大切な思い出の品を捨てずにリメイク

自立への一歩!たんすをサイドテーブルにリメイクして

公開日:2020.07.23

C型肝炎を克服して21日後に脳出血になったharumatiさん。STAY HOME期間中、家族にお願いして、嫁入り道具の洋服だんすをリメイクしました。これは単なる片づけではなく、脳出血の後遺症が残る中でも自立した暮らしを送るための第一歩。

「お父さ~ん、ちょっとお願い、来てくださ~い!!」

度重なる引っ越しを経て47年経った今もなお、古くささを感じさせない和だんす、整理だんす
度重なる引っ越しを経て47年経った今もなお、古くささを感じさせない和だんす、整理だんす

脳出血に倒れてから3年半。大声で、あるいはショートメールで、何度夫を呼んだことでしょう。その日に着ようと思っている服に限って、目の前から消え、いくら探しても見つからなくなってしまうのです。いえいえ、服が消えてしまうなんてことはあり得ないのだから、年のせい、あるいは、後遺症のせいで、探す力が弱っているのでしょう。それが証拠に、「探し名人登場」とばかりに、夫が、トントンと足音も軽く2階に来るや否や「ほら、これ」と、いとも簡単にお目当ての服を見つけるのですから。

というわけで、衣類を減らし、何がどこにあるのかひと目でわかるようなクローゼットにするべく、STAY HOME期間を利用してクローゼットの改造に取り組むことと、相成ったのです。

が、今となっては、すべてのことが、夫がやる気になってくれるかどうかにかかっている我が家。衣類の整理などというおよそ男性が興味を持ちそうにもないことに、夫の協力を得るためには……。夫が大好きな「物作り」を組み込むことがポイントです。

わずか3畳ほどの狭い我が家のウォークインクローゼットに、長年、でんと居座わっているものがあります。それは、婚礼セットの洋服だんす。和だんすと整理だんすは、洋風の寝室の一方の壁面に違和感なく収まっています。これは、家を増改築する際に、一方の壁面いっぱいの書棚の扉の色も、腰板の色も、すべてこのタンスの色に合わせ、もう一方の壁面には2つのタンスが並んで収まるように、窓も押し入れも作らなかったからです。しかし、奥行きのある洋服だんすだけはどうしても収まり所がなく、仕方なくクローゼットに入れていたのです。

邪魔になっているだけのようなこの洋服だんす、実は、どうしても捨てられない訳がありました。私は兄、兄、姉、兄、私の5人きょうだい。その中で、第3子である姉が、1番に結婚することになりました。その時私は高校生。姉の婚礼用品が次々に準備されていく様を見ていました。和だんすいっぱいの和服も整えられ、いよいよ親類へのお披露目の宴が、我が家で開かれました。その後、トラックに乗せられ、紅白のリボンが掛けられて、新居となる大阪へと運ばれていきました。

それから、5年後、私が結婚することになりました。婚礼家具を準備するために、私は母と二人で家具屋さんへ行き、ひと目で気に入る婚礼用の3点セットを見つけました。それは、姉が大阪へ持って行った物とは、雲泥の差がある立派なものでした。「これにする」と言うには、あまりに気が引ける値段でしたが、母は、「あなたが気に入ったのなら、これに決めよう」と言ってくれたのです。

姉が結婚するときには、すぐ上の兄はまだ大学生。私は大学への入学を控えていました。長兄と次兄の結婚もまだ。それらのことを考えると、母は、姉の婚礼用品のために思い切った出費ができなかったのでしょう。それに対して、兄弟の中で4番目となった私の結婚のときには、兄弟全員が既に就職していて、母の肩の荷は、随分軽くなっていたのではないでしょうか。

しかし、この経験は、両親の言動の裏には、両親の複雑な思いがあるのだということを、私に深く刻み込むことになりました。そうした経過から、この洋服ダンスをどうしても処分することができなかったのです。

 

