弱りゆく父、奇跡を願う、後悔しないようにと心に誓う

最愛の父との別れ。空に向かって父に話しかける

2020/02/18

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熊本地震など、つらいときに心の支えになった油絵の魅力を語るスミレさん。愛するお父さんとの別れがありました。お父さんとの思い出を振り返りながら、揺れる心情を自身が描いた絵とともにつづります。

油絵の魅力

父の病状を思い、眠れぬ夜 

冬空の写真

呪縛のように思い続けていた「やらなくちゃ」を、やっとこさ片付けました。今まで何度もしようと思ってできなかった片付けができて、スッキリ。物の置き場所が決まりほっとしました。

片付いてるのは気持ちいいものです! 何とかこの状態を保持したいです。

気分がすっきりしたところで寝ようと思って布団に入ったのに、なかなか寝付けません。父親が肺炎で入院中……、病院から連絡があり緊急事態になればお願いします。と。

それから気になり眠れなくなりました。

翌日、父に面会に行きました。脈拍が通常の数倍多く、心臓がフルにがんばっている。肺炎なので肺が弱って酸素吸入の副作用で血圧低下、77(最高血圧)33(最低血圧)になっていました。

痩せて飲み込む力がない。

「水分補給だけしている状態です」と医師から説明がありました。本人の生命力があるかどうかが問われる段階みたいです。

「父さん……」と声を掛けたら体が動き、目を開きそうになりました。布団の中で足を動かしています。

看護婦さんが「肌色が昨日は肌色が悪かったけど、普通になったし反応もありますね」と足を見せてくれました。きれいな肌色でした。

医師とは違う内容のお話を聞いてほっとしました。父は自然な老衰で、一進一退を繰り返してるようです。

 

父との思い出

色鉛筆デッサンで何度も色を重ねた「竹籠と造花」
色鉛筆デッサンで何度も色を重ねた「竹籠と造花」

1か月前まで、おいしくご飯を食べていたのに信じられない思いです。

「延命治療をどうするか家族会議で決めてください、ただし胃ろうは生かされてるだけで本人の意思で生きてるのではありません」と医師は言いました。

(※「胃ろう」とは、身体機能の低下などにより口から食事をすることが困難になった人が、胃から直接栄養を摂取するための医療措置のこと)

「ここは救急病院なので長くはおけない。転院させるのが政府の方針です」とも。

ここで政府が出てくるとはね……。

父は96歳です。

ビールが飲みたいと言ってたから、「よし、死に水はビールにしてやろう!」と考えたり、大川栄作が歌う「さざんかの宿」が好きでカラオケに一緒に行けば楽しそうに歌っていたなとか、地域ののど自慢大会によく参加していたなとか、グランドゴルフで優勝してはおみやげを持って帰ってきたな、などと思い返していました。

奇跡は起きないのでしょうか? 

私は自他共に認めるファザコンでありマザコンです。「いい年して」と家族に言われますが。

そんなことを思いながら、年を越しました。その間に、思ったことを……。

結局、年に1度の「年賀状」は欠かせない

年に1度の「年賀状」は欠かせない

年賀状を、元旦に書いてポストに入れに行きました。

もう会うこともないかもと、近い人だけ年末に出し、遠くに住んでる人はどうするか考えて手を抜いて、相手から来たら出すつもりでした。

そんな思いの人が結構いるんでしょうか。

ポスト前には、何人も投函する人が並んでいました。
遅れて出せば返事になりますが。届いた年賀状に、「元気ですか」と一言添えてあると、出さなかったことを後悔……。

やはりがんばって、年に1度の挨拶は欠かせないなと反省しました。

「高貴香麗者」

いい当て字だと思いませんか。

こんなすてきな高齢者増えてます。

新聞記事では「後期高齢者」何とかならないですか。この漢字の寂しいひびき。

夫は若く見えるけど、これに該当する年齢になりました。

75歳になると、市から歯の検診が送られてきました。単なる歯を調べる訳ではなく、噛む力とか歯茎とかをチェックするみたいです。歯が弱り、飲み込む力がなくなると食べられなくなります。飲み込む力がなくなると、誤嚥性肺炎になりやすくなり、それを繰り返すと体が弱ります。

やがて寝たきりになり歩かなくなります。それで、行っといた方がいいとすすめたけど案の定行きません。夫は頑固な医者嫌いなのです。

「父の死」

油絵「牛骨と静物」
油絵「牛骨と静物」

「もういい」死の2日前に父はこう言ったそうです。
後日談です。
96年の人生、いろいろあったことでしょう。優しい父でした。

たくさんの方々に送られ父は天国ヘ旅立ちました。
お疲れ様、父さん。今まで本当にありがとう。
父の葬儀が終わった当時は、何も感じませんでした。日が経つにつれ、悲しみが押し寄せています。涙ぐんでいる自分がいます。

儚い命。長命ではあったけど、父は幸せだったろうか。戦時中を父は過ごしました。兵器学校に行き、満州まで行った時に戦争が終わり日本に帰って来ました。

朝から晩まで一生懸命働き子供を育て、旅行にも行ってません。
外食にはよく一緒に行きました。あさりのスパゲッティが好きでした。
「おいしいなぁ~」と、満足げに言いました。

明け方に「お父さんが息を引き取りました」と病院から電話があり、駆けつけたけれど、死に目に会えませんでした。悔しかったです。

ドラマと現実は違います。
ドラマティックとはうらはらに、ただ時が過ぎていきます。

私は、十分なことができなかった悔いが残っています。
誰でもそうなのでしょうか。

正直今こたえています。人は「時間が解決するよ」と言います。
まだ母が存命なので救われますが。

今度こそは
後悔しないよう心がけようと。

夕日

夕日がきれいです。
最近よく空を見上げています。
なぜか空に父がいるように思えてならないのです。
空に向かって話し掛けています。
心の中でしかできなくなったけど……

もっといろんな話ししたかったなぁー。
父さんと。

今回もお読みいただきありがとうございました。

 

スミレ

高校の時に美術クラブに入り 油絵を始める。結婚し家庭に入り油絵はすっかり忘れて過ごしていたが、定年後に時間ができて絵を描きたいと思い、カルチャーセンターへ。だんだん面白くなり最近では展覧会に応募し、大作にも挑戦しています。

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