夫婦の絆って何?崩れるのなんて一瞬
サレ妻になんてなりたくない!56歳ルイコの場合
サレ妻になんてなりたくない!56歳ルイコの場合
公開日:2026年02月15日
「信頼で結婚した女」56歳ルイコ、揺るがなかったはずの関係が…

「サレ妻」という言葉はあっという間に認知されるようになった。「夫に不倫をされた妻」という意味だ。「サレ妻」には、そこはかとない被害者的響きと、一方でなぜかある種の「プライド」が漂う。
長年、不倫の取材をしているが、「夫に不倫をされた妻」に落ち度があるケースは少ない。「いい妻がいながら、なぜ」というほうが圧倒的に多いのだ。芸能人の不倫を見るまでもなく、どんなに美人妻だろうが糟糠の妻だろうが、不倫する男はするのだとしか言いようがない。
「この3年近く、ずっと鬱々と暮らしてきました。こんな性格じゃなかったし、こんな私じゃなかったはずなのに……」
表情を曇らせながらそう言うルイコさんは56歳。大学生時代の仲間だったリュウジさんと結婚して、30年も目前。
数年前の銀婚式となる結婚記念日には、独身時代、夫とデートを繰り返したイタリアンレストランで二人きりで祝杯をあげた。リーズナブルで古い店だが、店主夫婦が二人をいつでも歓迎してくれる。
「しゃれたレストランより、私たちらしい店で食事したい」とルイコさんが言い、二人きりで祝った。
バブル真っ盛りの学生時代。夫が人生の羅針盤に

「もともとは大学時代の同級生なんです、私たち。友達のまま卒業して、それぞれ別の会社に就職して……。卒業して3年ほどたった頃、仲間の一人が事故死したんですよね。それでみんなで集まったとき、帰る方向が一緒だったリュウジと『もう1杯いこうか』ということになり、そのまま私の部屋に彼が泊まって。学生時代からお互いに特別な思いをもっていたということを確認しあった感じですね」
それから付き合いが始まり、仲間にも祝ってもらいながら27歳のときに結婚した。だがルイコさん自身は「本当は結婚しなくてもよかった」という。
「学生時代はバブル真っ盛りで、私たちもどこか浮かれて過ごしてたんです。あの頃はアルバイトでも暮らしていけるような雰囲気だった。友達に連れられて知らないお店に行っても、帰り際には誰かが支払ってくれていたりして。若い女子というだけで奢ってもらえる。おかしな時代だったけど、よく朝まで遊んでいました。就職が決まった頃バブルが崩壊したんですが、それでもまだ余韻があった。入社してから地獄がやってきましたけど」
ルイコさんが就職した金融関係は、合併や統合を繰り返し、その過程で多くの人がリストラされていった。仲のよかった先輩は失職して、リストラされた上司が自殺したという出来事もあった。
「それでも私はなんとか生き残った。こうなったからには這い上がってやるという気持ちで仕事をしていました。リュウジはもともと堅実なところに就職したので、付き合っているときは私の働き方が無茶すぎるとよく言われました。でもこうやって働かないと生き残れないの、と返して。だから結婚なんか考えずに仕事をしていきたかったんです」
それでも結婚に踏み切ったのは、リュウジさんと一緒にいたかったから。穏やかで常にルイコさんのことを考えてくれる彼に、心を許したからだ。
「私は実母と性格が合わなくて、大学入学と同時に家を飛び出して一人暮らしを始めました。実家から大学には通える距離だったけど、母の過干渉に耐えられなかったから、父に頼んでアパートを借りて。母は『手塩にかけて育てた娘に裏切られた』と寝込んだそうです。でも母が私を愛していたのは、自分の思い通りになる存在を支配している快感に酔いたかったから。18歳でいい子をやめた私は、水商売などをしながら生活費を稼ぎました」
自立心だけは強かったと、ルイコさんは笑う。リュウジさんは、そんなルイコさんの心の澱のようなものを理解してくれる存在だった。
「彼は私のある種の羅針盤みたいな存在だった。この人がいれば行く先を間違えずにすむと思えたんです。手放してはいけない人。だから結婚に踏み切りました」
あの頃、SMAPの「夜空ノムコウ」が流行っていて、彼と二人で「僕たちは何かを信じてこれたかな」とよく口ずさんでいたとルイコさんは言う。そして「何かを信じられるような明日を作っていこうね」と誓い合った。完全失業率が史上最悪という暗い時代でもあったが、ルイコさんは彼と新しい人生を歩む決意を固めた。
夫への全幅の信頼が…まさか揺らぐときが来るとは

「彼に対しては、とにかく人間的な信頼感が強かった。甘い恋愛感情というものはあまりなかったかもしれないけど、最強の信頼はありました」
子どもを産むという選択肢も本来なら、彼女の人生にはなかったかもしれない。だがリュウジさんと生活していく中で「チームが欲しい」と思い始めた。幸い、30歳のときに妊娠、一人娘を産んだ。
「働き方も少し変わりましたね。もちろん仕事は好きだったし、もっとスキルも地位も上を目指したいとは思ったけど、前のようにガツガツ出世を探らなくなりました。子ども優先、家庭を楽しくするために仕事があるという考え方になっていった。うちは夫が、特別な時期を除いてはほぼ定時で帰れるから、育児は夫が主に担ってくれました」
それから紆余曲折はあったものの、一度も夫への信頼感が揺らぐことはないまま過ごしてきた。2年前のあの日までは……。




