12回の転勤人生(8)福島県いわき市 今も続く趣味
2019.01.212018年09月26日
夫との結婚が転機でした
12回の転勤人生(2)津山市 親頼みの子育てを卒業
北は福島県、南は福岡県まで。夫の転勤に伴って各地へお引っ越し。その回数はなんと12回! 各地での思い出や、遭遇したエピソード、今も続く仲間との出会いなどを振り返ります。今回は初めての転勤地となる岡山県津山市でのお話です。
親頼みだった子育てを知らない土地で
夫は27歳でした。保険会社の支部長として赴任しました。それまでのデスクワークとは違い、支部を預かる責任が生じました。外交の職員さんが働きやすく、保険契約高を上げられるように手助けします。朝は誰よりも早く出社し鍵を開け、夜は全員が帰宅してから鍵を閉めて帰宅します。夜遅くなり、子どもが寝入ってから帰宅します。休日出勤も当たり前でした。月に数回は岡山の支社へ報告を兼ねて行く必要もあったのです。私は頼っていた両親を当てに出来ない子育てを、知らない土地ですることになったのです。
冬は積雪20センチの日もありました。たまたま雪が降った日、夫が在宅しており、家族そろって、雪だるまを作ったり、雪合戦をして遊びました。久しぶりに父親らしい時間を持つことが出来たので、子ども達は大喜びでした。
隣家の犬「ベル」との思い出
隣家には上司が住んでおり、我が家とは庭続きの社宅でした。お子様のいないご夫妻で、「ベル」という名の犬を飼っていました。ペットと言うよりも家族の一員でした。散歩にはよく我が家の子どもを連れて行ってくれました。
津山は盆地なので天気が急変し、夕立が度々ありました。稲光と雷鳴は大人でも怖いものです。ベルは雷が鳴りだすととても怯えていました。隣家が留守だと私が飛んで行って、ベルの頭にバスタオルをかぶせ不安を和らげるのでした。
3年たち、ベルは沖縄への転勤に連れられて行きました。当時の沖縄は、戦後本土に復帰(1972年)して間もない頃でした。車は左ハンドルで、右側通行だったそうです。本土同様の道交法が適用されるのは、この後6年くらい経ってからです。
温暖な沖縄で周りの人に可愛がられこの地で死にました。隣家のご夫妻は今関西に住んでいますが、ベルと私達との再会は二度と叶いませんでした。
ママ友ができ、家事についての学びも
津山の幼稚園で長男に友達が出来ました。私にとっても今で言う「ママ友」で親子ともども互いの家を行き来するようになりました。酪農試験場にお勤めのお宅で、真冬の部屋にパンジーが咲いていたのには驚きました。エアコンなどない頃にです。今では冬のいちご、トマト等すっかり季節感がなく売られています。文明進歩のおかげですが「?」や「!」の感覚は失いたくないと思ったエピソードです。
先住の社宅の方に誘われて出席し「全国友の会」という団体を知りました。当時会員は3万人位だったと思います。「時間の使い方は命の使い方」「社会は一人の為に、一人は社会の為に」などの教えを、著作集を読んで学びました。
衣・食・住・家計・子ども と、生活するうえで大切な心と家事の技を教わったのです。ワイシャツのアイロンかけ、パン・ケーキ・ゼリーなどの作り方の実習、掃除の仕方など、20代の私は知らないことばかりでした。
会は各家庭持ち回りで開かれていたので、これが恥ずかしくないように家を片付けるいい機会と刺激になったのです。
次は山陰(島根県江津市)へ転勤します。