがあれば、ゆっくりではあるけれど弟はなんとか自力で歩けるのですが、病院とは違い、バイアフリーではない実家では、トイレに間に合わず粗相をしてしまうことが何度もありました。
下の世話はお互いにとても負担で、心がすり減ります。弟も申し訳なさそうにしていて、その様子を見るのが何よりつらくて。「私何やってるんだろう」「一生こんなことして生きていくのかな」……夜考えると不安が止まらず、一人泣きながら寝る日々。
リモートの副業で何とかしようにも、心身にも時間的にも余裕がなく、生活費には遠く及ばないのが現実でした。
退院から9か月後、親戚の助けで見えた小さな光
そうこうしながら退院から9か月ほどが経ち、弟はなんとか自力で入浴や身支度ができるほどまで回復しました。でも、仕事や住まい、次のステップが決まりません。
そんなとき、親戚の助けがきっかけで、わが家に転機が訪れました。
「福祉系の仕事をしている知人に聞いたら、この地区なら障がい者向けの共同住宅に空きが出るみたいだよ」その地区は実家から車で40分ほどの場所。しかも希望していたA型事業所の送迎対象エリアです。
さっそく、両親と弟と下見に行くと、そこは県営住宅の一部を、身体障がい者用にバリアフリー対応していた一室でした。お風呂もトイレも、フラットで引き戸になっていて使いやすそうです。
また、住宅内には食堂室という共有スペースがあり、平日は朝食と夕食をサポーターの方が来て作ってくれるとのこと。ほか、皿を洗う、洗濯物を干す、など障がいによって難しい日常作業のサポートもしてくれます。
ここなら、ある程度自立して一人暮らしに近いかたちで過ごしながら、必要なサポートが受けられる――。さっそくA型事業所に相談してみると、こちらも1か月後に空きが出ることがわかりました。
この共同住宅は、家賃と食費を合わせて約7万円と破格の価格で、弟の収入や年金から費用を賄えます。
弟は、いきなり一人で暮らすことに少し不安を感じているようでしたが、とはいえ今のままではいけないと思っているようで、「ここに暮らしてみるよ」とひと言。
そんなこんなで急展開を経て、退院から10か月後、弟の新生活がスタートしました。家族全員がようやく少しだけ「ほっと」できる安定を得た瞬間でした。
どうすれば損しない?地方×家族の介護で私が取った3つの行動
1.どんな制度があるか早めに相談・活用
ネットで下調べをした上で、自治体の福祉課や地域包括支援センターに相談を。就労支援、年金や保険、高額療養費、バリアフリー助成、生活支援など使えるものはすべて活用して。家族が全てを負担せず、サポートを得ての自立の道を探るのが先決です。
2.家族で、ひとりで抱え込まない
長期戦だからこそ、親戚や地域、支援団体との協力を。困ったときは早めに相談し、一人で背負い込まない環境づくりが重要です。弟が近所を散歩中、転んで立ち上がれなくなったときに近所の人がすぐに手助けしてくれたりと助けてもらうことが多々ありました。
3.介護離職後も「自分の時間」を忘れずに
Uターン支援やクラウドワークスなどを活用して、自宅でできる仕事を探しました。介助は体力勝負なので、スキマ時間にYouTubeでエクササイズしたり、ウォーキングもストレス解消におすすめです。介護が生活のすべてにならないよう、自分の気持ちや時間も大切に。
次回予告
介護の中で改めて見えてきた「私自身のこれから」や再出発への思いなど、次回も実体験を交えてお伝えします。
※本記事はあくまで個人の体験談であり、全ての人に当てはまるものではありません。また、各種制度は変更される可能性があるため、実際の利用時は必ず最新情報をご確認ください。




