公開日:2019/09/20
ダウン症の書家・金澤翔子さん(34歳)。ハルメクでは2015年、30歳で念願叶ってひとり暮らしを始めた翔子さんを取材しました。ひとり暮らしを満喫する翔子さんの様子とともに、障がいのあるひとり娘の自立を見守る母・泰子さんの心境をお伝えします。
母親の泰子さんと一緒に部屋を訪れると「どうぞいらっしゃいませ」と、とびきりの笑顔で、金澤翔子さんが扉を開けてくれました。ピンクと白で統一された女の子らしいカーテンや家具が配置された部屋は、スッキリと片づいています。
泰子さんが翔子さんの家を訪れるのは、今回で3回目だそう。髪の毛一本落ちていない部屋を見て、「翔子ちゃん、きれいにしているじゃない」と驚いています。翔子さんは「でしょ? 朝起きたら、すぐにそうじしています」と得意気です。
部屋の壁には、「おかたづけ」「寝る時間」「やせる」と泰子さんが書いた"三つの約束"が、貼られています。ひとり暮らしを始めるときに、親子で決めた"誓い"なのだそう。「障がい者だからといって、ただ自立すればいいのではなくて、美しく過ごすことを目指しています。ディズニーランドの裏に住む夢を叶えるのは、ここで合格が出てから」と泰子さん。
翔子さんの部屋は、「実家」から徒歩圏内にあり、今はひとり暮らしの練習期間です。最初の試練となったのは、「家探し」でした。2015年9月頃、物件探しを始めましたが、「障がい者に部屋を貸す大家さんはいない」と不動産店に断られたのです。
「私って本当に馬鹿で、翔子が障がい者であることを忘れちゃっていたの。それくらい、翔子は確実に成長してくれていたのよ」と泰子さん。
その後、ふたりの活動を知る不動産店の助けを得て、大家を説得したことで11月には物件を見つけることができました。
個展や席上揮毫(きごう)、講演と毎日全国を飛び回っている翔子さんは、12月からようやくひとり暮らしを始めました。やる気満々な翔子さんは、泰子さんが「夕食を食べに実家に帰っておいでよ」と呼びかけても、仕事のある日以外は1日も帰らず、ひとりの時間を満喫しているようです。「お母さん寂しいから、たまには実家に帰っておいで」と言われても、返事をしません。
「ひとりでも、全然寂しくない」と話す翔子さんの一日は、そうじの後朝ごはんを食べるためにモーニングサービスのある近所の喫茶店へ出かけ、昼食と夕食には、レトルト食品や総菜を買って食べます。
日中の過ごし方は、「テレビでニュースを見たり、YouTubeを見たり、両方。あとユーチューバーの本を見て、勉強して、ドリルをして、マイケル見て踊る」ことだそう。YouTubeとは、インターネット上の動画サイトのことで、そこに動画を投稿して収入を得ているタレントは、ユーチューバーと呼ばれています。
クリスチャンだったお父さんの遺影が見守る中、「この人と結婚するんです」と言いながら、男性ユーチューバーの写真集を見せてくれた翔子さん。
「よくわからないけれど変わった子を好きになったのよ、マイケルの次に。翔子ちゃんは世界のマイケルと結婚したんだからダメでしょ」と泰子さん。「……いいよねえ!」と切り返す翔子さんに、泰子さんは「小池徹平はどうしたのよ」とさらに問います。「応援してるの! マイケルも応援しているの!」と恋多き翔子さんは、写真集をうれしそうに眺めています。
翔子さんの今いちばんの関心事は、「ユーチューバー」。動画を観賞するだけでなく自らユーチューバーになりたいと、本を買って泰子さんに説明をしたのだそう。「『ユーチューバーの所属する会社に入って働いて、お金がもらえたらお母様にちゃんとあげる』と言うんです。どんなに料理やおそうじが上手でも、そういう社会システムはずっと理解できないと思っていました」
すでに翔子さんはユーチューバーになるため、自分を撮影しているそう。また、翔子さんの友人たちが協力し、YouTubeの動画作りも手伝い、日常を発信するメールマガジンのサービスも始めました。泰子さんいわく、「翔子が動くことで、みんな動かされちゃうから、すごいのよ。2015年3月に海外で初めて個展を開いたら、『世界で活躍する金澤翔子さん』なんて言われて、次々と海外の個展の依頼も舞い込んだんです」
