素朴な疑問カーネル・サンダースおじさんて、どんなひと?

公開日:2018/09/15 更新日:2020/10/11
カーネル・サンダースおじさんて、どんなひと?
カーネル・サンダースおじさん

 

こんにちは! 好奇心も食欲も旺盛な50代主婦、ハルメク子です。

 

ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースおじさんってどんなひと?って聞かれたら、どう答えますか? (誰がそんなこと聞くの?というのは置いといて笑)

 

そう、ケンタッキーのお店の前にいつも立っているあの人形のおじさん。クリスマス時期にはサンタクロースの服を着たりして、なかなかユニークなキャラクターですよね。

 

でも、どんな人? と聞かれるとよく知らないですよね(笑)。ワタシが覚えてることといえば、1985年に阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝したときに、当時の主砲ランディ・バースに似てるからと、虎ファンたちがサンダース像を胴上げしてそのまま道頓堀川に投げ込んでしまった事件。それ以来、阪神は成績が低迷して「カーネル・サンダースの呪い」といわれていたそうです。

 

ほほう、なかなか面白いことになってきたわ。サンダースおじさんがどんな呪力を持っているのか? このハルメク子探偵が調べて差し上げるわ。(エッヘン)

 

えっと、なになに。カーネル・サンダースおじさんはなんと65歳でケンタッキーのフランチャイズをはじめたんですって!(いきなりスゴイじゃない)

 

それまでの人生も波瀾万丈で、農場から車掌、判事助手やタイヤ屋など、40種類以上(!)の仕事をしてきたそうです。なぜそんなにいろんな仕事をしてきたかって?

 

原因は……本人の気の短さみたい。あのトレードマークの笑顔からは想像もつかない位に短気だったらしいのです。(へぇー)

 

そんなカーネル・サンダースが起業したのは35歳の時。ガソリンスタンドの経営でした。そのガソリンスタンドの一角で物置を改造した6席の「サンダース・カフェ」を始めます。そのカフェが、現在のケンタッキーフライドチキンの始まりだったんですって。

 

その後、不遇が重なって店舗を失ったカーネル・サンダースは、秘伝のフライドチキンのレシピを教える代わりに、チキンがひとつ売れたら5セントを貰うという全く新しい形のフランチャイズビジネスを始めたんです。

 

この新しい形のフランチャイズビジネスは、その後世界中の経済に大きな影響を及ぼしたのはご存知のとおり。

 

その後、ケンタッキーフライドチキンのお店は、世界中に広がり(1979年当時6000店舗)カーネル・サンダースは秘伝のレシピを世界中のお店に教えに回っていて、日本にも3回ほど来ています。ワタシもカーネル・サンダースが日本に来てた時、テレビで見たことを覚えています。

 

ちなみにカーネル・サンダースは日本びいきだったらしく、1980年に90歳で亡くなる前の最後の訪問国は日本だったそうです。カーネル・サンダースは、日本のケンタッキーは自分の教えを忠実に守っているから一番美味しい!と言っていたそうですよ。ということは、日本のケンタッキーが世界で一番おいしいということ?(ウフフ)

 

というわけで、カーネル・サンダースはケンタッキーフライドチキンの創業者でもあり、新しい形のフランチャイズシステムをこの世に広めたスゴイ人でもあるということがわかりました!

 

それと、ものすごい努力家だけど、特に呪力は持ってなかったようなので、「カーネルサンダースの呪い」は単なる都市伝説だと思われます!(ハルメク子探偵ないとすくーぷ調べ)

 

 

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イラスト:飛田冬子 

 


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