洋服だんすがサイドテーブルに生まれ変わって

たんすがサイドテーブルに生まれ変わることに
たんすがサイドテーブルに生まれ変わることに

5月のある日、私は、夫にこう言いました。「私があなたの助けを借りなくても、一人で身支度できるようにするためには、いつか着るかも知れないと置いていた服を、思い切って捨てること。それから、できるだけたくさんの服をハンガーに掛けてポールにつるし、見えるようにすること。そのために、洋服ダンスをクローゼットから出して、処分したい」と。

続けて、「あの洋服だんすを解体して、サイドテーブルを作ることはできないかしら。それから、洋服だんすを撤去した後には、ポールと棚を付けてもらえると、私には、うんと使いやすいクローゼットになるんだけれど」と。

さあ、これは、夫のツボにはまりました。とにかく、「古い物を活かして物を作る」ことが大好きな夫です。早速、私に、どんなサイドテーブルが欲しいのかを尋ねて、設計に取りかかりました。そして、府県境を越えての外出自粛期間が終わるや否や、解体した洋服だんすを車に積んで、作業場のある三重県のログハウスに出掛けました。

折しも、その日は好天に恵まれた、梅雨の晴れ間。夫は喜々として、作業を進めてくれました。サイドテーブルは、和室でナイトランプを置くための物。その土台に、ティッシュペーパーが入り、ゴミ箱も付いていれば便利です。次々にあり合わせのベニヤ板から、必要な部品を切り出し、元洋服だんすの表面の板を、土台の部品に合わせて切っていきます。それを、土台や細い隙間にも貼り付け、ほぼ2日間で完成! 家に持って帰って、陶器のナイトトランプを置いてみると、よく似合うこと!!

あり合わせのベニヤ板で、土台となる部品を作る
あり合わせのベニヤ板で、土台となる部品を作る
土台にティッシュ入れとゴミ箱を組み込んで、こんなイメージに
土台にティッシュ入れとゴミ箱を組み込んで、こんなイメージに
部品にティッシュを引き出す穴を開けて
部品にティッシュを引き出す穴を開けて
バラした洋服だんすから部品を作り、土台に貼り付けていく
バラした洋服だんすから部品を作り、土台に貼り付けていく
サイドテーブルの完成
サイドテーブルの完成

 

夫の貢献が私に勇気をもたらす

さて肝心のクローゼットですが、ドアを開けて左側は、当初からの上下2段のポールがあります。今回、厚さがまちまちだったハンガーを、すべてハルメク通販で場所を取らないハンガーに買い変えたので、上のポールに夫と私のシャツやジャケット類がきれいに収まりました。下のポールには、夫のズボンと、私のスカートが。洋服だんすをのけた所には、1本のポールを増設しました。コートやワンピースなど長いものが、ちょうど収まりました。ポールの上に棚を増やすことによって、スキー用品、スーツケース、ボストンバッグ、羽毛布団までもが収まりました。

すっきり片付いたクローゼット 1
すっきり片付いたクローゼット 1
すっきり片付いたクローゼット 2
すっきり片付いたクローゼット 2
すっきり片づいたクローゼット 3
すっきり片づいたクローゼット 3

今、私は満ち足りた気持ちでいっぱいです。両親からもらった物を捨てずに、素敵によみがえらせることができた。そして、雑然としていたクローゼットが、すっきりと使いやすくなって、きっとこれからは、「お父さ~ん」と、呼ぶことなく、より自立した生活ができるようになると思えるからです。

洋服だんすから外した2段の引き出しの上には、洋服だんすから取った塗りの美しい板を貼り、2段の和だんすとしてよみがえりました。もう着ることはないかも知れないけれど、母から譲り受けた訪問着や大島を大切に入れました。

そして、これを機会に、これまでのリハビリの記録をすべて処分しました。

これを機会にリハビリの記録を処分して、新たなステージへ
これを機会にリハビリの記録を処分して、新たなステージへ

次回も、続けて、Stay home 期間中、したことや考えたことについて書きたいと思います。

 

harumati

45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から、今度は脳出血に襲われ右半身麻痺の大きな後遺症が残り身体障害者に。同居する息子と夫に家事を任せての暮らしにピリオドを打ち、2021年11月「介護付き有料老人ホーム」に夫と入居。「小さな暮らし」で「豊かな生活」を創り出そうと模索中です。

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