公開日:2022/05/20
2021年に逝去された瀬戸内寂聴さん。2022年5月は生誕100年にあたります。数え年で100歳を迎えた際は「気が付いたらこの年になってしまっていた」と朗らかに笑いながら、生きることの意味や人間の幸福についての考え方を語ってくれました。
※インタビューは2021年4月に行いました。
この5月で数えで100歳になりました。もう、自分でもあきれますよ(笑)。こんなに長く生きるとは思わなかったですから。
私は今も食欲があるんです。何でもおいしくいただいて、お肉をよく食べます。食欲があるから生きているんだなと、この頃は思いますね。お酒も好きなので毎日晩酌をします。たくさんは飲みませんよ。一合とちょっとくらいを晩酌にいただくと、よく眠れます。
でも、さすがに体は年中しんどいですよ。私は昔から脚が丈夫で、若い編集者と取材に行くと、みんな疲れてのびてしまっても、私だけ全然平気なくらいでした。
ところが今は、もう思うように歩けない。人間は脚から弱りますね。よく杖をついて廊下を歩いていて、板床の上にぶっ倒れたりしています。
最近は転ぶのも相当うまくなりました。何かあると、若いスタッフがかけつけてくれて、「だって100だものね。仕方がない」「そうそう100だもの」が合言葉になっています(笑)。
これだけ長く生きてきて、死を目の前にしてあらためて思うのは、人は愛するために生まれてきたんだということです。どんなに苦しい思いをしても、やっぱり誰かを本気で愛せたら、それが一番幸せなんじゃないかしら。
愛することに年齢は関係ありません。私のところには70歳になって恋をしたという人がいっぱい相談に来ます。何も珍しいことではないですよ。日が燦燦(さんさん)と降り注ぐように、恋愛というのは降ってくるもの。だから防ぎようがないんです。
そういう男女の恋愛でなくても、いくつになっても愛はあった方がいいと思います。親と子の間でも、きょうだいの間でも、友人の間でもいいんです。
例えば、窓から庭の木々を眺めて「今日は気持ちのいい風が吹くわね」なんてことを一人でつぶやくより、誰かに言いたいでしょう。たとえその人がいなくても、心の中の面影に向かってつぶやくような、そういう相手がほしい。
とにかく自分以外の誰かを愛することを味わった方が、生きた、という感じがしますね。
誰かを愛しても愛し返されないことがあるし、愛するからこそのつらいこと、苦しいことが必ずあります。そして最後は悲しい別れが待っている。いくら相思相愛でも、一緒に死ぬことはまずないでしょう。心中でもしない限り、どちらかが先に死んで、どちらかが遺されます。
でもね、誰も愛さないでこの世を去るよりは、傷つき苦しんでも愛した方がいい。誰かを愛することで、つらい目に遭って自分が苦しんだら、今度は自分以外の人の苦しみや悲しみに同情できるでしょう。想像力が豊かになって、思いやりも湧く。だから優しくなれます。
もし誰も愛さず、苦しい目に遭ったこともない、悲しんだこともないなんていう人がいたら、その人の人生はやっぱりつまらないんじゃないかしら。
生きることは、愛すること。そして愛することは、許すことです。
仏教には「渇愛」と「慈悲」があります。渇愛というのは、心が渇いて愛がほしいという状態。“これだけ愛してあげたから、返してちょうだい”という自己愛です。
一方、慈悲というのは、あげっぱなしの愛。“返してちょうだい”という気持ちのない、本当の愛です。
お釈迦さまは渇愛から抜け出して、慈悲を行いなさいと言っています。相手から返してもらおうと思うのをやめて、ただ思ってあげる……そういう愛があれば、私たちは悩みから解放されます。
50歳で出家してから、私はとても身軽になって、心が自由になりました。
人の心というのはどうしても不自由で、自分と他人を比べてしまったり、こうするべき、これがほしい、こうあってほしいといった思いにとらわれてしまいがちです。けれど、他人を気にすることをやめて、自分に自信を持って、あれこれとらわれるものがなくなると、とても自由になるんです。
結局、人間が幸福になるとは、心にこだわりを持たなくなり、何ものも畏れなくなることなのだと思います。
出家をするというのは、死後について考える哲学に入っていくことです。これまで私は死について本気で考えてきました。でも結局のところ、あの世があるのかどうかはわかりません。死んでから報告を書いてくる人は誰もいませんから、極楽がある、地獄があるというのも、全部想像でしかないわけです。
だから、死がわからないのは私もみなさんと同じ。お坊さんだから特別なんてことはありません。できれば静かに死にたいなと思っているけれど、「死にたくない!」って大声で暴れるかもしれない(笑)。そのときになってみないとわかりませんよ。
ただ長く生きた分、たくさん愛することができたから、私は幸せな一生だと思っています。
瀬戸内寂聴
せとうち・じゃくちょう 1922(大正11)年、徳島県生まれ。東京女子大学卒業。63年『夏の終り』で女流文学賞受賞。73年、平泉中尊寺で得度。その後、『花に問え』で谷崎潤一郎賞、『白道』で芸術選奨文部大臣賞、『場所』で野間文芸賞など次々に受賞。98年、現代語訳『源氏物語』完結。2006年、文化勲章受章。近著に掌小説集『求愛』、長編小説『いのち』などがある。2021年11月9日逝去、享年99。
取材・文=五十嵐香奈(編集部) 撮影=大島拓也
※この記事は雑誌「ハルメク」2021年7月号を再編集、掲載しています。写真はすべて2018年に京都・嵯峨野にある寂庵でインタビューした際に撮影したものです。
瀬戸内寂聴さんの<生誕100年記念>ドキュメンタリー映画として緊急公開される「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」が2022年5月27日(金)から全国ロードショー!17年寄り添い続けた監督だから描ける“誰も知らない瀬戸内寂聴”の本音や金言の数々が満載の、貴重なドキュメンタリー映画です。
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