稲垣えみ子:人生の下り坂を軽やかに下るための準備
2024.07.202024年07月27日
50代からの暮らしのダウンサイズ#1
稲垣えみ子:モノを減らしたら、お金の不安が消えた
アフロヘアで知られる元朝日新聞記者の稲垣えみ子さん。東日本大震災を機に節電生活を始め、50歳で退社。物を手放し、生き方をシンプルにしてわかったのは「家事こそ相棒」という事実でした。
稲垣えみ子さんのプロフィール
いながき・えみこ
1965(昭和40)年愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒業。朝日新聞社で大阪本社社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員を務め、2016年に50歳で退社。以来、都内で夫なし、子なし、冷蔵庫なし、ガス契約なしのフリーランス生活を送る。『魂の退社』『もうレシピ本はいらない』『一人飲みで生きていく』『老後とピアノ』など著書多数。
50歳で会社を辞めて、暮らしを縮小『家電ゼロ生活』へ
――稲垣さんは、50歳で会社を辞め、安定した収入を手放したきっかけの一つは「冷蔵庫をやめたこと」だと語ります。
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東日本大震災の後、原発事故に大きなショックを受けた私は“超節電生活”を始めました。やっぱり原発は日本で続けていくのが難しい技術ではないかと思い、じゃあ原発なしで生きていけるのか、自分で試してみることにしたんです。
当時は神戸に住んでいて、契約している関西電力は電気の約半分を原発で作っていました。だから単純に使用する電気を半分に減らそうとしたわけですが、明かりをこまめに消すとか、エアコンの使用をやめるくらいじゃ全然減らない。
そこで意地になった私は、電化製品を一つずつやめることにしました。電子レンジ、掃除機、洗濯機のない生活なんて考えたこともなかったけれど、やってみると案外困らない。というより、いいことが多かったんです。
例えば掃除。それまで掃除機をガタガタ出すのが嫌で、掃除は週末にまとめてやっていましたが、ほうきだったらすぐ出してササッと掃けばいい。
それに、ちりとりにたまったホコリや、真っ黒になった雑巾を見るときの充実感! 掃除機がない方が、家がきれいになるわ、掃除がラクに楽しくなるわで、私は“今まであったものをなくす”ことを恐れなくなっていきました。
冷蔵庫のない生活が「お金の不安」から脱するきっかけに
そして一番大きな変化をもたらしたのが、冷蔵庫をやめたことでした。
冷蔵庫がないと保存ができないので、安いから、おいしそうだからという動機で好き放題に食品を買えないんですね。その日に食べ切れる分しか買えないとなると、スーパーに行っても、そんなにお金を使えない。
炊飯器も電子レンジもないので、すべての調理をコンロでします。「日によって玄米の炊き上がりに“好不調”があり、おいしく炊ければ幸せだし、硬ければ混ぜご飯に。それも面白いんです」
結局、月2万円もあれば自炊で十分食べていけるとわかりました。生きていくことは、食べていくことで、そのために必要なお金はこの程度だったんだというサイズ感を知って、私は「会社を辞めたら食べていけない」という不安から脱することができたんです。
『家事か地獄か――最期まですっくと生き抜く唯一の選択』
稲垣えみ子著/マガジンハウス刊/1650円
「今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ」という稲垣さんによる、お金に頼らない、身の丈に合った生き方の提案。
次回は、認知症の母との暮らしの中で改めて実感したという「物を手放しシンプルに暮らす」ことの利点についてご紹介します。
取材・文=五十嵐香奈(ハルメク編集部)、撮影=安部まゆみ
※この記事は、雑誌「ハルメク」2023年8月号を再編集しています。
写真をチラッと見たときに、明治時代の女性のような日本髪に簪を付けているように見え、素敵だなと思いました。稲垣さんのアフロヘアに日本の簪が合うかも知れない。