これから!とがんばれるのは妻と人参ジュースのおかげ
2021.07.092021年07月09日
福岡の人気アナウンサー川上政行さん夫妻
夫の第二の人生どうする?妻が発揮する手腕と心意気
46歳、部長職、大学進学の子ども2人を持つ一家の大黒柱。そんな夫が第二の人生として独立したいと言ったら、あなたはどうするでしょうか。福岡を拠点に活躍するフリーアナウンサー・川上政行さんの妻、明子さんの選択は、チャレンジする人生でした。
「いざとなったら私が食べさせるわよ」の妻の言葉が後押しに
「東京の全国区で活躍していた人ならともかく、地方局のアナウンサーはいわば普通のサラリーマン。大学進学前の子ども2人を抱えていたし、そのタイミングで辞めないですよね」
テレビ時代、その姿を見ない日はないほど、お茶の間の顔として活躍し、64歳の今はラジオを中心に活躍するフリーアナウンサーの川上政行さんは、そう言って笑います。
川上さんのフリー転向は、他局からの誘いがあったからでした。でも求められたものとはいえ、視聴率が上がらなければ契約更新なしの何の保証もない立場。しかもアナウンサーという職業上、なかなか次の仕事も見つけにくい。
「“一緒にやってくれませんか”と言われてうれしかったのですが、基本的に怖がりなので、断りました。子どもたちもいるし、そんな勇気はなかったんです」
断ったからもうないだろう、と思ったそうですが、その2年後の2003年、また誘われることに。当時46歳。迷う川上さんの背中を押したのは、妻の明子さんでした。
「“何で受けないの?もったいない!”ってあっけらかんと言うんですよ。“解雇されたら、私がタクシー運転手になって食べさせるから”と。そこまで言ってもらえるなら、じゃあやろうって。妻に背中を押された……というより、背中をどつかれました(笑)」と川上さん。
「まだしゃべりたい」妻が見抜いた夫の思い
川上政行さんと明子さんは、放送局の同期として知り合ったそう。ラジオディレクターとして、政行さんを駆け出しの頃から見ていた明子さん。「単純にもったいない、って思ったんですよ。たぶん、まだしゃべりたい、だから管理職はつまらないんじゃないかなって」
明子さんが感じていた通り、川上さんは現場を離れ予算書など管理業務に追われる日々の中、「しゃべりたい」という思いに見ないふりをしていました。
「だから失敗したら、自分がタクシーの運転手やるか!って(笑)」(明子さん)
フリー転向後は順風満帆で進んだわけではなく、2年は視聴率低迷。クビが見えてきた3年目で、ライバル局との視聴率が逆転。その後は月曜~金曜まで、14~19時の生ワイドに加え、報道番組、選挙特番、ラジオなど、まさに面目躍如の活躍を続けました。
明子さんが川上さんの転機を後押ししたのは、これが最初ではありません。二人が出会ったのは宮崎放送。川上さんはそこで11年間局アナとして勤めますが、福岡県にホークス(当時は福岡ダイエーホークス)戦を中継するテレビ局が開局すると知り、プロ野球中継が夢だった川上さんは故郷を離れ、新天地での生活に夢を馳せることに。
とはいえ、迷いもあった川上さん。夢へのチャレンジを明子さんは、「いいよね! 福岡はデパートが多いし!」という名言で促し、家族での福岡行きが決まるのです。
新しい道を選んだことで、川上さんは、王貞治監督率いる福岡ソフトバンクホークスの日本シリーズ優勝に立ち合うという、アナウンサー冥利に尽きる経験も重ねていきました。
激務の放送局時代に培った「やってみればできる」
明子さん自身も、夫の背中を押してばかりいたわけではありません。結婚を機に仕事を辞めたものの、子育てをしながら塾講師をスタート。18年前に川上さんがアナウンサースクールを始めたいと言うと二つ返事で賛成し、運営から生徒の就職時の面接対策まで携わります。5年前からは自らが中心となって雑貨店も始めました。
「うちの家族はノリがいいんですよ。誰かが“こうしよう”と思うと、盛り上がる。“やったことないなー”“できるかなー”“でも面白そうだね”“じゃあ家族でやるか!”ってなるんです。そんなときにリーダーになって引っ張るのは、だいたい妻ですけどね」と川上さん。
周囲が感心するほどバイタリティーにあふれ、元気で前向きな明子さん。でも、最初からそうだったわけではないと言います。
「私は小さい頃から、リュウマチや甲状腺など病気がちでした。でも、就職した放送局は、ものすごい激務だったんです。現場でがんばっているうちに、だんだん強くなっていった感じです。自分は体が弱いし何もできないと思っていたのが、人間って意外と死なない、やってみればできるんだ!と変わったんです」
「やりたかったな」では終わらせない人生
「やってみればできる」がモットーの明子さん、もう一つの信念は「“やりたかったね”で終わるのではなく、“やったね”で終わりたい」というものです。
「もともと雑貨が好きで、旅先で雑貨店をめぐって好きなものを並べたお店をやりたかったんです。当時58歳で、夫は59歳。自分の仕事だけやっていれば老後もそこそこ暮らしていけるし、アナウンススクールも忙しかった。だけど、きっと今やらないともう一生できない。雑貨店やりたかったなーって、人生を終わりたくないと思ったんです」
そして、明子さんと川上さんの好きなものを詰め込んだ雑貨店「暮らし日と月」を開店。お店の経営は本当に大変と言います。「60歳を越えて何を今さら勉強するの? という感じですが、初めての商売に日々勉強です」と笑う明子さん。「やらない後悔より、やった後悔の方がずっといいですから」
「やってみればできる」精神で、夫と自分の人生を挑戦に満ちたものにしてきた明子さん。大変、でも楽しいし面白い。そんな夫婦の毎日に、私たちの人生を豊にするヒントがあるのではないでしょうか。
プロフィール
■かわかみ・まさゆき
アナウンサー、有限会社ハートリンク・福岡アナウンススクール代表取締役。TVQ九州放送・アナウンス部長兼スポーツ部長を経て、2003年からフリーに。現在はRKBラジオ「川上政行と葉山さつきの こんな二人でごめんなさい!」「白岳KAORU研究所」などを担当。
■かわかみ・あきこ
有限会社ハートリンク取締役、福岡アナウンススクール事務局長、元MRT 宮崎放送 ラジオ制作部ディレクター。情報・音楽番組など数多くの番組制作に携わる。
雑貨店「暮らし日と月」https://www.kurashihitotsuki.com/
取材・文=和田聡子 撮影=江口 拓(株式会社スタジオCOM)
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