【追悼】瀬戸内寂聴さんの生き方と言葉
2023.11.162023年12月09日
寂聴さんの元秘書で、従妹の娘・長尾玲子さんが語る
瀬戸内寂聴さんの素顔、「馴れてはいけない」の口癖
2021年11月9日、99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さん。寂聴さんの従妹の娘であり、秘書も務めていた長尾玲子さん。中学2年生のときの資料集めに始まり、2010年まで約40年、寂聴さんのそばに最も近くにいた長尾さんに当時のお話を伺いました。
長尾玲子さんのプロフィール
ながお・れいこ
1956(昭和31)年、徳島県徳島市生まれ。成蹊大学大学院日本文学専攻科修了。母が瀬戸内寂聴さんの従妹。中2から執筆の資料集めなどの手伝いを始める。大学在学中よりライター、編集者として働き、速記事務所を経て、2010年まで瀬戸内寂聴秘書。11年から21年まで公益社団法人日本文藝家協会・著作権管理部長。胸のブローチは横尾忠則さんの作品。『「出家」寂聴になった日』を2022年11月に上梓。
”はあちゃん”が”瀬戸内寂聴”になった日
1973年11月14日、作家・瀬戸内晴美は、突如出家して「瀬戸内寂聴」になり、世間を驚かせます。当時、長尾玲子さんは寂聴さんと同じマンションの別室に家族と暮らしていました。長尾さんの著書『「出家」寂聴になった日』は、出家前後までを玲子さんの母で寂聴さんの従妹である恭子さん、その後を玲子さんの視点で語られる小説です。
「瀬戸内が出家した年、私は高校生でした。中学生の頃から資料集めなどの手伝いをしていましたが、高校生には出家の詳しい事情はわかりません。ですから、その前後のことは、瀬戸内と幼少期は姉妹同然に育った母・恭子の視点で語るのが自然に思えました」
恭子さんは寂聴さんを「はあちゃん」と呼び、玲子さんも自然にそれにならっていました。講演に帯同することが増えた頃、「人前で『はあちゃん』『玲子ちゃん』では、おかしいので、先生と呼びましょうか」と提案したときの寂聴さんの言葉が印象に残っていると言います。
「『先生は、本人がいないときでも、自分一人のときでも先生と呼ぶ人のことよ。あなた、恭子ちゃんと話すとき先生って言う?』って。そこで、寂庵の主なので、私は庵主様と呼ぶことにしました」
唯一、”従妹の娘”に戻れた時間
玲子さんは寂聴さんを「次々新しいことに挑戦し続けた人。「馴れてはいけない」が口癖でした」と振り返ります。
執筆、講演、僧侶としての仕事のどれも一切妥協しない寂聴さんの姿に畏敬の念を抱く一方で、別の意味で驚かされることの連続だったと言います。
「『ついて来て』とだけ言われて京都や徳島に同行する際、瀬戸内には新幹線代や宿が必要という感覚がないんです。母も私もまず自腹で行き、後から費用を伝えるのですが、食事をさせておけばいいと思っている節がありました。
瀬戸内の実家は、お弟子さんを抱えていたのでその感覚が染みついていたようで。『私と一緒にごはんが食べられるのだから、ありがたく思いなさい』とまで……(笑)」
”従妹の娘“に戻れたのは、夜中に起こされて一緒に飲んでいるときだけだったと振り返ります。寂聴さんは夜通し執筆するので玲子さんに「寝てなさい」と言いつつ、深夜に「起きてる?」とお酒に付き合わされたことも数知れず。
「そのときは、従妹の娘だったんでしょうね」。
語り尽くせないほどの寂聴さんとの思い出
本書には収まらなかったエピソードもたくさんあります。
玲子さんは41歳のとき、徳島の寂聴さんの実家近くで、交通事故に遭います。寂聴さんも知らせを受けて病院に駆けつけてきたのですが……。
「けがの状態で医師は助からないと思っていたみたいです。それでも手術中に意識はあったので、瀬戸内は『大丈夫、大丈夫だからね、しっかりしてね』と声をかけてくれる一方で、『それで明日は私何するの?』『10時に〇〇の方が迎えに来ます』『そう。明後日はどこ行くのかしら』『四日市です』という感じで。医師から『一応手術中なので仕事の話は後にしてください』『すみません』なんて」
玲子さんは事故後、すぐに仕事に復帰。
「大けがした皮膚を守るため、私はシルクの服、大きな帽子、日傘、手袋と大女優のようないでたちで、瀬戸内が大荷物を抱え、どちらが秘書ですか、みたいな感じで二人で講演先を回っていましたね」
出家したのは更年期が理由?
なぜ出家したのか――。玲子さんの問いに寂聴さんの答えはいつも「わからない」だったそう。
過去の「ハルメク」のインタビューで、寂聴さんは「小説を書くにあたってバックボーンのようなものを固めたくて」「更年期のヒステリーではないかしら」などの理由を語っています。
「更年期、という理由はみんなが納得して便利だから、使っていたみたいです。でも理由はどれか一つじゃなくて、すべてが、つながっていたのだと思います」
玲子さんにとって、寂聴さんとはどんな存在だったのでしょう。
「秘書を離れて何年も経ちますが、今も瀬戸内から電話がかかってくるような気がしますし、この本を書いているときはいつも近くにいるように感じていました」
心に染みる言葉をたくさん残してくれたという寂聴さん。これまで知らなかった素顔をさらに深く知りたくなります。
『「出家」寂聴になった日』
百年舎刊 2475円
作家の苦悩の日々を、血縁者であり、秘書として支えた著者が描く評伝小説。装画=横尾忠則
取材・文=原田浩二(編集部) 撮影=masaco(長尾さん)
※この記事は「ハルメク」2023年2月号を再編集して掲載しています。