上野千鶴子さんの終活「在宅ひとり死は孤独ではない」
2023.08.192025年01月06日
東京⇔山梨 おひとりさまの二拠点生活のリアル
上野千鶴子さん【二拠点生活】大切な人を看取って
日本の女性学の第一人者であり、近年は「おひとりさま」で最期まで自宅で暮らせるかをテーマに、介護・医療現場を精力的に取材している上野千鶴子(うえの・ちづこ)さん。約20年前から山梨と東京の二拠点生活を続けている上野さんの山の家を訪ねました。
上野千鶴子(うえの・ちづこ)さんのプロフィール
1948(昭和23)年富山県生まれ。社会学者。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。女性学およびジェンダー研究の第一人者。最新刊『こんな世の中に誰がした? ごめんなさいと言わなくてもすむ社会を手渡すために』(光文社刊)他、著書多数。
今はひとり、静かに過ごす時間が至福のとき
八ヶ岳南麓、標高1000mの山林地帯。未舗装のデコボコした砂利道を進んでいくと、木立の中に上野さんの山の家が現れます。「どうぞ」と迎えられ、仕事場にもなっている建物に入ると、目に飛び込んでくるのは、天井まである壁一面の書棚です。
「ここは書庫でもあるんです。私は“おひとりさま”でいるのが平気な人なので、たくさんの本に囲まれて一人で読んだり、書いたりしている時間は至福ですね。シーンと静かで、時々鳥が鳴いて、図書館で暮らしている感じ」
そう語った直後、頭上から「ドン!」という衝撃音が。
「鳥がはめ殺しのガラス窓に激突しましたね。私の本『八ヶ岳南麓から』にも書きましたが、大量の蛾が窓にガツンガツンと体当たりしてくることもあるし、ヤスデや毛虫が大発生することもある。やっぱり自然の中は大変ですよ」
50代半ば、もう一つの居場所を探して二拠点生活に
上野さんがこの土地を手に入れたのは50代前半。八ヶ岳南麓に定住していた友人から「ひと夏、海外で過ごすから、家を借りて住まない?」と言われたのがきっかけでした。
「ひと夏過ごしてみると、涼しいし空気はいいし食材が新鮮だし、すっかりはまってしまった」と上野さん。その夏の終わりには、不動産屋に飛び込んで土地を探し始めたそう。
「友人を通して八ヶ岳に定住している人たちとお近づきになり、ここでの暮らしをいろいろ聞きました。八ヶ岳に移住してくる人は、ほぼ定年前後。
中には、仕事の場が東京にあって、50代くらいから東京と八ヶ岳を行ったり来たりしているうちに、だんだんと軸足が山の方に移ってきたという人もいて、なるほど、悪くないなと思いました」
思い切って購入した土地に家を建てたのは別の人?
こうして八ヶ岳南麓に土地を買ったものの 「完全に山林の状態だったので、伐採・抜根(ばっこん)して整地しないと家を建てられないし、上下水道がないから井戸を掘って浄化槽を作らないと住めない。インフラの整備に予想以上の手間とお金がかかりました」と上野さん。
さらに予想外だったのは、古くからの友人で当時70歳だった歴史家の色川大吉(いろかわ・だいきち)さんが、上野さんの土地に先に家を建てたことでした。
「びっくりしましたよ。建築確認書を見せてもらったら、土地の地番地号を書く欄はあるのに、所有者名を書く欄がない。私は土地をハイジャックされたんです(笑)。色川さんは住民票も移されて八ヶ岳で暮らし始めました。
私が『土地代を払ってもらっていない』と言ったら、『僕も管理人代を払ってもらっていない』と言われて。愉快な人でしたね。その後、色川邸の隣に私の仕事場を建てました」
以来20年余り、上野さんは山の家と東京を行ったり来たりする二拠点生活に。一方、色川さんは八ヶ岳でおひとりさまの暮らしを楽しんでいました。
友人の在宅介護を通して感じた、幸せな時間
そんな八ヶ岳での隣人同士の生活に変化が生じたのは2016年。
90代になっていた色川さんが家の中で転倒して大腿骨を骨折。手術をすすめられるも「病院に行きたくない」と拒み、在宅療養することに。さらに18年、再び骨折して車いす生活になったのです。
「色川さんはおひとりさまでしたから、私が介護のキーパーソンになりました。目の前でヨタッていく年寄りを見捨てられませんよ」と上野さん。色川邸の大きな窓のあるリビングに介護ベッドを入れ、「このまま山の家にいたい」という色川さんを支えました。
「ちょうどその頃、訪問看護師のパイオニアである宮崎和加子(みやざき・わかこ)さんが、医師の夫とともに八ヶ岳南麓に移住してきて、訪問介護と訪問看護を行う事業所を立ち上げられたんです。色川さんはその利用者第1号になりました。
宮崎さんたちは定期巡回随時対応型短時間訪問看護介護という素晴らしいサービスをやっておられて、1回15分ですが、朝昼晩と1日3回訪問してくださる。これなら“在宅おひとりさまで最期まで”も十分可能だと思いました」
コロナ禍になると、上野さんはほぼ山の家に定住し、色川さんの療養生活を見守りました。
「私はキーパーソンなので、ケアマネジャーさんなどから『どうしますか』と聞かれましたが、そのつど『ご本人に聞いてください』と言ってきました。色川さんは頭はしっかりしておられて嫌なことは嫌とおっしゃったから、その意思を尊重しました」
大切な人を看取り、改めて考える「終の棲家」
色川さんが山の家で息を引き取ったのは2021年秋のことでした。「ベッドから季節とともに移り変わっていく景色を眺めながら亡くなっていきました。みなさん、お幸せだったんじゃないかとおっしゃいます」
大切な人を在宅で見送った今、ご自身も山の家を終の住処にしたいと考えているのでしょうか?
「まだ迷いがあります。やはり都会は便利だなと思いつつ、寝たきりになったとき春夏秋冬の自然が目に入るのは何にも代えがたい幸せだなと思ったり……。
車がないとここでは暮らせませんが、動けなくなればどこも同じ。おひとりさまの在宅死の事例をこの地で見てきましたので、私にもできるかなと思っています」
二拠点生活のリアルを綴る『八ヶ岳南麓から』
50代で山梨県八ヶ岳に土地を買い、家を建てて以来、東京との二拠点生活を送ってきた上野さんによる、初の山暮らしエッセー集(山と溪谷社刊/1760円)
取材・文=五十嵐香奈(ハルメク編集部)、撮影=キッチンミノル
※この記事は、雑誌「ハルメク」2024年5月号を再編集しています。