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公開日:2022年03月16日
素朴な疑問
こんにちは! 好奇心も食欲も旺盛な50代主婦、ハルメク子です。
最近、近所に新しいパン屋さんができて、焼きたてのパンを食べるのが朝の楽しみになりました。次々に新しいパンが登場する中、常に人気なのは定番のあんぱんです。おいしいですもんね!
ところであんぱんにはおへそ部分にゴマやケシの実のようなものがトッピングされていますよね。あれは本当は何がのっているの? この際あんぱんについて調べてみようと思います!
あんぱんを世に生み出したのは、明治2年(1869年)に創業した老舗のパン屋「木村屋總本店」だそうです。木村屋と言えば、銀座本店の他にも都内や関東エリアの直営店、そして全国のスーパーやコンビニでよく目にするおなじみのパン屋さんですよね。
そもそもパンが日本に入ってきたのは安土桃山時代。ポルトガルの宣教師によって伝えられました。しかしその硬くてパサパサした食感は、日本ではなかなか受け入れられなかったようです。
そこで木村屋の創業者、木村安兵衛が失敗を繰り返し考案したのが、酒まんじゅうに使う酒種でパンを作り、中にあんこを包んだあんぱんだったのです。こうして明治7年(1874年)、木村屋の「酒種あんぱん」が発売されました。
酒種の酵母菌で発酵させて作るあんぱんは、製造に10日以上もかかったのだとか。1個5厘と当時としては高価なものだったにもかかわらず、1日に1万5000個も売れた大ヒット商品となったようです。
そして当時、明治天皇に仕えていた山岡鉄舟が木村屋のあんぱんと出合い、そのおいしさに感動したことから、天皇陛下に献上されるきっかけになりました。
明治8年(1875年)の4月4日、天皇・皇后陛下が東京の向島にある水戸藩の下屋敷でお花見をする際に、お茶菓子として木村屋のあんぱんを献上。そのあんぱんには日本らしい季節感を表現するため、奈良の吉野山の八重桜の塩漬けが、おへその部分に埋め込まれていました。
このときの「桜あんぱん」が、天皇皇后両陛下に大変好評だったそう。これをきっかけに、その後も桜あんぱんは天皇家御用達に。こうしたエピソードから、明治天皇にあんぱんが献上された4月4日は「あんぱんの日」として記念日に制定されました。
あんぱんのおへそにはごまが乗っているイメージがありますが、当時は桜の花びらの塩漬けが埋め込まれていたとはオシャレですね! 天皇陛下に献上されたお菓子だけあって、和の情緒を感じさせる高級品だったようです。
この件で評判になった木村屋のあんぱんは、明治15年(1882年)には銀座名物に(1個1銭でした)。天皇陛下と同じ桜を使うのはおそれ多いということで、創業当時からのケシの実をのせたあんぱんを発売していました(その後、桜あんぱんも市販されるようになりました)。
西洋のパンが、日本独自の菓子パンとして定着していった明治時代、あんぱんは、「新聞社」や「郵便」、「蒸気船」などとともに明治時代の「文明開化の7つ道具」の一つと言われる存在になりました。
今やどこでも気軽に食べられるあんぱん、当時は文明開化を象徴する日本発祥の食べ物だったのですね! 西洋のパンと日本の餡(あん)がコラボした現在のロングセラー商品も、当時は画期的だったに違いありません。
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イラスト:飛田冬子