#2 亡き夫との約束を胸に

金澤泰子|自分が死んだ後、娘は一人でどうなるか?

公開日:2023.06.05

更新日:2023.06.09

ダウン症の娘と二人三脚で「書」の道を歩み、書家・金澤翔子を育て上げた母・金澤泰子さん(取材当時66歳)。NHK大河ドラマ「平野清盛」の題字を書いたことで注目が集まった2012年当時のインタビュー【後編】をご紹介します。

2012年に放映されたNHK大河ドラマ「平清盛」の題字を書いたダウン症の書家・金澤翔子さん(取材当時27歳)をご存じですか?その書と存在は多くの人に感動を与え、一気に世間の注目を集めました。

「自分が死んだ後、娘はどうなるか?ずっとその準備はしてきましたが、最後は神に任せるしかないのでしょう」と将来について語ってくれた、母親であり、書家として娘を指導してきた金澤泰子さん(取材当時66歳)。泰子さんを支える翔子さんの言葉とあわせてご紹介する、2012年11月「いきいき(現ハルメク)」初登場のインタビューです。

金澤泰子(かなざわ・やすこ)さんのプロフィール

1943(昭和18)年、千葉県生まれ。5歳で書道を始める。明治大学在学中に歌人馬場あき子に師事。その後、能楽「喜多流」の喜多節世、書道「学書院」の柳田泰雲、書道「泰書會」の柳田泰山に師事。現在、東京都大田区の自宅で「久が原書道教室」を開いている。

52歳で亡くなった夫との約束

翔子さんの書が注目を集めたのは、初めて個展を開いた20歳のときでした。

「翔子が14歳のとき、主人が心臓発作で亡くなりました。朝、私たちの目の前で突然倒れ、52歳で帰らぬ人となったのです。遺書はありませんでしたが、約束がありました。主人は早くから翔子の書の才能を認めていて、『20歳になったらみんなにお披露目しよう』と言っていたのです」

2005年12月、泰子さんは夫との約束を果たします。場所は銀座の一流書廊。「翔子にとって最初で最後の個展になるだろう」と考えた泰子さんは大奮発しました。

「私の亡き後に、翔子を託そうと思っていた7歳下の妹が夫の死から間もなく、がんを患って亡くなってしまいました。最大の支えであった二人を失くし、私が死んだら、翔子をどこか施設に預けるしかないと思いました。そのとき、翔子が『こういう子だったんだ』とわかってもらえるように、立派な図録も作ったんです。全部死ぬ準備でした」

ダウン症の子を持つ母に希望を

翔子さんの書(金澤翔子公式ホームページより)https://k-shoko.org/

翔子さんの個展はニュースでも報じられ、2000人以上が訪れる大盛況に。多くの人が書を前に涙を流しました。

「翔子にはうまく書こうという気持ちはなく、ただ私に喜んでほしい、みんなに喜んでほしいという思いだけで一所懸命筆を動かします。その無心が書に表れるから感動を呼ぶのかもしれません」

現在27歳になった翔子さんは、全国各地で個展を開くほか、泰子さんと共に積極的に講演を行っています。

「私と翔子がやっているのは、少なくともダウン症の子がいるお母さんに希望を持ってもらうため。知能が低く歩けないと言われた子が今、こんなに元気で、いつも人を喜ばせたくて仕方のないやさしい子になりました。だから泣かないで、と伝えたいのです」

今年69歳(※取材当時)になる泰子さんが考えるのは、ただ一つ。自分が死んだ後のことです。

撮影終了後、翔子さんはずっと台所に立ち、お茶を入れてくれました。「人を喜ばせる才能は、すばらしいものがあります」(泰子さん)

「翔子は料理と掃除が上手で、孤独に耐える術も身に付いています。できる限りの準備はしましたし、最後は神に任せるしかないのでしょう。あとは私が死んだとき、周りにいる人たちに『あのお母さんの子なら助けてあげよう』と言ってもらえるように、私が今をきちっと生きなければと思っています。

ただ、本音を言えば、かわいいほっぺの翔子を残して逝きたくない。今はまだ、この未練を断ち切れずにいます」

母・泰子さんを支える娘・翔子さんの言葉

「もういいよ」

私は当初、毎日泣きながら子育てをしていました。当時を思い出すたび、翔子にかわいそうなことをしたと後悔します。それで何回も「ごめんね」と謝っていたら、あるとき翔子が言ってくれました。「もういいよ」。たったひと言でしたが、私もこれでいいんだと思えるようになりました。

「かわいすぎる?」

翔子はおしゃれが大好き。毎朝お化粧をしては、「かわいすぎる?」と聞いてきます。服はサイズのことなどがわからないので、私のおさがりも多いのですが、自分で選ぶときは、もう絶対にピンク。「かわいすぎる?」と聞かれると、思わずほほえんで、こちらまで心が弾んできます。

「お母様、  大きなお星様に  なってね」

14歳で父親を亡くし、「お父様はお星様になった」と思っている翔子。いつか私も父親のように星になると思っているのでしょう。そのとき地上から見つけやすいように「大きなお星様になって」と言うのです。せつないですが、私はひときわ大きな星になって翔子を守りたいと思います。

二人で雑誌を見ながら、「今日の夜ご飯はハンバーグシチューを作るね」と翔子さん。料理の腕はかなりのもので、買い出しから片付けまできっちりやるのだそう。

書家・金澤翔子さん・泰子さん母娘インタビュー《シリーズ4回》

2015年、翔子さんは念願のひとり暮らしを始めます。その時の様子は「#3 ダウン症の書家・金澤翔子さんの念願のひとり暮らし」でご紹介しています。

 

取材・文=五十嵐香奈(ハルメク編集部) 撮影=石野明子
※この記事は「いきいき(現ハルメク)2012年11月号」を再編集しています。


6月18日(日)翔子さん・泰子さんのお話会を開催します!

二人の歩みが初のドキュメンタリー映画化を記念して特別イベントを開催!ダウン症の書家・翔子さんと、その母・泰子さんがどのようにして歩んでこられたのか、どんな将来を考えているのかを語っていただきます。また、映画「共に生きる  書家 金澤翔子」から一部を皆さんと鑑賞します。

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