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2020年05月22日
素朴な疑問
こんにちは! 好奇心も食欲も旺盛な50代主婦、ハルメク子です。
YouTubeを見ていたら、平野ノラが踊っていました。バブル時代にはやった「ソバージュ」「ボディコン」懐かしい! ただ、彼女が肩に掛けている大きな電話だけは、テレビでは見たことがあるけれど、当時はあまり見なかった気がする……。あの電話は何だったかしら?気になったので調べてみました!
肩掛けの大きな電話は、「ショルダーホン」といいます。初代ショルダーホン100型は、電電公社が民営化された1985年9月に、車外兼用型自動車電話として発売されました。車を降りても利用できるのが特徴で、重さは約3kg、通話料金は6秒10円、通話可能時間は40分、待受時間は8時間でした。
自動車電話のオプション扱いだったため、自動車電話の契約が必要でした。当時、契約には、約20万円の保証金と、毎月2万円以上の基本料金が必要だったそうです(何もかもか驚きの数字!)。
3年後の1988年5月、100型の発展形として、携帯専用型のショルダーホン101型が発売されました。重さは約2.5kgと少しだけ軽くなりましたが、通話料金、通話可能時間、待受時間、保証金や基本料金はほぼ変わらず。100型も101型も、一般に普及することはなく、工事関係や会社経営者など、必要な職業上たちが利用していたようです。OLらしきキャラクターの平野ノラがショルダーホンを持っているのは、あくまでもネタなのでしょう。
ショルダーホンが自動車電話の発展形だったのに対し、携帯電話には、また別の歴史があります。日本で最初の携帯電話は、1970年の日本万国博覧会で展示された「電話線不要のワイヤレステレホン」だったといわれています。
1987年4月、初めて一般向けの携帯電話「TZ-802型」が発売されました。重さは約900gで、肩ひもがない代わりに手を差し込むストラップが付いていました。小ぶりの国語辞典サイズだったため、「辞書型」とも呼ばれていたそう。やがて、契約者の増加に伴い、通信方法や端末の開発が進み、1989年2月発売の「TZ-803型」では、重さが640gまで軽くなりました。
1989年10月、セルラーグループ(現在のau)が「モトローラ・マイクロタック」という手のひらサイズの携帯電話を発売し、1991年4月には、NTTも「mova」で対抗しました。
1999年からは、「iモード」、「EZweb」、「J-スカイ(現Yahoo!ケータイ)」などの携帯電話からのインターネット接続サービス(携帯電話IP接続サービス)が開始され、12月には iモード契約数が300万台を突破しました。
2000年には、J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)から携帯電話では初のカメラ付き携帯電話が発売されました。
2004年には、ドコモiモード災害用伝言板サービスを開始され、また、携帯電話で買い物ができる「おサイフケータイ」といったオンラインサービスが利用可能となりました。今でこそ「ガラケー」(ガラパゴスケータイ)なんて呼ばれますが、当時は画期的でした。
2008年にiPhone、2009年にはAndroid搭載の「スマートフォン」が日本に上陸し、2010年4月には、NTTも「ドコモ スマートフォン」を発売しました。
ちなみに、「ケータイ社会白書2019年版」によると、2019年のスマホ利用率は83.5%、ガラケーは16.1%だそうです。
平野ノラが多用する「おったまげー」という言葉は、びっくりするという意味で、茨城県の「おったまげる」という方言が元になっているそう。そういえば、他にもバブル時代特有の言葉がたくさんありました。
例えば、「アッシー君」や「メッシー君」。女性が呼び出せば、夜中だろうが遠距離だろうが車で送迎してくれる男性がアッシー君、食事をおごってくれるのがメッシー君です。どちらも男性側だけが、ひそかに恋愛感情を抱いていました。
一方、高飛車で自信過剰、それでいてもてる女性は、陰で「タカビー女」と言われていました。つまり、アッシー君やメッシー君をアゴで使っていたのが、タカビー女というわけですね。
ワタシはタカビー女からは程遠いタイプでしたが、今は穏やかな家庭に満足しているのでよしとします!
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参照:ミドルエッジ
イラスト:飛田冬子