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2019年01月17日
素朴な疑問
昔からワタシが大好きなおやつに「干し芋」があります。小さい頃、ちょっぴりかたい干し芋をストーブであぶって、柔らかくして食べたなぁ。(懐かしい思い出)その干し芋なのですが、数年前に茨城県で丸干し芋(サツマイモをカットせずにそのまま干したものね)というものを食べて、その柔らかさと甘さにびっくりしてしまいました! あの味は、干し芋の概念が変わるおいしさでした。干し芋も進化していることにびっくりしたのでした。
そんな干し芋の起源についてなのですが、とても昔からあったに違いない。一体いつから食べられるようになったのでしょうか? 干し芋の歴史を紐解いてみたいと思います。
まず、干し芋の前に、日本でサツマイモが食べられるようになったのはいつからでしょうか?
『干しいも辞典』によると、今から400年前の1605年、中国・福建省から琉球(沖縄)にサツマイモは伝来しました。その後サツマイモは日本列島を北上し続け、250年後の1860年代には東北地方でも作られるようになったとか。
サツマイモは10℃以下では傷んでしまい貯蔵が難しかったため、古くから北国の農家では、保存食として自家製の干し芋が食べられてきたそうです。(農家さんの知恵ですね!)
一方、市場での流通が始まったのは、今から190年ほど前の静岡県遠州地方からでした(茨城県ではないんですね!)。農家の副業として干し芋が作られ、関東・甲信越、東北地方、北海道に出荷されていたそうです。
その後、干し芋の製法は1908年(明治41年)頃、静岡県から茨城県那珂湊(ひたちなか市)に伝わりました。干し芋を普及させた静岡県ですが、1955年(昭和30)頃からサツマイモに代わって収益の高い、メロンやお茶などへの作付け転換を進め、干し芋のシェアの座を茨城県に譲ったのでした。(今では全国生産の9割を茨城県が占めているそう!)
干し芋の現状について、明治時代から干し芋製造業を営んできた、茨城県ひたちなか市の干し芋専門店『大丸屋』に話を聞いてみました。すると、干し芋についてこのようなお話をしてくれました。
「原料や加工技術の向上で、今の干し芋は昔のものより随分柔らかくて甘くなっています。現在の干し芋の流行は、いろいろな芋の品種で作られているためでしょうか。うちではかなり前からたくさんの芋の種類を扱っていて、今は20種類の干し芋があります。うちのこだわりは土作りから徹底して管理し、無添加で安全安心な商品をお届けすることですね。畑の状態や栽培時の気象環境、干し芋製造時の気温や湿度、その後の保管方法で味に変化が出てくるんです。なので常に真剣勝負で干し芋づくりに挑んでいます!」
なるほど、ワタシが昔食べたときよりもおいしくなっていたのは、干し芋を作っている方のたゆまない努力の賜物なんですね。(芋好きを代表して、ありがとうございます! ぺこり)
大丸屋さんには20種類の干し芋があるそうです。(いずみ、紅姫、星こがね、ヘルシーレッド……聞いたことのない種類ばかりでした!)
今年の目標というか野望の一つに、全ての種類の干し芋を制覇するというものが加わったワタシでした(笑)。
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【参考文献】干し芋辞典(一般財団法人いも類振興会)
【協力】大丸屋
イラスト:飛田冬子