【シリーズ|彼女の生き様】山田詠美#4
愛情あふれる家庭ゆえの息苦しさが、原動力にもなって
愛情あふれる家庭ゆえの息苦しさが、原動力にもなって
公開日:2023年11月03日
愛情あふれる家庭、だからこそ抱えた悩み
――2022年1月に父を、11月に母を亡くし、長女である山田さんは1年に2度も喪主を務めることになりました。2023年夏に発表した『時には父母のない子のように』という短編では、亡き父母への追想が綴られています。
我が家はごく普通のサラリーマン家庭で、私は転勤族の子として地方に移り住み、高校2年まで社宅暮らしでした。
友達に聞くと、親のせいで家庭に夢を見ることができなくなったという人もけっこういるんです。けれど、私は穏やかな家庭でぬくぬく育ち、うちに逃げ込めば、無条件に愛してくれる父と母がいた。幼いときから読書体験を与えてくれたのは両親だったし、20代の頃、婚約していたボーイフレンドと彼の子どもを連れて帰省したときも、家族は温かく迎えてくれました。
時にはその愛情の中でちょっと息が詰まることもあり、今思えば贅沢な悩みを抱えていたのですね。それは過干渉ということとは違うのですが、愛情あふれる両親を見ていると、この人たちは私たち姉妹の誰か一人でもいなくなったら生きていけるのだろうかと思ってしまって。妹たちはそんなこと考えなかったと思うけれど、私は相手の気持ちをくみ取り過ぎて苦しくなるというか、何か観念的にいろいろ考えちゃうタイプだったのね。
この人たちに私を失わせてはならない、そう決意した瞬間から、自分も不自由になってしまった。あの頃から続いていた恐ろしさをどうにか払拭しようとして、私は小説を書き続けている。そんな気がしてならないのです。

なかなか逝かない母と、泣き笑いで過ごした時間
――そんな両親が老いて病を得てからは、実家のある宇都宮で暮らす妹たちが献身的に介護を尽くしてくれたといいます。
うちの父はガンを抱えていたのですが、普通にお酒も飲んでいたし、日常生活に何の支障もなく元気に暮らしていました。でも、母は最後の2、3年はもう歩けなくなってしまい、私の顔を見ても記憶はあやふやだったと思います。
我が家は三姉妹で、妹の一人が介護士の免許を持っていて、自宅で両親の面倒を見てくれました。もちろん一人では抱えきれないので、私が金銭的にサポートし、隣に住むもう一人の妹も何かあればすぐ駆けつけてくれました。
妹たちはヘルパーさんに、何もわからないから教えてほしいという態度で接していて、私は実家に帰るたびに感心しちゃって。介護って、家族だけで抱え込まずに、困っていることはちゃんと言葉にして周囲に伝えることも大切なのだと思いました。
それに、老いていく親と向き合うことは、誰もが通る道。先の見えない介護は不安もつのるけれど、その不安って介護される側にも伝わってしまうんじゃないかと思うんです。だから、妹たちはいつも両親に明るく接していたし、私も実家に帰ったときはなるべく家族の気持ちが明るくなるように努めていましたね。
――父は2022年1月の終わりに倒れてまもなく他界。11月には妹から緊急連絡が入ります。山田さんは泣きたい衝動を何度かこらえながら、新幹線に飛び乗って、実家のある宇都宮へ。

でもね、妹から「母がもう危ないかもしれない」と言われて帰ったら、なかなか死なないのよ(笑)。私たちは楽しく見送りたいと願っていたので、母の好きな甘いものを連呼しました。「あんみつ!」「ようかん!」「あまなっとう!」「だいふく!」……と呼びかけると、そのたびに母は反応して、目をパチッと開けちゃうんですよ。「ママ、きっと食べたいんじゃない?」と言いながら、妹たちと泣き笑いしました。
結局、私はその日用事があったので東京に帰らなければならず、数日後に母が亡くなったという連絡を受けました。妹に「最期はどうだった?」と聞くと、「それがなかなか死なないから、みんなでくだらない冗談を言っていたら、ふと気が付いたときには亡くなっていてね」と。
でも、母としてはすごく幸せだったと思うの。みんなで笑いながら過ごしているところで、寂しくなく旅立ったのだから。
母はたぶん父が亡くなったことも知らないまま逝ったので、それも良かったと思っています。父は90歳、母は88歳まで長生きしてくれたし、同じ年に亡くなるなんてなかなかできないこと。うちの父と母はすごく固く結びついていたので、最期まで本当に幸せだったと思うのです。
――自身も60代を迎え、人生後半に入った山田さん。怒涛の若い頃を経て、これからは健康に、つつがなく過ごしていきたい、と話します。次回は、そんな山田さんの日常、50代からの結婚生活について伺います。
取材・文=歌代幸子 写真=林ひろし 構成=長倉志乃(ハルメクWEB)
【シリーズ|彼女の生き様】 山田詠美《全5回》
- "好奇の目・偏見にさらされても変わらずいられた理由
- 本当の孤独を引き受けたとき最初の一歩を踏み出せた
- 60代の恋愛観…結婚から新しく生まれる関係の築き方
- 愛情あふれる家庭ゆえの息苦しさが原動力にもなって
- 50代で出会い、再婚。大切にしているふたりのルール

山田 詠美
やまだ えいみ

1959(昭和34)年、東京生まれ。明治大学文学部中退。85年『ベッドタイムアイズ』で文藝賞を受賞しデビュー。87年に『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞、89年『風葬の教室』で平林たい子文学賞、91年『トラッシュ』で女流文学賞、96年『アニマル・ロジック』で泉鏡花文学賞、2000年『A2Z』で読売文学賞、05年『風味絶佳』で谷崎潤一郎賞、12年『ジェントルマン』で野間文芸賞、16年「生鮮てるてる坊主」で川端康成文学賞を受賞。近著に『私のことだま漂流記』『血も涙もある』、最新刊に『肌馬の系譜』。芥川賞の選考委員を2003年から務める。




