北朝鮮による拉致被害者家族の真実(2)
娘のめぐみに会いたい…横田早紀江さんの長い闘い
娘のめぐみに会いたい…横田早紀江さんの長い闘い
更新日:2023年06月04日
公開日:2022年08月31日
※インタビューは、2013年6月に行いました。
普通の主婦だった私が街頭に立つように

1997年に、めぐみが北朝鮮に拉致されていることがわかって以来、街頭に立ったり、議員や記者の方にお会いしたりして、たくさんの方々に拉致問題の解決を訴えてきました。
人前に出るのが苦手な普通の主婦だったのに、講演会でお話しさせていただくようになって、何の罪もない娘を奪われたその事実を、きちんとお伝えしなければと、多いときには年120回くらい講演に出向いてきました。
毎日何かしら用事があって、普通の生活ができていませんね。家の中を片付ける時間がなくて、部屋じゅう荷物が山のようになっています。
全国の方から届いたお手紙や千羽鶴、「めぐみちゃんが帰ってきたら使ってください」と送っていただいた手作りの品など、みんな大切にとってありますし、膨大な資料が上にも下にも積み上げられていて、足の踏み場もなくなってきました。

でも、ベランダには大好きなお花を四季折々に並べているんですよ。息子やお友達からいただいたアジサイが元気に咲いてくれたりして、かわいいなって思います。
あとは食事には気を付けて、できるだけ家でしっかりとるようにしています。もう私も77歳、主人は80歳(ともに2013年取材当時)。二人ともいつ倒れてもおかしくないけれど、今倒れるわけにはいかない……そんな思いでいるんです。
「悪いことは悪いと言える人間になれ」と育てられた私がめぐみを産んで

私は、結婚後は銀行員だった主人の転勤に伴って各地で暮らしましたが、もともと京都人なんです。生まれ育ったのは二条城のそばの古い町家。決して裕福ではなく、質素な暮らしでしたが、身だしなみや礼儀作法は厳しく躾(しつけ)られました。
母はきもの姿で縫い物をしていることが多く、外出時はいつも真っ白な足袋をきちんとはいていたのを覚えています。私は今でも人前に出るとき、母がきゅっと足袋をはく姿を思い出して、身だしなみをきちんとしなくちゃと思うんです。そんなふうに母の姿から、いろんなことを学んだ気がします。
昔気質(むかしかたぎ)の父からは「悪いことは悪いと言える人間になれ」ということを、いつも言われていました。ふだんはやさしい父でしたが、ちょっとでも曲がったことをすると、ものすごく叱られたものです。
私は昔から本当に怖がりで泣き虫だったので、みんなから「なきえちゃん」なんて呼ばれていたんですよ。
でも、そんな「なきえちゃん」だったときでも、弱い者いじめや仲間外れをしているのを見ると許せなくて、男の子でも食ってかかっていく負けん気の強いところもありました。
高校卒業後も京都にいて、商事会社に勤務後、きものの工房で染色の仕事をしていました。
もともと絵を描いたり、ものを作るのが好きだったんです。工房の先輩の紹介で主人と出会ったのは25歳のとき。翌年に結婚して京都を出て、新婚生活は名古屋で送りました。そこで生まれたのが、めぐみでした。
家族の中心でいつもみんなを笑わせていた、めぐみ
めぐみにも、4歳下の双子の息子たちにも、人を傷つけてはいけない、ものを大切にと、当たり前のことを教えてきたつもりです。親の私が言うのも変ですが、3人ともやさしく正義感の強い子に育ってくれました。
めぐみが小学生の頃、級長か何かをしている優秀な子が、思いがけず弱い者いじめをしているのを見て、「もう許せない!人ってわからないなあ」と怒っていたのを思い出します。
そういうところは、私に似ているかもしれませんね。
めぐみは、もののとらえ方や表現が面白い子で、冗談を言っては家族を笑わせていました。
5人で囲む食卓の中心はいつもめぐみ。歌も大好きで、よく大きな声で歌っていました。「そんな大声で歌ったら、お隣に笑われるわよ」と私が言っても、「歌くらい、いいのよ」なんて歌い続けるんです。
私も歌が好きだから「埴生の宿」「おぼろ月夜」など唱歌を二人でハーモニーで歌ったものです。
めぐみがいなくなってからは、唱歌を口ずさむと涙が止まらなくなって、よく台所で泣き崩れていました。
今でもふと唱歌が聞こえてくると、胸が苦しくなります。だけどこの頃はドライアイのせいで、涙もあまり出なくなってしまって……。昔のように顔がぐちゃぐちゃになるまで思い切り泣けたら、どんなに気持ちがいいだろうと思うんです。
「行ってきます」の朝から、ただただ娘を探し続けて

めぐみがいなくなる前の年(1976年)、主人の転勤で移り住んだ新潟で初めて迎えたお正月。
「お母さんは子どもの頃、きものを着せてもらったのよ」と話したら、「私も着てみたい」とめぐみが言うので、私の古い赤い銘仙を着せました。口紅もつけてあげたら、「すごい、お姉さんになっちゃった」なんて鏡の前でびっくりしていためぐみの姿が目に焼き付いています。
1977年11月15日。「行ってきます」と大きな声で出掛けたきり、めぐみが帰ってくることはありませんでした。バトミントンの部活動からの帰り道、忽然(こつぜん)と消えてしまったのです。
あの日から、どれだけあの子の姿を探し求めたか……。警察がいくら捜索しても、何の手がかりも見つからず、私は毎日、主人と息子を送り出すと、海辺や新潟の街をあてどなくさまよいました。
一人で家にいると号泣してしまって、本当に「なきえちゃん」でしたね。何をしても苦しみから逃れられなくて、もう生きていてもしょうがないと、命を絶つ方法を毎日のように考えていました。
気持ちの修正をして「夫婦でがんばっていこう」と切り替えて

