50代おひとりさまが本当に望む暮らしを求めて地方移住。小さく働き、豊かに暮らす術
2024.12.232019年05月06日
備えあれば憂いなし
59歳からの1人暮らしー食品の備蓄
50代で遭遇した6人との死別。夫や妹、友人を交通事故やがんといった病で亡くし、大きな悲しみから立ち直っていく経験談。今回は過去の災害経験と、防災のための食糧事情についてのお話です。
「平成5年8月豪雨」での被災
1993年、当時、夫の転勤で私たち家族は鹿児島で生活していました。
そして「平成5年8月豪雨」という水害を経験しました。
71名の方が亡くなり約17000戸が浸水、損壊した豪雨災害でした。
豪雨により近くの甲突川(こうつきがわ)が氾濫し、道路はオートバイやバス停の標識がどんどん流れていきました。
我が家はマンションの4階だったので被害は車だけで済みました。
当時、ガスは数日で復旧しましたが水道が使えるようになるまで1週間かかりました。真夏に電気が使えたことは幸いでした。
街中に水に浸った家具や布団などのゴミがあふれていました。衛生状態も悪かったです。
平成は大きな災害が続いた時代でしたが、自然災害が起きるたびに当時の恐怖や不安、日本中からの支援を思い出します。
「東京防災」を読んで
2015年、東京都には「東京防災」という防災ブックが全戸に配布されました。
地震が起きたときの注意や日頃からできる防災対策や事前準備、災害にあった場合の心得などがまとめられた本です。
この東京防災は1人暮らしになってから手元に届きとても参考になりました。大きな被害を免れても、普通の生活ができるようになるまで時間がかかります。
鹿児島の水害で私達は大きな被害はなかったけれど不自由な生活を経験しました。2011年の東日本大震災後も計画停電や物がない時期がありました。今できることから始めようと思い実践していることがあります。
ローリングストック法
その一つがローリングストック法です。
ローリングストック法とは日頃保存のきく食材を多めに家に置いておき、消費期限が切れる前に日常使いをしていく。古いものを消費したら必ず補充していくという方法です。
東京防災を見ながら災害用にと準備していたものですが、熱が出たときやめまいがひどかったときにもこの備蓄食料は助かりました。また、急に子ども家族や友人が食事をすることになったときも買い物に行く必要がないので便利です。
備蓄用の食品
水害にあったときは水が一週間使えなかったことが一番不便でした。
今は常にペットボトル10本をストックしておき、古い方から少しずつ入れ替えて使っています。
他に用意しているものは主食になる米や餅、パスタや乾麺、カップ麺、お好み焼き粉など。
カレーや牛丼、中華丼やお粥のレトルト食品。
フリーズドライの汁物、乾燥わかめや海苔、高野豆腐などの乾物。
鮭やさば、ツナや大豆、トマトや果物といった缶詰。
グラノーラやクラッカー、ゼリーにチョコレートやあめ、煎餅などの菓子類。
玉ネギやニンジン、ジャガイモなど保存のきく野菜、梅干や塩昆布、みそなど塩分のとれるものも意識しています。体調が悪くなったとき用にパスタやうどんといった麺類などの冷凍食品もストックしています。
食品以外の日用品
鹿児島では水やガスが使えない期間、マンション内で仲の良かった家族が一緒に食事をすることが多かったです。各家庭から食料品を持ち寄って生活しました。
カセットコンロとボンベは必需品でした。ラップは食器を洗わなくていいようにお皿にまいていたのでこちらも予備を置いています。東日本大震災のときは乾電池とトイレットペーパーがなくて困ったので多めに用意しています。スマートフォンの充電器はこれから用意しようと思います。
災害に遭わないことを願いながら、消費期限をチェックし消費と補充をしています。
この頃、生き物が家にいると和むことに気づきました。次は、半年一緒に暮らしている「金魚」についてお話しします。