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- ハーブ研究家・ベニシアさんの夫・正さん、人生の秋に
NHK放送番組「猫のしっぽカエルの手」でその自然に寄り添ったライフスタイルが大反響を呼んだハーブ研究家、ベニシア・スタンリー・スミスさん。彼女の庭づくりの礎を築き、美しい写真と文章で伝えた夫の梶山正さんが、共に過ごした人生を振り返ります。
※このインタビューはベニシアさんの生前2022年当時のものです
“ベニシアと僕は、今やっと
本当に向き合えた気がする”
“今はただ穏やかに。
ベニシアと二人で生きていく”
あれから10年、ベニシアさんは徐々に目が見えにくくなり、その後、認知症によく似た脳の病気と診断されます。そんなベニシアさんを支えながら執筆活動を続けているのが、夫の梶山正さん。上記は、これまでを振り返り、梶山さんが語った言葉です。
波乱万丈な日々を経て、人生の秋を迎えた二人を、京都・大原に訪ねました。
【前編】ハーブ研究家・ベニシアさんの人生と遺した言葉たち>>>
ベニシア・スタンリー・スミスさんのプロフィール
1950年、イギリス生まれ。京都・大原で、ハーブ研究家、英会話学校「ベニシア・インターナショナル」主宰。NHK放送番組「猫のしっぽカエルの手 京都大原ベニシアの手づくり暮らし」で注目を集める。著書に『ベニシアのハーブ便り』『ベニシアの京都里山暮らし』など。2023年6月、72歳で逝去。
ベニシアさんの夫・写真家 梶山正さんのプロフィール
かじやま・ただし
1959(昭和34)年、長崎県生まれ。84年、ネパール・ヒマラヤトレッキング後、インドを放浪。帰国後インド料理レストラン「DiDi」開店。ハーブ研究家のベニシア・スタンリー・スミスさんと結婚後フリーカメラマンとして活躍。ベニシアさんの著書で撮影、翻訳を手掛ける他、山岳雑誌を中心に活動中。
大原の家も庭も、ベニシアが憧れたコテージそのもの
「ごめん、ちょっとまぶしかったな」
一面に田んぼが広がるのどかな里山。 朝の日差しに目を閉じたベニシアさんを気遣いながら、夫の梶山さんがゆっくりと車いすを押していきます。
8年ほど前から目が見えにくくなり、仕事を減らしてきたベニシアさん。その後、認知症によく似た脳の病気と診断されました。今は、一日のほとんどをベッドでうつらうつらと過ごしています。時折梶山さんを呼びますが、「ここにいる。大丈夫だよ」と応えると、安心したように、またまぶたを閉じるのでした。
ベニシアさんは1950年、由緒ある貴族の家に生まれ、ロンドン郊外にある寄宿学校に進学、聖歌隊で歌う楽しさに目覚めました。幼い頃から貴族のしきたりに違和感を持ち、在学中にフォークソンググループを結成、“音楽で世界を変える”という夢を抱きます。
「結婚は公爵以上と」と詰め寄る母や、映画「マイ・フェア・レディ」さながらのドレスに身を包んでパーティーをハシゴする生活に、疑問は強くなるばかり。19歳でインドを目指し、自分探しの旅に出たのでした。
5か月ほど瞑想道場で修行に費やしたベニシアさん。本当の幸せは自分の心の中にあること。また、それは決して物質的な豊かさだけでは得られないことなど、多くを学びます。これが、後に多くの人々の心に響く美しい言葉を紡ぎ出す原点になりました。
そして、さらに学びを深めるため日本へ。23歳で日本人男性と最初の結婚をして京都に落ち着き、英会話学校を開きます。
梶山さんがインドに渡ったのは、ベニシアさんの14年ほど後。ベニシアさんと同じように、自分探しの旅でした。
ベニシアさんと再婚、”終の住処”で育てた二人の夢
郊外の自然が豊かで静かなところを、と100軒くらい探し、ようやく見つけた“終の住処”。「ベニシアは、“ついに私が死ぬ家を見つけた!”とはしゃいでいました」