当時はいろいろな宗教や占いの人が家に来て、「先祖の供養が足りない」「お金を積めば全部わかる」などと言われ、余計に苦しくなって……。
そんな中、「よかったら読んでみて」と聖書を持って来てくれた方がいたんです。最初は読む気にもなれませんでしたが、ふと手に取ってみると、こんな一節がありました。
あるとき弟子たちがイエス様に「この人の目が見えないのは、この人の罪のためですか?それとも両親の罪のためですか?」と尋ねます。
するとイエス様は静かにこう答えました。「この人の目が見えないのは、この人の罪のためでも、両親の罪のためでもありません。ただ神の御業(みわざ)がこの人の上に現れるためです」
最初は難しくて何のことだかわかりませんでしたが、何かとても深いことが書かれているように感じて、一気に引き込まれました。
それまで私は「何も悪いことをしていないのに、一生懸命生きてきたのに、どうして?」と、そんなことばかりぐるぐる考えて苦しんでいました。でも聖書を読むうちに、この世には人間の力では及ばない、もっと大きな存在、大きな意味があるのかもしれない……そう思うようになったんです。
残念ながら主人は「神なんて信じられない」という現実主義者なので、私は友人と一緒に「聖書を読む会」に参加し、仲間に励まされながら祈るようになりました。そして、めぐみが成人を迎えた年に洗礼を受けたんです。
もちろんそれで苦しみがすべて解決したわけではありません。現実にはつらいことが次々起こるので、神様に「どうして!?」と文句を言いたくなることもあるし、ドロドロした生身の人間ですから、主人とけんかもします。
でも神様は「いつでも語りかけなさい」と言ってくださっているので、朝でも夜でも、バスや電車の中でも、祈りを捧げているうちに心が穏やかになって、「主人と二人でがんばっていこう」と、気持ちを修正できるようになってきました。
めぐみは心を落ち着ける方法を見つけて、生き抜いてくれる
めぐみが消えて長い年月がたって、北朝鮮に拉致されたとわかったときも、死亡を宣告されて骨壺や写真を出されたときも、本当に身を切られるようなショックを受けました。
でも、「たじろぐな、怖れるな」という聖書の言葉に支えられ、絶対にめぐみは生きていると思えたんです。
めぐみは強い子で、何より明るくユーモアがありました。幼い頃、「動物でも花でも、どんな小さなものでも愛しなさい」と私が言ったら、虫やミミズまで大好きになって、ガマガエルを抱っこして歩いたり、こっそり捨て猫の面倒をみたりしていたものです。
2010年に金賢姫(キム・ヒョンヒ)さんに会って「めぐみさんは猫をたくさん飼っていた」と聞いたとき、あの子は小さな命に愛情を注いだり、自分なりに心を落ち着ける方法を見つけて、大変な状況を生き抜いているんだと思いました。
生きている間にもう一度抱きしめてあげたい
私が教えてあげられたことはわずかですが、きっと今も機転を利かせて、しっかり生きてくれていると信じています。
13歳だったあの子も、もうすぐ49歳(2013年取材当時)。私たちの残り時間も少なくなってきました。生きている間に、せめて一度めぐみを抱きしめてあげたい。その瞬間だけがほしいんです。
横田家の今までの歴史
- 1964(昭和39)年10月5日、横田滋さん、早紀江さん夫妻の第1子としてめぐみさん誕生。
- 1967(昭和43)年、双子の長男・拓也さん、次男・哲也さん誕生。
- 1976(昭和51)年、滋さんの転勤で新潟へ。
- 1977(昭和52)年11月、中学校から下校途中にめぐみさんが失踪。
- 1997(平成9)年1月、めぐみさんが北朝鮮にいるという情報がもたらされる。
3月、拉致被害者家族連絡会が発足し、滋さんが代表に就任。 - 2002(平成14)年9月、小泉首相が訪朝し、第1回日朝首脳会談。蓮池さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさん帰国。めぐみさんの娘ヘギョンさんの存在が明らかに。
- 2004(平成16)年5月、第2回日朝首脳会談。蓮池さん、地村さんの家族が帰国(その後、曽我さんの家族が帰国)。
11月、北朝鮮側はめぐみさんが死亡したとして遺骨を提出(その後、遺骨は別人のものと判明)。 - 2005(平成17)年、滋さんが難病「血栓性血小板減少性紫斑病」で倒れるが、その後回復。
- 2006(平成18)年、早紀江さんがブッシュ米大統領と面会。
- 2007(平成19)年、滋さんが家族会代表を退任。
- 2014(平成26)年3月、横田さん夫妻がヘギョンさんとモンゴルで面会。
4月、滋さんらがオバマ大統領と面会。 - 2017(平成29)年、早紀江さんがトランプ大統領と面会。
- 2020(令和2)年6月5日、滋さんが死去、享年87。8日、川崎市の教会で葬儀。9日、早紀江さん、息子の拓也さん、哲也さんが記者会見し、めぐみさんの救出を誓う。
取材・文=五十嵐香奈(現編集部) 撮影=中西裕人
※この記事は雑誌「いきいき(現ハルメク)」2013年8月号を再編集し、掲載しています。