翔子さんは、2015年3月にニューヨークの国際連合本部でのスピーチと個展を皮切りに、9月はチェコ共和国のピルゼン、11月はプラハでの個展を成功させ活躍の場を広げました。
そして、ひとり暮らしを始めた翔子さんは、さらなる成長を遂げているそう。例えば翔子さんには理解できないと考えていた「社会システム」のうち、「時間」と「お金」に関してわかることが増えたのです。
時間に関しては、夜12時にタイマーをかけることで寝る時間を把握しています。かつては、お金はピカピカ光る五百円玉がいちばん価値があると思っていた翔子さん。今は五千円札1枚が千円札5枚分の価値があり、たくさんの五百円玉と同じ価値があることがわかったそう。ほかにもモーニングサービスは千円札でお釣りがくることや、ひとり暮らしには敷金礼金、家賃が必要なことや、銀行にあるお金には限りがあり、振り込めばお金を送ることができることなども理解しています。
また、財布は自分で管理している翔子さん。「お金は足りてる?」と聞く泰子さんに、財布を確認し「今は2500円あるから大丈夫。4500円、やっぱ7000円あったらうれしいな」と冗談を言います。
夕方になり帰ろうとする泰子さんを「ちょっと待って」と翔子さんは引き止めて、ダウンベストを着て、はだしにサンダルをつっかけて家を出てきました。「いいよ、見送らなくても」と泰子さん。
前の年に取材をした際の泰子さんの様子とは、まったく異なります。当時は翔子さんの足が冷えないように気遣って、何度も温かい靴下をはくように促していました。でも今は、翔子さんが真冬にはだしでサンダルを履いていようと心配しません。親離れであると同時に、子離れでもあるようです。
家を出たふたりは、腕を組んで商店街を歩きます。
「この商店街には、美容室が多いけれど、翔子ちゃんには必要ないのよね」と泰子さん。ふだん、翔子さんの髪の毛は泰子さんが切っているそう。ふと、翔子さんは「金髪にしたいな〜。ビリギャルみたいに!」と衝撃発言。泰子さんは「えー、やめときなよ。翔子ちゃんには似合わないんじゃない?」と苦笑します。
道の途中で「夕食を買っていくから」と、組んだ腕をほどいた翔子さん。とびきりのスマイルで、手を振りながらコンビニエンスストアに入っていきました。
「Nice to meet you. My name is Shoko Kanazawa. I love Michael Jackson.
マイケルに会いに、ニューヨークに来ました。私は、書家です。
5歳から、書道を始めました。10歳のとき、般若心経を書きました。これは、仏教のお経で全部で276文字あります。何度も間違えて、何度も書きました。お母様が教えてくれたので、最後までちゃんと書けました。
お父様も褒めてくれました。私が14歳のとき、急な病気で亡くなりました。私の胸の中にいます。うまく書けますように」とお父様に祈って書いています。お母様と一緒にたくさん書きました。
お母様へ。
お母様の、おなかの中にいるときに出たい、出たいと足で蹴ったのを、覚えていますか。痛かったかな。
赤ちゃんの私を産んでくれて、ありがとう。お母様が大好きなので、お母様のところに生まれて来ました。5歳から書道を教えてくれて、ありがとう。
お母様は、私にうまく書かせたいなと思って、だから、うまく書けるようになりました。お料理も、おそうじも、お洗濯も見て、自分で考えて、覚えました。お母様は「できるかな」って、見守ってくれました。今は、何でもできるようになりました。得意料理はカレーライスとハンバーグです。
もうすぐ、30歳になります。
30歳になったら、ひとり暮らしをします。ひとり暮らしになっても、家事をがんばります。
ひとりになっても、寂しくないです。ひとりでも、大丈夫です。
