50代からの英会話学習を続けるコツとは?(1)

娘のために始めた、50代からの英会話学習

公開日:2020.08.20

学生時代は英語があまり得意ではなかったというharumatiさん。海外に暮らす娘さんのひと言で、本気で英語を学ぶことを決意しました。50代からの外国語学習を続けるコツを、harumatiさんならではの視点でつづる新シリーズがスタート。

50代からの英会話学習
50代からの英会話学習

梅雨明けとともに始める、新しいテーマでの執筆

梅雨明け
梅雨明けの翌日は、からりと晴れて、真夏の太陽がまぶしく、一瞬コロナ禍を忘れさせてくれるような日だった

長かった今年の梅雨が、近畿地方では、ちょうど切りよく7月31日に明けました。翌8月1日は、真夏の太陽がまばゆい、まさに、「今日から8月ですよ~」といわんばかりのからりとした晴天でした。そんな真夏の圧倒的なエネルギーで、コロナ禍はどこかへ追いやられたのでは……と、一瞬夢見たのですが、とんでもありません。8月に入っても毎日のように、感染者数は最多を更新し続けています。

「エピセンター(感染震源地)」に焦点を絞って、PCR検査を徹底的に行うなど、早く有効な手を打ってほしいものです。第一波の抑え込みに成功したニュージーランドのアーダーン首相が、昨年生まれた一人娘のニーブちゃんの世話をしたパジャマ姿のままで、自宅からネットで、国民に7週間にもわたるロックダウン(都市封鎖)に耐えたことへの感謝と第二波への構えを呼び掛ける姿が印象的でした。

人口約500万人、東京の約半分のニュージーランドですが、8月6日現在、市中感染は起きていないとのことです。

さて、そんな希望を持たせてくれるニュースに励まされながら、新しいテーマでの執筆に取りかかることにしましょうか。

 

英会話教室を訪れた、やむにやまれぬ必要性

英会話
Whatのつづりさえ忘れてしまっていた私が、NOVAにハマり、8年間も続けることになるとは!

2002年、アメリカのボストンに引っ越して2年目の娘からかかってきた電話。

「お母さん、妊活に入るから、そろそろ英語の勉強をしといてね。そして、出産前後には手伝いに来てね」をきっかけに、私の英語学習は始まりました。

初めての出産時、母親がそばにいることが、どれだけ心強いかは、自らの体験で実証済みです。C型肝炎で入院に備えたときと同じように、仕事の段取りを付け、何としても娘の願いに応えてやりたいと思いました。

アメリカで、娘の出産前後のサポートをするためには、どんなことが必要なのか、早速考えてみました。

  1. 英語がしゃべれること
  2. 左ハンドルの車で右側車線を走れること
  3. 慣れない食材、台所で料理ができること

この3つが不可欠だと思いました。その内の2と3は、私がエイヤッと心を決めることで、なんとかなりそうな気がしました。でも、1は心の持ち方だけでは、いかんともしがたい。真剣に英会話の勉強に取り組むことが必要だと思われました。

私の英語の実力はといえば、中学校の英語の授業にはなんとかついていけたものの、高校の授業では落ちこぼれっぱなし。その授業内容の膨大なことといったら! がんばろうと思って予習をしていっても、翌日の授業では、予習した内容の何倍もの量を進むのですから、たまったものではありません。高校2年になったころには、授業についていくことはすっかり諦め、授業はまったく聞かずに、5歩も10歩も遅れながら、マイペースで教科書の内容を学ぶことに没頭していました。

それから33年間、英語をまったく必要としない生活が続いていました。私の仕事は、英語を使う必要なし。娘が国際結婚をすることになったものの、お相手は日本で4年間暮らしていて、日本語はほぼペラペラ。彼の母国、ポーランドで結婚式を挙げたときには、大学院で日本語を学んでいる通訳の方を付けてくれました。娘夫婦は日本で共働きをしながら1年間を過ごした後、アメリカへ引っ越し。アメリカでの生活が落ち着くと、新居に招いてくれて、初めてアメリカへ行ったときにも、ずっと娘が案内してくれて、やっぱり英語をしゃべる必要はなし。

そんな私が、今回は、娘のためにどうしても英語を話せるようにならなければならない。そんな、やむにやまれぬ必要性から、娘がアメリカへ引っ越すときに、そっと置いていったままになっていたパンフレットを頼りに、英会話教室を訪ねることにしたのです。

 

52歳から始めた駅前留学

娘が置いていったパンフレットは、その頃、毎日のようにテレビにコマーシャルが流れていた「駅前留学NOVA」のものでした。パンフレットを見てみると、ありました。自宅から車で20分ほどの駅前に。初めてそこを訪れたのは、2003年6月中旬の、多分土曜日だったと思います。フルタイムで働く主婦だった私は、土曜日に自分の時間を取るのが精いっぱいだったからです。

もう18年も前のことで、記憶は曖昧ですが、まず初めはレベルチェックがありました。ネイティブの先生と1対1で向き合い、いくつかの質問に答えていきます。その結果はすぐに出て、日本人スタッフから説明がありました。

「harumatiさん、すごいですね。1番低いレベルではなかったですよ。とっても珍しいことです。初めての人は、ネイティブの先生と1対1になるだけで、しどろもどろになり、大抵一番低いレベルからになるのですよ」と。娘の夫とのお付き合いを通して、白人の顔を見慣れていたからしどろもどろにならずに済んだのでしょうか。まずは、外国人の顔に慣れることも結構大切なんだなと、そのとき思いました。

こうして下から2番目のレベル7Bからレッスンを始めることになり、1回40分のグループレッスンを210回分受講できる契約をしました。毎週土曜日に2レッスン受けるとして、105週間分。1月は約4週間だから、26.25か月分の契約をしたことになります。1年は12か月だから、週2回のレッスンを続けたとして、2.2年分の契約。それは結構高額な契約でした。

元取る精神が旺盛な私は、日本語一切禁止という、50代のおばさん年代にとっては厳しい条件のレッスンにも関わらず、ちんぷんかんぷんのレッスンから始めて、それからなんと、8年間もNOVAでのレッスンを受け続けることになったのです。

クルミの木
書斎のパソコン正面のクルミの木は、英会話学習もずっと見守り続けていてくれた

次回からは、何年間も英会話レッスンのモチべーションを支えたのは、一体何だったのかについて書き進めていきたいと思います。

harumati

45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から、今度は脳出血に襲われ右半身麻痺の大きな後遺症が残り身体障害者に。同居する息子と夫に家事を任せての暮らしにピリオドを打ち、2021年11月「介護付き有料老人ホーム」に夫と入居。「小さな暮らし」で「豊かな生活」を創り出そうと模索中です。

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