99歳まで命を燃やし続けた生涯を振り返る

【追悼】瀬戸内寂聴さんの生き方と言葉

公開日:2023.11.16

作家・瀬戸内晴美として、愛や芸術に人生を燃やす女性たちを描いた小説を数々発表し、51歳で得度。仏道に入ってからは、法話を通して人々の悩みに耳を傾け、自らの言葉を伝えながら、執筆活動を続けた瀬戸内寂聴さん。その生涯と遺した言葉をご紹介します。

瀬戸内寂聴さんの生涯

瀬戸内寂聴さんの生涯
2012年、京都・嵯峨野の寂聴さんの庵「寂庵」の庭で撮った1枚。雨が降り出す中、取り出したマイ傘は、鮮やかな赤紫の番傘でした

四国・徳島市の出身である寂聴さんは、太平洋戦争のさなか、20歳でお見合い結婚しました。当時のことを本誌でこう語っています。

「戦時中、私は夫がいる中国に渡り、終戦を北京で迎えました。そして故郷の徳島に引き揚げると、駅で知人と出会い、『お母さん、防空壕で亡くなったのよ』と言われたんです。そこで初めて母の死を知りました」

帰国後、年下の男性との恋愛が原因で離婚。このことが作家として生きてゆく機縁となり、女流文学賞を受けた私小説『夏の終り』、愛と芸術に生きる女性を描く伝記小説『かの子撩乱』『美は乱調にあり』など話題作を発表。自立した新しい女性の生き方を瑞々しく描き、多くの女性読者から支持されました。

瀬戸内寂聴さんの生涯

そして51歳のとき岩手県の中尊寺で得度。その理由を本誌でこう明かしていました。

「出家自体、もともとは自分のためにしたことです。その頃、人間が及ばない力のようなものを感じていて、小説を書くにあたって、バックボーンのようなものを固めたいと思っていたのです。(中略)その結果、天台宗の根本である『忘己利他(もうこりた)』、本当の仏教は自分のためではなく、人のために何かをしなければならないということがわかってきたのです」

修行を経て、「人のためにもっと何かをしなければと、出家者の義務として動くようになった」という寂聴さん。京都・寂庵をはじめ各地で法話を行い、多くの人の苦悩に耳を傾け続けました。

また東日本大震災後は、義捐金と自らのお金を合わせて被災地を支援。当時のインタビューで「今はどん底かもしれませんが、どん底の下はない。絶望せず、あとは上がっていくだけだと信じること、それが希望になるのです」と語っていました。

瀬戸内寂聴さんの生涯

88歳のとき、背骨の圧迫骨折で半年間の寝たきり生活を送り、その4年後には腰椎を圧迫骨折。さらに93歳で胆のうがんの手術を受けましたが、療養後は執筆や講演活動を再開。2017年には、自らの老いや闘病を題材にした長編小説『いのち』を刊行しました。

95歳を迎えたとき、「背骨が丸くなり、目も片目しか見えなくなり、ペンを持つ指も曲がってしまいました。でも、最期の瞬間まで書いて、命を燃やしたい」と、本誌に打ち明けていた寂聴さん。その言葉通り、見事に命を燃やし尽くした生涯でした。

