家族のために生きてきた私が、突然“恋”に揺れた理由

【体験談・54歳チフミの恋1】初めて恋をした私「このまま死んだら後悔するから」

【体験談・54歳チフミの恋1】初めて恋をした私「このまま死んだら後悔するから」

公開日:2026年05月17日

【体験談・54歳チフミの恋】初めて恋をした私「このまま死んだら後悔するから」

結婚27年、子育ても終わり、家庭にも不満はない…それなのに、心の奥に消えない空虚感。友人の突然の死をきっかけに、54歳チフミさんが“やり残したこと”の正体に気づくまでを語ります。前後編の前編です。

54歳、やり残したことは、恋だった!?

今、生まれて初めて「恋をしている」と感じています。せつなくて泣きそうになることもありますが、ようやく彼に会えて話したり、体を重ね合ったりしているとき、「私はこの人がいなければ生きていけない。この時間が永久に続いてほしい」と思うんです。

でも、それぞれ家に帰らなければいけない時間がやってくる。その繰り返しで1年がたちました。この1年は本当につらくて、でも本当に楽しくて幸せでした。とんでもないジェットコースターに乗って、真っ逆さまに落ちたり昇ったりしていたみたい。最近、ようやく少しずつ落ち着きを取り戻しているような気がします。

マイペースで穏やかな夫と結婚し27年

本ちゃん / PIXTA

結婚して27年になります。ああ、もうそんなに時間がたってしまったのかと思いますが、25歳と23歳になる2人の子どもたちが社会人になったのを見れば、自分の年齢も納得せざるを得ませんね。

夫とは親戚の紹介で出会いました。お見合いというほど堅苦しくはなかったけど、相手は4歳年上。当時は男性も30歳くらいまでには結婚するのが主流だったので、彼も少しは焦っていたのかもしれません。

ひょろりと背が高くて細くて、神経質な人なのかなと思いましたが、話し方がとても穏やかだった。

うちの父は、いつも怒鳴っているタイプだったんです。だから私は、大きな声を出す男性が苦手でした。独身時代は何人かと付き合いましたが、何かで相手がイラついて大きな声を出した時点で、私は二度と会いませんでした。

母が父にぶたれているのを見たこともあったから、どちらかといえば男性嫌いでした。大人になるにつれ、そんな父でも別れようとしない母にも苛立ちました。

私はちゃんと勉強して大学へ行って、一人でも生きていけるような仕事に就こうと思っていた。

でも意に反して、受かったのは短大だけ。浪人なんてとんでもないと親に言われ、短大を出て就職しました。

あの頃はバブル崩壊の時期でしたが、短大卒での就職だったから、なんとか採用計画に間に合った。四年制を出ていたら就職できなかったでしょうね。まさに氷河期世代のぎりぎりのところで社会人になれた。

ただ、私は仕事に生きがいを見いだせるタイプではなかった。もちろん、仕事は責任をもってやりましたが、あくまでも生活のためだとしか思えなかった。仕事に情熱はありませんでした。

仕事内容が合わなかったわけではなく、私自身、あまり情熱的な人間ではないのだと思っていました。恋愛も長続きしなかったし……。

だから27歳で結婚し、夫とも話し合って仕事を辞めました。会社の合併とかリストラとかが話題になった時代ですから、夫の勤務先に何かあれば私も働こうとは思っていた。

夫にそう言ったら、「きみは心配しなくていいから」と穏やかに笑ってくれました。

ああ、この人となら一生、こうやって穏やかな時間を紡いでいけると思ったのを覚えています。

なぜか…夫と二人きりだと心が固くなる

 shimi / PIXTA

その後、娘と息子に恵まれ、育児は大変だったけど楽しかった。私は家事も育児も苦になりませんでした。

子どもたちに安心安全なものを食べさせたいと、おやつもほぼ手作りしていましたが、友達の家でいただくものにまで干渉したことはないし。自分で言うのもなんですが、おおらかで鷹揚な子育てをしたと思います。

夫に言わせれば、「きみは小心者だから、子どもにさえ強い態度に出られないんだろ」ということになりますが。

親が強い態度に出ると、子どもは萎縮するというのが私の経験。だから夫にも、とにかく大声を出して怒らないでと頼んでいました。夫はそういう人ではなかったから助かりました。