お母様も、泣かないで。お母様が寂しくないように夜になったら私が、月になってお母様を照らして、声をかけますね。お母様も、お仕事がんばってください。
将来は、マイケル・ジャクソンと結婚したいです。赤ちゃんを産んだら、里帰りします。お母様は、おばあちゃんになります。
お母様が大好き、愛してます。愛してる。ずーっと、愛してる。
ひとり暮らしになっても、一緒に書きましょうね。
そしてみなさんに、元気とハッピーと、感動をあげたいです。 翔子 」
(2015年3月20日)
翔子が29歳だったとき、拙著『お母様大好き』(ハルメク刊)でも「ひとり暮らしはできるだろうか? 残念ながらそれは無理」と書きました。ところが、ひとり暮らしは可能だったのです。
障がい者の子ども、特にダウン症のお母さんたちの希望と可能性を広げるためにも、その姿をお伝えできたことは、本当にうれしいです。
今のところ、翔子がいなくなった部屋の前を通るたび寂しさを感じますが、自立して一生懸命やっているという喜びの方が大きいです。
障がいを持つ子どもの親にとって、子どもの自立は子育ての最後の目的です。そのために、私は3つのことを翔子に身につけさせてきました。
ひとつはお料理。2つ目は、おそうじ。そして3つ目が孤独な時間を耐えることでした。そのために、一緒に写経をしてきたんです。ただ私が書道しかできなかったからですが、これを教えれば、みんなに迷惑をかけないと思ってやってきました。
もしかすると母性愛というのは優しく子どもに接するためではなくて、その子を自立させるために、母親に与えられた愛なのかもしれません。
翔子が20歳のとき、生涯に一度きりだと思って個展をした結果、250回の個展を開き、想像を超える出来事が山ほど起きました。普通は書家が2つの県立美術館で同時に展示なんてできませんし、プラハでは展示会のノボリがいたる所に立っていて……。
我々書家が願ったって叶わないことを、簡単に大成功で終えてしまった。
翔子は天使のようで、平和でなくちゃ困っちゃうみたいな気持ちの持ち主で、地位や名声も求めずみんなに喜んでもらいたいと思っています。
効率性を求め競う我々の社会からすると馬鹿みたいだけれど、人間としては貴いものがある。親は損な子だと思うけれど、だからこそいろいろなラッキーが来るのでしょうね。
私は2016年で73歳になります。長年、道具を用意し、墨とりをして翔子の活動を支えてきました。書道と翔子の性格を熟知しているからできることなので、私の代わりになる人はいません。でも私はもう年だし、体もつらい。もう活動から手を引く頃合いではないかと思っています。
最近翔子は墨とりを自分でやろうと挑戦しているので、もしかするとひとりでできるかもしれませんね。私が死んだ後も翔子が書を続けるかわかりませんが、本人の意思に任せます。親子で新たなスタートラインに立っているところなのです。
■母・泰子さんのインタビュー記事を読む
「つらく苦しいことは、いつかは翻るもの」
かなざわ・しょうこ
1985(昭和60)年、東京生まれ。5歳から母・泰子に師事し、書道を始める。20歳で初の個展を開催後、多くの個展を開く。2012年NHK大河ドラマ「平清盛」の題字を揮毫。紺綬褒章受章、天皇御製を揮毫。最新刊に『愛の物語』(新日本出版社刊)
かなざわ・やすこ
1943(昭和18)年、千葉県生まれ。書道「泰書曾」の柳田泰山に師事。41歳で翔子さんを出産。90年、「久が原書道教室」を開き、翔子さんに書道を教える。東京藝術大学評議委員。著書に、『天使の正体』『天使がこの世に降り立てば』(ともにかまくら春秋社刊)、『お母様大好き』(ハルメク刊)ほか、多数。
取材・文=竹上久恵(編集部) 撮影=中西裕人
※この記事は2016年「いきいき」(現・ハルメク)4月号に掲載された内容を再編集しています。
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