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2021年06月06日
素朴な疑問
こんにちは! 好奇心も食欲も旺盛な50代主婦、ハルメク子です。
少し気が早いかもしれませんが、そろそろ家族の浴衣(ゆかた)を出しておこうと思います。そういえば花火大会って、いつから始まった行事なのでしょう? 気になるので調べてみました!
花火で使用する火薬は、中国・秦の時代にシルクロードによって世界に広まり、日本には16世紀・戦国時代に火縄銃とともに伝わりました。
火薬は、当時の日本では鉄砲や「のろし」として合戦の合図に使用されていました。そして江戸時代に、ようやく現在の「観賞するための花火」に使われました。
日本では、1589年に米沢城で伊達政宗が花火を観賞した、1613年に駿府城で徳川家康が観賞したなどの記録があります(日本煙火協会資料より)。
やがて、江戸の大川端(東京・隅田川下流)あたりの諸大名が花火観賞を楽しむようになり、やがて江戸庶民の間でも大流行となり、花火師や花火売りが誕生しました。
しかし、花火による火災が多発したことで、花火の場所を隅田川下流に制限するなど、幕府からのお達しが出ることに。ところが花火人気は過熱の一途をたどるばかりで、ついには隅田川にかかる両国橋の架橋を機に、両国橋周辺は花火のメッカになりました。
1732(亨保17)年は、全国で凶作に見舞われた他、江戸でコレラが大流行するなど、多くの死者が出ました。そこで、翌年の1733(享保18)年、当時の八代将軍・徳川吉宗が悪疫退散祈願と犠牲者の供養のために、隅田川の川開きに合わせて両国橋あたりで水神祭を実施しました。
このとき打ち上げれられた花火「両国川開き花火」が現在の「隅田川花火大会」のルーツです。やがて夏の恒例行事となり、江戸の風物詩として発展し、浮世絵にも登場するようになりました。そして全国にも広がっていったのです。つまり、夏の花火大会のルーツは、両国川開き花火(現在の隅田川花火大会)だったのですね。
ちなみに、徳川家康ゆかりの地・愛知県の三河地区は、火薬製造所があったため、現在でも花火が盛んで、おもちゃ花火(手持ち花火)の製造や販売業者が多数あります。
花火大会には、大飢饉で亡くなった方々を鎮魂する意味もあったんですね。勉強になったわ~。
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イラスト:飛田冬子