日本一のフローリストが教える花の命と感性の磨き方
2023.10.242023年10月19日
日本一のフローリストの花と向き合う人生#1
新井光史さん|人生の節目を彩る花を作り続けて40年
老舗花屋 ・第一園芸のトップデザイナーであり、日本一のフローリストの新井光史さんをご紹介します。ブラジルでフローリストとしての人生を歩み始めたという異例の経歴を持つ新井さん。現在に至るまでの歩みを伺いました。
第一園芸・新井光史さんのプロフィール
あらい・こうじ。第一園芸のトップフラワーデザイナー。1960(昭和35)年生まれ。花の生産者としてブラジルに移住後、花で表現する喜びに目覚める。2008年ジャパンカップで受賞、フローリストとして日本一に輝く。国内外で幅広く活動中。近著に『季節の言葉を表現するフラワーデザイン』(誠文堂新光社刊)。
引き込まれるような新井光史さんの作品
草花の息吹、そよぐ風を感じ、圧倒的な色彩にぐっと引き込まれるフラワーデザイン作品。手がけたのは、老舗花屋・第一園芸のトップデザイナーとして活躍する新井光史(あらい・こうじ)さんです。
新井さんは、ウェディングやパーティーの装飾、オーダーメイドアレンジメントの依頼の他にも、国内外におけるデモンストレーションやワークショップなどを手掛けてきました。
イベント用のお花と聞くと、とにかく豪華絢爛な作品を想像する方も多いかもしれません。しかし、新井さんの作品は「華やか」なだけではない魅力を感じさせられます。
「もし若冲が生きていたら…」遊び心のある作品
上の写真の作品は「もし、江戸時代の画家『伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)』が令和の今、生きていたら」と、新井さんが想像して制作したもの 。左は、アーティフィシャルフラワー(造花)、対して右は生花が素材です。
「若冲が生きていれば、こんな作品を作ったかもしれないと妄想して制作しました。素材は人工物と生きた花で全く異なりますが、きっと若冲ならそれぞれの美しさに刺激を受け、素材にはこだわらず作品を作ったはず」と新井さんは楽しそうに語ります。
花を贈る相手が喜ぶように物語を紡ぐ
「花は神の創造物とも言えるぐらい、もともと完成されたものです。だから、よほど変なことをしない限りは美しいものは出来上がります(笑)。花は人に喜びを与えるために咲いているわけではないですし、そんな花の命を頂戴するのだから、花の一輪一輪の魅力が伝わるようにしたい。そのためにも花を贈る相手がどんな人か、その人が喜ぶためにどんな物語を紡ぐか考えるようにしています」
新井光史さんがハルメク365の動画レッスンに出演し、ブーケを制作した際にも、映画「シャレード」でオードリー・ヘップバーンが演じたレジーナに贈ることを想像した白いバラのブーケ、映画「プラダを着た悪魔」に登場する編集長を演じたメリル・ストリープに贈る大人の色気を感じるブーケを制作してくださいました。
「このような作品は想像上の人物やシチュエーションで自由に考えますが、ウェディングやパーティーといったイベントにはさまざまな好みや望みを持った現実のお客様がいらっしゃいます。フローリストは、うれしいときにも悲しいときにも花を作って、人生の節目に関わっている職業。そんな大事な瞬間に、自分が作ったもので喜んでもらったり、役に立ったりしている実感があるからこそ、今日まで続けてこれたと思います」
40年以上花を生業にし続けている新井さんですが、意外にもこの世界に入った理由は「花が好きだったから、という訳ではない」と話します。
何者かになりたくてブラジルへ飛び出した20代
新井さんが、花の世界に飛び込んだのは24歳のときのこと。1980年代の好景気に湧いていた日本でサラリーマンとして働いていた新井さんは、「何者にもなれない自分を抜け出す」ためだったと振り返ります。
海外に行くための手段として、JICA(1984年当時の国際協力事業団)でバラ栽培の農業研修を経験。ブラジルへ飛び立ち農園で働くも、オーナーから「街に出て働いた方がいい」とすすめられ、花屋で働き始めます。
「せっかく生まれてきたんだから自分にも何かできるんじゃないか、って思ってたんですよね。当時の日本は景気が良かったから、帰ってきても何とかなるかなと楽観的でもありました(笑)。良いも悪いも先入観を持たずに、とりあえずやってみようというスタンスは今も大事にしています」
当時、花束の作り方も、花の種類もわからない中で働き始めた新井さんは、見よう見まねでフローリストの技を習得。言葉が通じない相手でも 、花を通じて表現して喜んでもらうことの楽しさに目覚めた新井さんは、サンパウロにあるセレブリティ向けの花屋へと職場を移し、さらに腕を上げました。
2店目のお客様には、ラテンの激しい色調ではなく淡い色合わせだったり、生け花の基本的な構成要素など、日本の美意識を取り入れたデザインがとても評判がよかったそう。
「海外に出たからこそ気付いたことですが、自分が日本人ならではの感性を持ち合わせていて、だからこそ認めてもらえたことに驚きましたね」
何者かになりたいと飛び出した新井さんが、ブラジルで始めたフローリストとしての人生。花を通じて人を笑顔にする喜びに目覚めたことに加え、自分が日本人であることによって持ち合わせた美意識に気付くきっかけになりました。
そして西洋がルーツのフラワーデザインをベースに、素材そのものの良さを最大限に引き出す日本の生け花の要素を取り入れた、新井さんならではの作品の世界観が生まれたのです。
3年後に帰国して以降、第一園芸でフローリストとして働いてきた新井さん。2008年には、フラワーデザイン競技会「ジャパンカップ」にて優勝、内閣総理大臣賞を受賞し日本一に輝きました。
新井さんの挑戦は続く!フランス大会にも出場
60歳で定年となった新井さんですが、今も第一園芸のトップデザイナーとして働き続けています。2023年には、フランスロワール地方で行われた花の世界大会アート・フローラル国際コンクールに日本代表として、チームを率いて出場。活躍の場を広げています。
「5位という残念な結果でしたが、勝ち負けがつくのはやっぱり面白いですね。勝ったら勝ったで負けたら負けたで感情が起こる。何が足りなかったのか、自分と向き合うきっかけにもなりますから。
次回は、花を生業とする者が避けられない「花の命と向き合う」ことについて、「忘れられない思い出」として新井さんが語った“ある出来事”をお伝えします。
取材・文=竹上久恵
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