遠い日の思い出

梅雨の季節の記憶

公開日:2019.06.06

更新日:2019.06.10

花やリボン、シナモンなどのスパイスを駆使して作られるブリオンフラワーの創作過程や、作品に込められた思いなどについてでんさんが紹介していきます。今回は少しブリオンから離れて、梅雨の季節の思い出を語ります。

梅雨の合間の風景

梅雨の晴れ間。何処までも澄んだ青空。

白いレースの日傘。

白い半袖ブラウスに、黒いタイトスカート。

まるでモネの「日傘の女」のような女性が、細い道を歩いていく。私が小学校に上がる前だから、4、5才頃の風景だと思います。

時々振り向いては「大丈夫?」「疲れた?」と声をかけては、木陰を探し一休みをします。以前紹介した私の母です。

山の中腹にある家からバス停迄山を降り、バスを乗り継いで母の実家に遊びに行くのです。

細い道は何処までも続いているかのように見えて、あちら此方に昨日まで降っていた、雨の名残の水溜まりがあります。まわりは桑畑が続きます。

水溜まりを飛び越えたり、桑畑でかくれんぼしながら歩く兄と私は中々前に進めません。いつもタクシーで通る道を歩いたものですから、未知を旅する冒険者のようで、楽しく嬉しかったです。

昨日の雨が嘘のように太陽が照りつけ暑かったです。

それは母の額の汗を見て、そう記憶しているのでしょうね。現代よりずっと温度は低かったはずですし。

実際私はいつもの道とは違う、興味深い草むらや林の中で、嬉々として走り回っていましたから……。実は暑かった記憶は曖昧です。

今その道を通ると、青空はそんなに高くなく、道は舗装され、冒険できるほどの広さは感じません。こんなに狭かったかしら?

バス停からもそう長くはない距離です。

子供の頃の感覚は何と不可思議な物なのでしょう。
 

田舎の道
イメージ

母の里帰り

母が実家に帰れるのは、小正月、農上がり、お盆でしたから、この日は農上がりと言われていた田植えの終わった後なのです。

母の実家に行くと、私の曾祖父が台所の「上がりはな」という所で座って待っていてくれます。

「おう、おう、坊良く来たなぁ」

いつも同じ言葉で出迎えてくれました。

男女問わず「坊」でしたから、9人の孫は皆「ぼう」です。

一番遠くに嫁いだ姉は九州から、他の兄妹は県内から集まり、2泊しましたが、季節柄毎年雨模様でした。

雨ですと外遊びができませんから、夜みんなでてるてる坊主を作り縁側の窓に吊るします。

好きな端切れで作るので、赤有り青有り、カラフルなてるてる坊主が沢山できて、子供達は大喜びでした。

てるてる坊主
※イメージ

てるてる坊主そのものに喜んで願いが足りなかったせいか、次の日が晴れたのは1度か2度くらいだけだったと思います。

当然今回も雨でした。

しとしととうっとうしい梅雨も、あの頃は大好きでした。

1番の遊びはかくれんぼ。広い家の中、隠れる所は事欠きません。中でも皆のお気に入りは押入れの中。

ジットリと蒸し暑いものの、宝箱の中に居るかのようでしたから、時間のたつのも忘れます。

母の兄の勲章や軍刀、綺麗な絵等があり皆でうっとり眺めていました。そしていつのまにか眠ってしまうのがいつもお決まりのコース。

母達に起こされておやつの時間。

まだ窓の外は雨です。

そんな私達は、あっという間にもう60才を過ぎています。

懐かしい、子供の頃の梅雨の季節の記憶です。

 

でん

ドイツ、オーストリアで生まれた、永い時を経て作り続けられているブリオンフラワーと言う作品作りに夢中になっている、62歳の主婦です。製作材料の1つにハーブを使うので、香りに癒され、美しいブリオンの光に魅了され、可憐で、しかし難しく一筋縄ではいかない不思議な魅力をお伝えできればと思います。

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