随筆家・山本ふみこの「だから、好きな先輩」49

ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソンの温かな世界

公開日:2024.02.03

「ハルメク」でエッセイ講座を担当する随筆家・山本ふみこさんが、心に残った先輩女性を紹介する連載企画。今回は、画家・児童文学作家の「トーベ・ヤンソン」さん。山本さんが9歳のとき出会った物語「ムーミン」の世界から感じる温もりとは……。

好きな先輩「トーベ・ヤンソン」さん

1914-2001年 画家・児童文学作家
ヘルシンキ生まれのスウェーデン語系フィンランド人。芸術一家に生まれ、15歳で雑誌の挿絵画家としてデビュー。31歳から「ムーミン」シリーズを発表し始め、各国語に翻訳されて世界的にヒット。66年に国際アンデルセン賞受賞。

こころがくたびれた日に逃げ込める世界

こころがくたびれた日に逃げ込める世界

手元にある『ムーミン谷の仲間たち』の本の見返しには、「1968年夏休み。はじめましてムーミントロール」と、子どものわたしの字で記してあります。

ムーミン谷の住人たちと当時9歳だったわたしとの出会いでした。

調べてみると日本で製作されたアニメーションの「ムーミン」の放送開始は、この翌年(1969年)のことですから、わたしは本を先に読んでいたことになります。

初めて足を踏み入れたムーミン谷の印象は忘れられません。その不思議さ、あとからあとからやってくる登場人物(架空の生物)の個性を前に、途方に暮れましたっけ。

出会いはそんなふうでしたが、9歳の年から半世紀ものあいだ、折に触れてわたしはこの世界を旅してきました。子どものころは病気で学校を休んだ日、大人になってからはこころがくたびれ果てた日、気がつくと、ここに逃げこんでいるのです。

ムーミンの文章世界のみならず挿絵も描いているのは、フィンランドの女流作家トーベ・ヤンソンです。どうやらスウェーデン系のひとであるらしく、原作はスウェーデン語で書かれています。

高名な彫刻家の父、美術家の母のもとで育ったヤンソンは、はじめは画家志望で、フィンランドやパリの美術学校で絵の勉強をしていました。

他者との違いを認め、大切にしながら生きていく

他者との違いを認め、大切にしながら生きていく

彼女の名前を世界じゅうに知らしめたのは、ムーミン谷の童話でした。

フィンランドの自然を愛し、苛酷な風土を生きる生物と向き合い、濃(こま)やかに観察する姿勢のなかで、ムーミンたちは生まれ、育まれたものと思われます。

ムーミンママ、ムーミンパパ、ムーミントロールたちは、どんなときにも他者とのちがいを認め、大切にしながら、仲よくやってゆこうとする存在です。

だからでしょうね、こころが疲れたとき、ムーミン谷の日常生活のなかに逃げこんで、しばらく過ごしたくなるのは。

思いやりを深くする。

他者も自分もともに愛する。

ムーミンたちの、この生き方に、わたしは抱きとめられてきたのです。

9歳の日、初めて読んだ『ムーミン谷の仲間たち』はシリーズ唯一の短編集です。あらためて読んでみて、いまの年齢になってわかるせつなさ、ユーモア、おもしろみを噛み締めたことでした。

随筆家:山本ふみこ(やまもと・ふみこ)

随筆家:山本ふみこ(やまもと・ふみこ)
撮影=安部まゆみ

1958(昭和33)年、北海道生まれ。出版社勤務を経て独立。ハルメク365では、ラジオエッセイのほか、動画「おしゃべりな本棚」、エッセイ講座の講師として活躍。

※この記事は雑誌「ハルメク」2020年7月号を再編集し、掲載しています。

山本ふみこ

出版社勤務を経て独立。特技は何気ない日々の中に面白みを見つけること。雑誌「ハルメク」の連載やエッセー講座でも活躍。

マイページに保存

\ この記事をみんなに伝えよう /

注目企画