幼い頃、広大なマナーハウス(貴族の館)で乳母に育てられたベニシアさんは、いつも家族が一緒に過ごせて手作りの庭がある庶民のコテージに憧れていたそう。大原の家は、その憧れを形にできる理想的な場所だったのでした。
とはいえ、湿気が多い山裾にある庭は青々としたコケに覆われ、少しでも雨が降ると池のように水がたまる始末。梶山さんは、家の手入れが終わるや否や、ベニシアさんのために庭の大がかりな排水工事を決行します。
ベニシアさんも負けてはいません。本を読み漁り、専門家と見れば話を聞き、教えを請い……。後に梶山さんが“鬼のガーデニング”と評するほどの勢いで学び続け、同時に人脈も広げていきました。
二人三脚で紡いだ、大原での暮らしとレシピ
2005年、54歳のベニシアさんにハーブを使ったレシピの本を出さないかと声がかかります。ところが「ベニシアは、“ただの料理本ではなく自分の人生のことを書きたい”と言うんです」(梶山さん)
華やかでも退屈な貴族の暮らしを捨て、インドでの瞑想修行を経て、大原の自然の中に安住の地を見つけたベニシアさん。その経験から学んださまざまなことを、たくさんの人に伝えたい、という強い思いがほとばしった瞬間でした。
そうして初めての書籍『ベニシアのハーブ便り』(世界文化社刊)を上梓。ハーブを日常に取り入れるさまざまなレシピはもちろん、四季折々の美しい写真を織りまぜて大原での暮らしをつづったエッセーは、たちまち人気になります。
撮影、翻訳、文章の構成を担う梶山さんとの二人三脚で、その後もベストセラーを連発。テレビ番組「猫のしっぽ カエルの手」が放送されると、さらに多くの人の支持を集めました。
もがきながら、やっと見つけた「二人の生き方」
しかし、夫婦としては決して順風満帆ではなかったと梶山さんは明かします。ベニシアさんは梶山さんと結婚するとき、前の夫との間の子どもが3人いました。
「ベニシアの家族だからうまくやろうと思ったし、努力もしたけれど……」。
次女は発達障害があり、若くして未婚で妊娠・出産後に統合失調症を発症。そのサポートは梶山さんにとって思いがけない負担でした。
さらに、そんな娘への対応もそこそこに、何があっても庭とハーブと仕事を優先するベニシアさん自身にも我慢できなくなり、家を飛び出したこともあったそうです。
なんとか家には戻ったものの、不満は小さくくすぶり続けます。梶山さんはあえてベニシアさんらから一歩離れた立場の“傍観者”となることで、その不満から目をそらし、波風を立てない道を選んだと言います。
梶山さんの、そんな冷めた視線を変えたのは、皮肉なことにベニシアさんの病気でした。
65歳を過ぎた頃から「目が見えにくい」と訴えるようになったベニシアさん。いくつもの病院を回り、最後に大学病院で下された診断は「PCA(後部皮質萎縮症)」という脳の病気でした。病気は徐々に進行し、やがて家事はおろか、あんなに情熱を注いだガーデニングも、さらには歩くことさえ難しくなっていきました。
ある日ベニシアさんは、一緒に散歩したりスーパーに買い物に行くときは、腕を組むか手をつないでゆっくりと歩いてほしいと訴えます。
“あんなにたくましかったベニシアが僕を頼っている”そう気付いたとき、梶山さんの中で長年くすぶり続けたわだかまりが、するすると解けていきました。
「人間は一人で生きて一人で死んでいくのだとずっと思っていました。でも今は違う。大切な人と出会い、夫婦になったら最後まで二人で生きていくんだと思います」と、やわらかな表情でベニシアさんを振り返る梶山さん。
「彼女が僕を必要としているだけじゃなく、そんな彼女を僕は精神的に頼っている。こんなふうになって、ようやく僕はベニシアと正面から向き合えた気がしています」
取材・文=松尾肇子(ハルメク編集部)、撮影=林ひろし、梶山正
この記事は、雑誌「ハルメク」2023年月7月号を再編集しています。
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