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- 小池真理子さん|人生の伴侶を亡くして、今思うこと
夫婦ともに直木賞作家として知られる藤田宜永(ふじた・よしなが)さんと小池真理子(こいけ・まりこ)さん。肺がんの闘病の末に藤田さんが亡くなったのは2020年1月末。愛する人との死別を主題にした本を出した小池さんに話を聞きました。
”死別のつらさ”の現実は想像をはるかに超えていた
夫であり同志であり、かたわれでもあった藤田が亡くなって3か月後、彼の死を経た私の心の風景を連載エッセーに書いてみませんか、という打診がありました。まだ当分は無理かもしれないと思い、保留にしてもらいましたが、作家の性(さが)でしょうか。気付くと文章が頭の中に浮かんできて、それをメモしていて……。
時間がたつとよくも悪くも客観性を帯びてしまい、言葉はかたちを変えていきます。季節が表情を変えていくように、めまぐるしく変化する自分の感情を書きとめておこう、と思いました。
長く連れ添った者との死別は、ただ、ただ、寂しくて言葉にならない。心を刺すような痛みの治め方はわからないけれど、取り繕ったり、キレイごとで済ませようとしたりせず、わからないことはわからないままに表現しました。人間の感情はハウツーと呼ばれるような、実用的な方法論で処理しきれるものではありませんから。
ただ、初めから決めていたことが一つあります。死別を嘆くだけのエッセーにはしない、ということです。喪失を体験した人は、誰もが想像を絶する悲嘆の中で生きている。その“喪失のかたち”は百人百様です。
それを「私はこんなに悲しかった」とだけ書き続けるのは、自分だけの嘆きを垂れ流しているに過ぎず、同じ哀しみを抱く人にとって実は何の救いにもなりません。
藤田がもう長くはないとわかったとき、私は喪失体験記はもちろん、心理学者や宗教学者、哲学者が書いた専門書を読みあさりました。でもどれも私を救ってくれなかった。喪失の哀しみは専門的な知識や、誰かが味わった具体的な経験を知るだけでは、簡単に乗り越えられないんですね。
同業だった夫との死別のつらさは、本当に体験しないとわからないことでした。私はこれまでたくさんの小説を書いてきましたが、感情の嵐や孤独の実態を果たして本当に描ききれていたのか、と疑いたくなってしまうほど、現実は想像をはるかに超えていました。
SNSの中の同じ境遇の人々に”孤独”を癒やされて
死別後のコロナ禍も孤独を深いものにしました。未知の疫病が突然世界を変えてしまったこと、死別による個人的な深い喪失体験。その二つが重なって、私が見ている景色は一瞬にして色を失った。誰とも会えず外出もはばかられる日々の中で、心のよりどころにしたのは同じ体験をした人たちが発する、悲鳴のような言葉でした。
深夜ベッドにもぐりこみ、スマホを手に「死別 コロナ」などと打ち込むんです。ツイッターやブログを検索しながら、同じ境遇の真っただ中にある、誰とも知らぬ人々の心の叫びを読みあさっていると、気持ちが落ち着いていくのがわかりました。
一人ではない、と思いました。どんなに優れた人が書いた専門書を読むよりも、孤独感が和らげられたことをはっきり覚えています。
普段通りの習慣を保ち続けていくことが、大きな救いに
藤田の死後、心掛けたのは、変わらない生活をすることでした。どんな悲惨な死別を体験しようとも、遺された側は生きていかなくてはならない。できるのは「同じ生活をし続ける」ということに尽きると思います。
私は藤田が生きていたときの習慣を変えませんでした。起きる時間も買い物に行き料理をすることも、全部。どんな悲しみの中でも明日は来るし、おなかもすく。大切な人が死んでも自分をとりまく世界は変わりません。テレビをつければこれまでと同じ日常が映し出されるし、季節は規則正しく変わっていきます。
親しい友人と会っているときも、泣き続けているわけではなく、笑うこともあるし、そのうち冗談を言えるようにもなっていく。表向きでいいんです。以前の自分と同じ自分を演出しながら、普段通りの習慣を保ち続けていくことが、実は大きな救いになる。
本来、喪失の苦悩や哀しみは、自分だけが背負うものです。他人に委ねて、他人と一緒に乗り越えることはできない。だからこそ、以前と変わらない生活を続けることは自分を保つために大切なのではないかと思っています。
