
50代から「英語の学び直し」♪
「英会話ができるようになりたい」と、50代から英語を学び直す方が増えています!スキマ時間で簡単に英語学習ができるおすすめの方法は?
公開日:2019年07月16日
素朴な疑問
お父さんが夕食のときに、「今度の休みにボウリングに行かないか?」と一言。なんでも、会社で昔のボウリングブームの話題が出たとか。お父さんも、学校が休みになると友達同士でボウリング場に通っていたらしいです。
もっと詳しく知りたくなったので、ボウリングブームに調べてみることにしました!
ボウリングブームが起こったのは、昭和30年代の後半から40年代の前半にかけてのこと。TVの各放送局では、ゴールデンタイム(19時~22時)には毎日のようにプロボウラーの試合やボウリングの番組を放送。女子プロボウラーが主人公のドラマ「美しきチャレンジャー」は、大人気となりました。ボウリングブームの盛り上がりにともなって、全国に約3700か所のボウリング場ができると、土日には2~3時間待ちの行列ができたほか、その行列が深夜まで続くこともあったとか。一時の盛り上がりというよりもはや社会現象だったのですね!
このボウリングブームの中でカリスマ的な存在だったのが中山律子さん。
当時のボウリングブームを知っている人の中には、中山さんが出演した「律子さん、律子さん、中山律子さん~」というシャンプーのCMソングを覚えている方がいるかもしれません。「さわやか律子さん」が、CMのキャッチフレーズでした。
中山さんは22歳のころ、友人に誘われて初めてボウリングをしました。当初からボールにスピードがあることを自覚していたようです。バレーボールをやっていたことで下半身や手首が鍛えられていたのがよかったのか、ぐんぐんスコアが伸びていき、ボウリングの道に進むことを決めたそうです。アマチュアのボウラーとして1966(昭和41)年九州大会で準優勝、1967(昭和42)年全日本オープン選手権で準優勝しました。
1968(昭和43)年に、東京タワーボウリングセンターにスカウトで入社。翌年に開催された女子プロテストでは、2位で合格を果たしプロ入りすることになります。プロになった後は、女子プロ誕生記念大会や全日本女子プロボウリング選手権大会で優勝するなどして、ぐんぐんと頭角を現していったそうです。
1970(昭和45)年には、テレビ朝日の「レディズ・チャレンジボウル」番組中に、女子プロとして初の公認パーフェクト、つまり12回連続でストライクを出すという快挙を成し遂げます(すばらしい~!)。
実はボウリングブームが一気に盛り上がったのは、この番組がきっかけだったともいわれているんですよ。
その後、オイルショックの影響による景気後退などによってブームは衰退していきますが、中山さんは女子プロボウラーを続けながら、ボウリングの普及活動にも力を入れるようになります。
日本の女子プロやアマチュアボウラーがトーナメント形式でスコアを競うTV番組「ボウリング革命 P★League(Pリーグ)」の立ち上げにも参加。現在は、日本プロボウリング協会とジャパンレディースボウリングクラブ(JLBC)の名誉会長として活動されています。
一時はすっかりブームが去ったといわれたボウリングですが、最近は家族3世代で楽しめるレジャーとして人気が復活しているらしいです! ウチの近所のアミューズメント・パークにもボウリング場ができたんですよ。
ボウリングブームについて調べていたらワタシも久しぶりにやってみたくなりました。お父さんの提案通り休みの日に家族で行ってきます!
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参照:株式会社マザーランド
イラスト:飛田冬子
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