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2020年11月11日
素朴な疑問
こんにちは! 好奇心も食欲も旺盛な50代主婦、ハルメク子です。
久しぶりに銭湯へ行ったダンナさん、広い湯船や番頭さんとのおしゃべりを堪能したみたい。そうそう、銭湯といえば、壁に書かれた雄大な富士山。あの絵師って、日本に数人しかいないってうわさを聞きました。本当かしら? 気になったので、詳しく調べてみました!
日本の風呂の始まりは、仏教の沐浴(もくよく)だったといわれています。6世紀に渡来し国家宗教へと成長した仏教は、汚れを洗い落とすことを「仏に仕える者の大切な仕事」として、沐浴の功徳を説いたのだそう。
当時の寺院には、浴堂や大湯屋があり、家に風呂がない庶民たちに湯を施しました。こうした寺院の「施浴(せよく)」が、庶民に入浴の楽しみを教えたと考えられています。ただし、今でいうお風呂と違い、蒸し風呂と掛け湯というサウナのようなスタイルでした。
江戸時代の1591(天正19)年、伊勢与市という人が、現在の東京都千代田区、常盤橋付近にあった銭瓶橋(ぜにがめばし)のほとりに建てたのが、日本で最初の銭湯風呂といわれています。やがて「町ごとに風呂あり」といわれるほどに銭湯文化は広まりましたが、まだ大半が蒸し風呂でした。たっぷりの湯に浸かる「据(すえ)風呂」が登場したのは、江戸時代の初期とされています。
明治から大正時代にかけて、銭湯は徐々に変化していきます。屋根に作られた湯気抜きや、広い洗い場、水道式のカラン、板張りからタイル張りになった床や湯船など、機能面も衛生面も向上しました。当時は「改良風呂」と呼ばれ、評判になったそうです。
ところで、銭湯の壁絵といえば、ペンキ絵で描かれた富士山が定番だと思っていましたが、どうやらこれは、関東圏に限った話なのだそう。関西圏や地方では、タイル絵や富士山以外の壁絵が多いんですって(知らなかった!)。
初めてペンキ絵の富士山が描かれたのは、1912(大正元)年、東京都千代田区の銭湯「キカイ湯」が増築する際でした。「子どもたちに喜んでほしい」という思いから、壁絵を掲げることにしたといいます。
作画を担当した川越広四郎という画家は静岡県出身だったため、故郷の富士山を描きました。昔から縁起がよい富士山の壁絵は有名になり、次第に他の銭湯もまねをするようになったようです。
2020年現在、銭湯ペンキ絵師は、80代で最年長の丸山清人さん、兄弟弟子の中島盛夫さん、最年少の田中みずきさん(女性!)と、なんと日本にたった3人しかいないのだそう! ちなみに銭湯の壁絵は、2~3時間で仕上げてしまうそうです。
最年長の丸山さんは、キャリア60年以上、作品数は1万枚を超えるという大ベテランですが、今も全国の企業、学校、公共施設、子育て支援施設などで、ライブペインティングなどを開催しているそうです。いつまでもお元気でいてほしいですね。
銭湯のペンキ絵をよく見ると、隅に描いた年月や絵師のサインが記されていることがあるといいます。今度銭湯に行ったら、探してみようと思います!
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参照:THE GATE
イラスト:飛田冬子