永六輔×内藤いづみ【特別対談】理想の大往生とは
2024.01.102024年01月31日
自分のことも人のこともわからなくて当たり前
養老孟司さん|知るとは、自分が変わること
ベストセラーとなった『バカの壁』の刊行から20年。大好きな虫の標本作りの場でもある箱根の別荘にお邪魔して、解剖学者の養老孟司さんに、最近の暮らしや体調の変化、今の“ものの見方、考え方”について話を聞きました(2023年取材)
養老孟司(ようろう・たけし)さんのプロフィール
1937(昭和12)年神奈川県生まれ。東京大学名誉教授。医学博士。解剖学者。62年東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年に東京大学医学部教授退官後、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。89年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。2003年刊行『バカの壁』(新潮新書)は450万部を超えるベストセラーに。大の虫好きとして知られ、現在も昆虫採集・標本作成を続けている。
死んだらどうするかなんて、考えてもしょうがない
養老孟司さんの別荘は、箱根の山の中にあります。
大の虫好きである養老さんは、鎌倉の自宅から足しげくこの別荘に通い、ゾウムシをはじめとした昆虫の研究や標本作りに励んでいます。中に足を踏み入れると、すぐ目に飛び込んでくるのは、吹き抜けの壁にぎっしり並んだ昆虫標本です。
「こんなにたくさんため込んで、死んだらどうするのか?と聞かれますが、そのときは残された家族が勝手に捨てればいいんじゃないでしょうか。
結局すべては順送りです。自分の代で全部きれいに始末したら、子どものためにならないでしょう。“こんなゴミみたいなものを残しやがって”と思いながら、大変だけど整理する。そういうことが順送りに繰り返されていけばいいと僕は思っています」
糖尿病で15キロ痩せ、さらに心筋梗塞に
長年、病院にはほとんど行かず、健康診断も受けず、大病を患うこともなかったという養老さんですが、2020年6月、26年ぶりに東京大学医学部附属病院を受診。心筋梗塞と診断されました。
「とにかく具合が悪くて、一日中寝ているような状態で“これは絶対におかしい”と病院に行ったんです。体重も1年で15キロくらい痩せていたから、がんかもしれないと思ったんですが、痩せた原因は糖尿病とわかりました。糖尿病が進行すると痩せるんですね。
さらに検査を受けた結果、なんと心筋梗塞で、びっくりしました。というのも医学生だった頃、心筋梗塞というのは上昇志向があって一生懸命努力する性格の人がなりやすいと勉強したものだから、僕はそういうタイプじゃないとずっと思い込んでいたんです。それは間違いでしたね」
検査後、そのまま心臓の血管にステント(金属の管)を入れる緊急手術を受け、2週間入院。退院後は薬を服用するようになったものの、好きなタバコはやめず、それまでと変わらない生活を送っていたといいます。
そして2022年2月、久しぶりに東大病院を受診したところ、糖尿病の数値(ヘモグロビンA1c)が明らかに高いと指摘されたそうです。
「薬を飲んでも散歩をしても数値が下がらない。どうしようかと思っていたとき、ちょうど糖尿病内科医の青木厚先生と対談したんです。青木先生は『「空腹」こそ最強のクスリ』という本を出していて、16時間の絶食をすすめています。それを僕もやってみることにしました」と養老さん。
夕方6時に早めの夕食を食べ、翌朝10時に遅めの朝食をとる16時間絶食を、週に1回実践したところ、「数値があっという間に下がった」と話します。
「16時間絶食すると、ちゃんとおなかが空きます。おなかが空いてから食べるというのは、“体の声を聞く”ことなんです。
もともとこの別荘にいるときは、妻はいないから、食事のしたくを自分でしなきゃいけないのが面倒でね。昼食を抜くことがたびたびあって、絶食もそんなに苦ではないんです。一人で食べるときはインスタントや冷凍食品で済ませることがほとんど。年寄りは栄養失調にも気を付けなければいけませんね」
病を得たことで、あらためて死について考えたという養老さん。
「それでつくづくわかったのは、自分が死ぬことを考えてもしょうがないってこと。だって、死んだらどうするって、どうしようもないわけでしょう」と笑います。
知るとは、自分が変わること
2023年2月に刊行された養老さんのエッセー『ものがわかるということ』(祥伝社刊)は、発売1か月で5万部が発行され、幅広い年代の人たちに読まれています。この本で養老さんが繰り返し書いているのが「人は変わる」ということです。
「『私は私』で変わらない、一貫した『同じ私』がいるなんていうのは思い込みで、人は刻々と変わっているんです。
例えば、『あなたはがんですよ。せいぜいもって半年です』と言われたら、どうなるか。その瞬間、世界が変わって見えるはずです。
それは世界が変わったのではなく、見ている自分が変わったんです」
養老さんは「知るとは、自分が変わること」だと説きます。
「それこそ戦争中、お国のためにと死ぬ気でやっていたのに、敗戦を境に一夜にして民主主義になると、それまでの自分はなんで死ぬ気でやっていたんだろうとわからなくなる。つまり、目からウロコが落ちて自分がガラッと変わると、前の自分がいなくなる、例えて言えば“死ぬ”わけです。死ぬ気でやっていた自分は“もう死んで、いない”んですね。
女性の場合だと、やっぱり母親になったらガラッと変わるんじゃないですか。子どもを持つ前の自分と持ってからの自分は、どう考えても同じではない。違う人なんです。
ところが、確固たる自分がいると思い込んでいる今の人は、変わることに不寛容です。子どもを持つといやおうなく変わらざるを得ないから、子どもを持ちたがらない人が大勢いて、少子化になる。年寄りよりよっぽど保守的ですよね」
人にわかってもらうのは、ありがたいこと
人間関係において、「相手のことがわからない」「あの人は全然わかってくれない」と多くの人が悩んでいますが、「わかる方が不思議だと思っておくと気持ちが楽」と養老さんは言います。
「先ほど言ったように、人は刻々と変わっていくわけですから、自分が変わるだけじゃなく相手も変わる。自分のことだってよくわからないのに、人のことがわからないのは当たり前です。
そう思っていると、わかってもらえたらすごくありがたいでしょう。めったにないことだから、ありがたい。僕も本を出すと、『先生の言うことはわかりません』としょっちゅう言われますが、それでいいんです」
相手が明らかに「誤解している」と感じたときには、無理に誤解を正さず、放っておくのが一番だそう。
「『それは誤解です』と相手を正そうとしても、相手は相手で自分が正解だと思っているから、ほとんど意味がありません。そこで理屈やエビデンスをつけて誤解を正そうとしても、たいていムダに終わる。
だから、せめて自分が相手を誤解しないようにすることです。そうすれば相手だって変わっていきますよ」
『ものがわかるということ』
祥伝社刊/1760円
子どもの頃から、一つのことについてずっと考える癖があり、次第に物事を考え理解する力を身につけてきたという養老さん。自然界や解剖の世界に触れて学んだこと、脳と心の関係、意識のとらえ方など、養老流のものの見方、考え方を解説した一冊。
取材・文=五十嵐香奈(編集部) 撮影=中西裕人
※この記事は雑誌「ハルメク」2023年5月号を再編集、掲載しています。