50代おひとりさまが本当に望む暮らしを求めて地方移住。小さく働き、豊かに暮らす術
2024.12.232018年07月03日
内向的だった私が生まれ変わる決断&挑戦ストーリー
歩いたら人生変わった!
離婚後、子育てや仕事に奮闘し、そして迎えた子どもの自立。いつも日課のウォーキングが気持ちを前向きにしてくれました。今は一人暮らしを満喫中。50代を楽しんでいる様子やこれからの生き方をお伝えします。今回はウォーキングが日課となった理由です。
サイッテーの30代、歩いてはじけた40代
毎日欠かさないウォーキング。毎朝4時30分から駒沢公園の1周約2キロメートルを2周、これを雨の日も。歩くと体調もよくなりますが、それよりも気分が前向きになるんです。同じような人が他にもけっこういて、挨拶するうちに顔見知りになり、毎朝「今日も歩こう!」と楽しみになりました。
なぜ歩き始めたのか、それによってどうなったのかをお話ししますね。30代半ばから、夫との関係の行きづまりに合わせるように、子宮内膜症になり悪化しました。過多月経と貧血に悩まされ、行動半径はせいぜい500メートルほど。子育てしながらもんもんとした数年間でした。
そんな時、実家の母が風邪を引き、そのウイルスが脊髄に入ったとかで突然立てなくなりました。父が看病し、私も下の娘を連れて時々入院先に行きました。その度に「立ちたい、歩きたい」と言う母。ある朝、祈る思いで近くの駒沢公園を歩いていました。私が歩けば、母もそうなれるんじゃないか、と。
結局母は立てないまま数年後に亡くなりましたが、歩くことで私はぐんぐん元気になり、結果的に母が助けてくれたと思っています。
自分の人生って?
内向的な性格で、今までまわりがすすめるままに進学先や就職先も決めて、結婚もしてきました。まったく自分に自信が持てなかったんです。それが歩き始めたら、なんだか自分の足で歩けるんじゃないかと思い始めました。
その頃読んだ曽野綾子さんの本に「腐ったメロン」という言葉があって、私の家庭、私のことだと思いました。世田谷のマンションの専業主婦。世間体はいいけど、幸せの実感はなかったんです。
歩いて、歩いて、ある朝出した結論は、離婚。
44歳。イチから始めて。
25歳で結婚。19年間の専業主婦。離婚は怖かったです。在宅で添削業務をしていた教育会社が、正社員として拾ってくれたものの、できることは知れています。会社へは雑巾持参で、始発で通いました。朝は得意ですし、掃除ならできますし。
息子と娘、3人でアパートに引っ越した翌日の朝日が、とてもまぶしかったのを覚えています。「こんな私でもできた。今日は私の独立記念日だ」と。がむしゃらでした。
会社ではその後、事務から営業に移り、お客様のウォーキングイベントにも毎回参加。写真は2017年、80歳の先輩社員と仙台を歩いた際のものです。
次回は子どもの自立などを迎えた50代の話をします。