長く暮らしてきた軽井沢は四季の移ろいを感じられる美しいところです。自然に救われるといったらキレイごとですが、どんなにのたうち回っていても、そんな私の苦しみなど無視するように時間は正確に流れ、季節が移り変わっていきます。
そうした自然の中に身を置いていればこそ、天体の中で自分が一つのコマになっていくような感覚があって本当に心地よかった。寂しいだろうから東京に越してきたら、と言ってくる人もいましたが私は頑なに首を横に振りました。
「焦らなくていいよ。ゆっくり、ゆっくりね」
哀しみにくれている人間を励ますというのは難しいですよね。人は誰かを助けたい一心で言葉を紡ぐけれど、本当にふさわしい言葉をふさわしい時に使う、というのは、できそうで誰にもできないような気がします。
あるとき、泣き言を言う私に対して、昔からの友人が「焦らなくていいよ。ゆっくり、ゆっくりね」と言いました。それは慰めでも励ましでもないけれど、とても心に響いた。ゆっくりゆっくり、という言葉は、その後、私のお守りのようなものになってくれました。
この本の連載中、かつてないほどの反響がありました。読者の方からは千通近い手紙が届きました。みなさん、死別という同じ体験をしながらもそれぞれ違ったかたちの喪失感を抱えています。それは年齢も月日も関係ありません。
死別後、少しずつ元気になってはいくけれど、心の中にはいつまでも、どうにもできない感情が澱(おり)のようにたまっている、とおっしゃる方も多い。でも、それでいい。喪失の哀しみとの向き合い方に正解はないのですから。
小池真理子さんが綴った心を揺さぶる、喪失のかたち
『月夜の森の梟(ふくろう)』
小池真理子著/朝日新聞出版刊/1320円
夫である小説家・藤田宜永さんの肺に腫瘍が見つかってから死別するまで、そして遺された著者は喪失の哀しみとどう向き合ったのか……。朝日新聞連載時から多くの読者の共感を得た1冊。
夫の死後は、深夜、ベッドに入ってからスマートフォンを手に、「死別 夫」「死別 コロナ」などと打ち込んでツイッターを検索した。どこの誰とも知らぬ人々の孤独の叫びをなぞっていくうちに、さびしい安堵に充たされた。
──『月夜の森の梟』より「喪失という名の被膜」
同じ体験をした人の心の叫びを読みあさることでどうにか心を落ち着けるしかない。人が苦しみから逃れようとするときに、「キレイごとや精神論だけでは救済にならない」瞬間があることが伝わります。
喪失のかたちは百人百様である。相手との関係性、互いの間を流れた時間、哀しみの有り様もふくめて、どれひとつとして同じものがない。喪失はきわめて個人的な体験なのだ。他の誰とも共有することはできない。
──『月夜の森の梟』より「それぞれの哀しみ」
当たり前のことですが、死はすべて個別のもので、大切な存在を亡くした哀しみにはどれ一つとして同じものはありません。ゆえに、「喪失の哀しみから立ち直るための理想的な、唯一絶対の方法など存在しない」と小池さんは話します。
若いころ私は、人は老いるにしたがって、いろいろなことが楽になっていくに違いない、と思っていた。だが、それはとんでもない誤解であった。(中略)たいていの人は心の中で、思春期だった時と変わらぬ、どうにもしがたい感受性と日々、闘って生きている。
──『月夜の森の梟』より「思春期は続く」
「人は年を重ねるごとに自分の感情と折り合う術を身につけ人生を達観できるようになる。理想はそうですが実際は思う通りにいかない」と小池さん。
昨年の年明け、衰弱が始まった夫を前にした主治医から「残念ですが」と言われた。「桜の花の咲くころまで、でしょう」と。以来、私は桜の花が嫌いになった。
──『月夜の森の梟』より「桜の咲くころまで」
死期を突き出されること、それがほんの少しの猶予なこと。向き合わざるを得ない現実を前にした、著者の深い絶望がひしひしと伝わってくる一節です。
小池真理子さんのプロフィール
こいけ・まりこ
1952(昭和27)年、東京都生まれ。78年、エッセー集『知的悪女のすすめ』で作家デビュー。96年『恋』で直木賞、98年『欲望』で島清恋愛文学賞、2006年『虹の彼方』で柴田錬三郎賞、12年『無花果の森』で芸術選奨文部科学大臣賞、13年『沈黙のひと』で吉川英治文学賞を受賞。近著に『神よ憐れみたまえ』(新潮社刊)『アナベル・リイ』(KADOKAWA刊)『日暮れのあと』(文藝春秋刊)がある。
取材・文/児玉志穂(ハルメク編集部) 撮影/安部まゆみ 撮影協力/軽井沢ホテルブレストンコート
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