夫は、子どもたちが何かしても怒らず、じっと目を見て話をする人です。子どもであっても理屈を言えばわかる、と。

それは私に対してもそうで、大声を出さない分、夫が「あのさ」と言うと、それはそれで体が固まりましたね。

結婚して10年もたってから、夫はそのことに気づいたようです。私が自分と二人きりのときに緊張しているように見えると。

確かに子どもたちと一緒にいるときは気持ちが解き放たれているのに、夫と二人きりだと心が固くなる。自分でもそう思っていました。

怖いわけではないんですが、なぜか緊張してしまうんですね。

夫は「君と僕は対等だよ」と何度も言ってくれ、私の意見をまず聞くようになりました。それでかなり楽になったところはあります。

私の育ち方の問題だと思っていたけど、夫婦関係にもそうやって暗い影を落としていたんです。育ち方、育てられ方は重要だと思いました。

なんとか主婦業をこなしていましたが、下の子が小学校高学年になった頃から、近所のスーパーでパートを始めました。

子どもたちは大きくなって、親より友だちといる時間が長くなるし、先を考えたら学費はまだまだかかるだろうし、少しでも私も稼いでおいたほうがいいなと思って。

月に8万円くらいでしたが、ほとんど貯金に回しました。おかげで2人の子どもたちを大学まで行かせられた。

更年期のモヤモヤと友人の死をきっかけに

 jessie / PIXTA(

家庭を築いてし、子どもたちを育て上げていった月日に後悔はありません。家族仲も悪くはないし、夫も相変わらず穏やかです。

ただ、下の子が20歳になった3年前、ちょうど私が閉経前後でもあったんですが、なんだかモヤモヤした気持ちがわいてきました。

子どもたちは自分だけで大きくなったような顔をしているし、夫は夫で我が道を行くマイペースぶり。

もちろん、子どもたちにいちいち親に感謝しろなんて思っていないし、夫がマイペースだから私も夫の顔色をうかがわずにすんでいるんですが、それでもなんだか「生きがい」みたいなことを考えてしまって……。

ちゃんと仕事をしていたわけではないから、仕事で評価されることはあまりない。パートも大事な仕事ですが、成果を出せるような仕事内容でもなかった。

没頭できる趣味があるわけでもなく、何かを命がけで自分のものにしたような情熱もなかった。

家族とは別に「自分の人生」を考えたとき、私には何もないと思ってしまったんです。

子どもを産み育てたことだけで立派だよと、独身を貫いている女友達には言われたけど、ないものねだりで、私は彼女のキャリアが羨ましかった。

理屈ではわかっているんです。私は仕事が向いてないと思って家庭に入ったのだし、それは幸せな年月だったと……。

でも何かやり残したこと、忘れてきた何かがある。そう思えてなりませんでした。

そんなとき、学生時代の仲良しだった友人の訃報が飛び込んできました。

驚きましたね。その彼女とは半年前にみんなで会って食事をしたばかり。それから1か月もたたずに急に具合が悪くなり、あっけなく亡くなってしまったんです。

膵臓ガンでした。見つかったときには余命3か月を宣告されたとか。こんなことがあるのかと、友人たちと泣きました。でも、それが現実なんだとも思いました。

私もいつそうなるかわからない。寿命ばかりは誰にも予想できない。モヤモヤした気持ちが膨れ上がりました。

私は何に飢えているのか、何を欲しているのか。本当は自分でわかっていたんだと思います。

「誰かに女として求められたい。自分がとろけるほど愛されたい。相手の一言で号泣してしまうような情熱的な恋がしたい。」

女として、「これが恋なんだ」「この人に巡り会うために生きてきたんだ」と思いたかった。

このまま死んだら後悔する。恋をしなくちゃ。愛して愛されて。私の情熱を引き出してくれる人を見つけたい。そう思って、既婚者向けのマッチングアプリに登録しました。

もちろん、最初は本当に会うつもりがあったわけではありません。でも、「このまま人生が終わってしまうのは嫌だ」という気持ちは、もう止められなくなっていたんです。


亀山早苗
亀山早苗

東京生まれ。明治大学卒業後、フリーランスのライターとして雑誌記事、書籍の執筆を手がける。おもな著書に『不倫の恋で苦しむ男たち』『復活不倫』『人はなぜ不倫をするのか』など。最新刊は小説『人生の秋に恋に落ちたら』。歌舞伎や落語が大好き、くまモンの熱烈ファンでもある。