瀬戸内寂聴さんの軌跡

瀬戸内寂聴さんの軌跡

1922年
5月、徳島市の神仏具商の家に生まれる。本名・晴美。

1943年
東京女子大学在学中に見合いし、結婚。夫のいる中国・北京に渡る。

1946年
日本に引き揚げる。

1948年
年下男性と恋愛し、京都に出奔。

1950年
協議離婚。作家生活に入る。

1957年
初の短編集を出版。「女子大生・曲愛玲」第三回新潮社同人雑誌賞を受賞。

1963年
私小説『夏の終り』で女流文学賞受賞。

1973年
中尊寺で得度(とくど)。

1974年
京都・嵯峨野に「寂庵(じゃくあん)」を結ぶ。

瀬戸内寂聴さんの軌跡

1987年
岩手県浄法寺町(現・二戸市)天台寺の住職となる(〜2005年)。

1992年
一遍上人を描いた『花に問え』で谷崎潤一郎賞受賞。

1996年
『白道』で芸術選奨文部大臣賞受賞。

2001年
『場所』で野間文芸賞受賞。

2006年
文化勲章受章。

2011年
『風景』で泉鏡花文学賞受賞。

2021年
11月9日、京都市内の病院で死去。

寂聴さんの言葉の数々

寂聴さんの言葉の数々

11月9日、99歳で人生の幕を閉じた瀬戸内寂聴さん。これまでハルメク本誌で語られたインタビューから、寂聴さんの「生きる姿勢」をひもといていきます。

その日、その日を拙に生きる

私はどれほど健康な人でも、賢い人や高僧であっても、最後はぼけてしまった人を何人も見てきました。年をとると、体が心の滋養にはならなくなる。自分がどのように老いて死ぬか、私たちは誰もわからないのです。それはやはり恐ろしいことです。

だからこそ、私たちは、明日はないと思って、「今日は努力したな」と眠り、朝に目が覚めたら「あぁ、まだ生きている」と感謝して、その日、その日を拙に生きる、それしかないのです。

(ハルメク2011年7月号より)

愛情とは利子のつかないもの

感謝の言葉がないという恨みごとや、年を取ってから子どもに頼ろうといった気持ちは捨てること。というのも、誰かのために何かをするときは、自分の中でもまた、義務ばかりでなく、そのことを喜びにしていたはずだからです。

10をしたから、12返してほしいというのはさもしいのであって、愛情とは利子のつかないもので、与えたら与えきりの無償のもの。それを慈悲というのです。

(ハルメク2012年8月号より)

寂聴さんの言葉の数々

人生にはマサカという坂がある

人生は本当に山あり、谷あり。坂もいっぱいありますが、その中にマサカという坂があります。私たちはある日突然に、そのマサカに行き当たる。「まさか!」ということが起きるんです。(中略)

仏教の根本思想は「無常」です。生々流転、すべては変わっていくのです。幸せなことは続かないとマサカの覚悟をしつつ、もしマサカの坂に行き当たったら、「無常」という言葉を思い出してください。同じ状態は続かない。すべては流れて動いているというのが無常、「常ならず」です。いいことはきっとまた起こるのですから。

(ハルメク2013年9月号より)

今という貴い瞬間をしっかり生きる

私、法話では三途の川をこんな笑い話にしているんです。「今はね、高齢者人口が増えて、渡し船じゃ入りきらないからフェリーよ」って。向こう岸には、前に死んだ人が並んでいて、「あら、遅かったわねー」なんて言ってくれて、その夜は歓迎パーティーを開いてくれる(笑)。

そんなことあり得ないと思いますけどね。でもその通りかもしれないし、行ってみないとわからない。なんとでも想像できるでしょう。結局、誰も知らない死後のことより、今という貴い瞬間をしっかり生きることが大切ということです。

(ハルメク2018年1月号)

寂聴さんの言葉の数々

いろんな人とのつながる幸福

私にとっての幸福はもちろん書くことではありますが、もう一つ、いろんな人とのつながりもあると思っています。普段は体力の許す限り、年齢や考え方の違う人たちと積極的にお話をするようにしています。

誰だって自分と同じタイプの友人と一緒にいるのが心地よいものです。でも、自分と違うタイプの人との交わりを通して、人生という難題を乗り越えるための新たな視点が養われます。

(ハルメク2018年1月号より)

苦労なときこそ、1日1回は笑う

子どもが無邪気に遊ぶ姿は、見るだけでこちらも笑顔になって、思わず笑いますよね。(中略)笑いは探せばいくらでもあるのですから、苦労なときこそ、1日1回は笑うようにすることです。     

(ハルメク2011年7月号)

構成=五十嵐香奈(編集部) 撮影=中西裕人

※この記事は「ハルメク」2022年2月号を再編集して掲載しています。

 

ハルメク365編集部

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