手足なくとも光あり・中村久子#第4回
中村久子|夫と死別そして娘の死…苦難にあえぎながら
中村久子|夫と死別そして娘の死…苦難にあえぎながら
更新日:2025年10月14日
公開日:2023年05月03日
23歳で結婚、長女を出産、幸せも束の間
興行の世界では、交渉事や荷物の運搬などに男手が必要です。旅から旅の日々の中、久子さんは23歳で結婚。長女を出産し、母となった喜びをかみしめたのも束の間、夫が病死してしまいます。翌年に再婚し、次女をもうけるも、またも夫と死別。3番目の夫は、女道楽が激しい上に浪費家で、授かった三女は、わずか10か月で命を閉じました。
苦難にあえいでいたとき、久子さんは雑誌で見た一人の女性の姿に心を揺さぶられます。
不運な人生に苦しみ続けた先の、同士との出会い
その人の名は 座古愛子(ざこ・あいこ)。16歳でリウマチを患い、寝返りも打てない身ながら、神戸女学院の購買部の隅にベッドを置いて働き、人の相談にも乗っている女性でした。すぐさま神戸女学院に座古さんを訪ねたときの感動を、久子さんはこうつづっています。
「女史とは初対面なのに双方とも言葉はなく、ただ目と目を見交わした刹那、涙はせきを切って流れ出ました。(中略)最悪の不自由者お互いが、生きているのではない、“生かされている”(中略)心の底に無言の声がはっきりとひびきました」
帰りの道中、「自分で動けぬ体であっても、不平も言わず、他人の幸福を祈っている女史を思えば、私はなんと罰当たりだろう」と考えた久子さんは、「心の眼」が開かれたのを感じました。
もう一人、久子さんを励ましたのがヘレン・ケラーです。社会事業家の岩橋武夫さんを介して、昭和12年に来日したケラー女史と日比谷公会堂で対面。ケラー女史は、久子さんを抱きしめ、そっと両手で短い手足をなでると、「私より不幸な人、そして偉大な人」と熱い涙を流しました。
ただ"生かされている"の境地へ
久子さんが後半生で心の拠り所としたのが、親鸞の教えを記した『歎異抄(たんにしょう)』でした。久子さんの実家の菩提寺、真蓮寺住職の三島多聞さんはこう話します。
「久子さんは手足がないことで、なぜ自分はこんな目に遭うのかと長年苦しみました。そして『歎異抄』と出合い、手足のない自分をそのまま引き受ける、という考えに変わったのです。人間としてどう生きるかを必死で求め続け、自身が詠んだように『手足なき身にしあれども生かさるる 今のいのちは尊かりけり』 という境地に至ったのでしょう」
長年自問し続けた「なぜ自分だけが…」という苦しみから、人との出会いを通して「今の自分、今の人生をありのままに受け入れる」という考えを得て解放された久子さん。最終回は、生きる喜びを掴み、自分の役割を見つけた久子さんの晩年を振り返ります。
参考文献:中村久子著『こころの手足』(春秋社刊)
取材・文=五十嵐香奈(ハルメク編集部) 撮影=安部まゆみ 写真提供=鎌宮百余
※この記事は雑誌「ハルメク」2019年4月号に掲載された内容を再編集しています。




