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公開日:2018年12月12日
菅沼薫さんに聞く、50代からのメイク術
第18回までは、肌を健やかに整えるスキンケアについてお話ししてきました。第19回からは、肌を美しく見せるファンデーションについて掘り下げていきます。今回は、日本人の肌色へのこだわりとそのルーツを教えてもらいました。
意外に思われるかもしれませんが、実は顔の印象を決めるのは肌です。色ツヤ、シミ、シワなど肌全体の雰囲気で、人の顔は記憶されます。これは、顔のなかで肌の面積が最も広いため。目や口などのパーツ、ましてや目が二重か一重かというような記憶はあまり残っていません。
これは近しい人と相対して似顔絵を描いてみるとよくわかります。私も実際に体験したのですが、「目がこんなに大きかったんだ」など、長い付き合いなのに初めて気づいことが多々ありました。その人はもともと、肌がピチピチしたキューピーちゃんみたいなイメージを持っていたので、確かに印象は肌が中心(笑)。顔をまじまじと見る機会はあまりないし、新しい発見があって楽しいので、ぜひ試してみてください。
肌の印象が残るのは、日本人の肌色へのこだわりからかもしれません。日本人は黄色系、白色系と黒色系の中間色なので、色のバリエーションが多く、その色は環境によって左右されるなど複雑です。
たとえば白色系の人が日焼けすると、肌は赤くなった後、黒くならずに元に戻ってしまう人が多い。黒色系の人は赤くなりにくく、すぐに黒くなり肌の変化は少なめです。
黄色系の日本人が日焼けすると、赤くなってから黒くなる人がほとんどです。たまに赤くなっても黒くなりにくい人、あまり赤くならずにすぐ黒くなる人もいます。
また、生まれながらにソバカスの多い人や、日焼けすると赤くなって黒くなる人は、長年の紫外線による影響が履歴として残り、10年後、20年後にシミとなって現れることが多いようです。
日焼けする前はくすみやシミのない肌だったのですから、これらを隠して以前のような美肌に見せたいと思いますよね。この「隠したい」という意識が、日本人が肌色にこだわる所以のようです。
日本人の肌色へのこだわりや「隠したい」という意識は、近年になって派生したものではなく、かなり昔から根付いていたようです。
そもそも装飾としての化粧が始まったのは、大陸との交流で白粉や紅がもたらされた飛鳥時代(6世紀後半)からと言われています。鎌倉時代には武家階級から庶民にまで広がり始め、白粉、眉墨、紅の伝統的な日本の化粧が完成したのは江戸時代。
古き時代の化粧は、美しく見せるだけでなく、健康や地位を表すものでもあったようで、公家の人々は、顔色を悟られないため白粉を塗って肌を白く見せ、健康を印象づけるため赤い紅をさしていたそうです。肌が白いということは、外に出ない人、それは御簾の中にいる人、つまり高貴な人という表れであったとも言われています。
また、古くから伝わることわざの「色白は七難隠す」は、肌が白いと多少の欠点が隠れてキレイに見えるという意味ですし、江戸時代の小説の一種『浮世草紙』には「色の白いは十難かくすとて、生地にてかんにんのなる顔にも白粉をぬりくり」という一節があります。
このような古くからの文化意識を背景に、日本女性の肌色のこだわりは育まれてきたのです。
日本の女性がファンデーションにこだわるのには、肌の色の複雑さや文化意識だけでなく、環境と肌質も大きく関係しています。
肌質は人によって異なりますし、湿度の高い夏と乾燥する冬の異なる季節に対応しなければなりません。そのためには、色や製剤のバリエーションが必要ですが、日本の技術はさすがに素晴らしい! それを実現することができ、さらによりよく改良が続けられ、ファンデーションは進化を続けています。
さらに、日本人淡い色の認識力に優れていることも、肌色等の微妙な色の違いにこだわる理由とも考えられます。
そのこだわりの肌色を、もともとの健やかな状態に戻すよう整えるのがスキンケアであり、カバーして美しく見せるのがファンデーションです。次回は、そのファンデーションのしくみについてお話しします。
取材・文=田中優子
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