マチュ・ピチュと異国文化

一人でも行ける! 異国情緒あふれるペルー旅行-後編

公開日:2019.03.27

「死ぬまでにやっておきたい事にチャレンジしたい」と話すとし古さん。これまでイギリスや韓国への留学体験などを語ってきました。今回はペルー旅行後編。最後に驚きの体験が!

一人でも行ける! 異国情緒あふれるペルー旅行-後編
住居跡の石積みと手前が畑跡

神秘の遺跡「マチュ・ピチュ」へ

マチュ・ピチュ(Machu Picchu)には2度登りました。麓のマチュ・ピチュ村で宿泊しましたので、1回目はツアー参加者みなさんとガイドさん付きで登り、翌日午前中にもう一度一人で「インカ橋」を見に登りました。まだ解明されていない多くの謎があるという15世紀のインカ帝国の遺跡マチュ・ピチュは、予想していた以上の感動を与えてくれました。世界遺産であるインカ帝国の首都クスコの市街地の石積みも、驚きと感動の連続でした。

世界の観光地として毎日4000人余りが登山してくるので傷みも激しく村人達が補修している。雇用と傷みのジレンマとか。

クスコの石積み、中央の多角形の石が象徴的で、石と石が支え合って絶対に崩れないとか。
すまし顔で有名石と記念撮影と思ったらお茶目なアメリカ人が飛び込んできて、私はビックリ、周囲は大笑い!

コカ茶をいただく!

ペルーはやはり異国情緒たっぷりの国でした。

そのひとつがコカ茶。リマの空港に降り立ってすぐ、「コカ茶をどうぞ」というセルフコーナーがありました(有料)。麻薬コカインの原料となる葉とお湯の入ったポットがあって、紙コップに葉を1〜2枚入れてお湯を注ぐだけです。でも、コカインの原料ですから、何かしら未知の領域に入るような気がしてドキドキしましたが、特に味もなく拍子抜けしました。
 

ティーバッグのコカ茶

 

ホテルでもルームサービスで、紅茶などと一緒にコカ茶のティーバッグが用意されていましたので、私は、ここでしか飲めないコカ茶ばかり飲んでいました。最近知ったのですが、コカ茶は高山病予防に効果があるそうです。グループの数人が高山病になって半病人状態でしたが、私は平気でした。

だからマチュ・ピチュに2度も登れたのかもしれません。お土産に買って帰りたいと思ったのですが、添乗員から厳重に注意されました。ペルーを出国できたとしても、乗継ぎの米国で検察犬が必ずコカインの匂いを嗅ぎつけるから、と。

食事は、多様な民族料理の影響か、これぞペルー料理、というものはお目にかかりませんでしたが、魚貝類の炊き込みご飯、南米原産のじゃが芋、この国でしか栽培できないジャイアントコーンなどをいただきました。

 

ペルーと日本の違いと意外な関係

マチュ・ピチュ村のレストランで食事をしている時、たまたま隣り合ったメキシコからの観光客とおしゃべりしました。メキシコでは大体5か国語が使用されているそうで「日本では日本語だけ」という私の答えにとても驚いていましたが、私はそのリアクションに驚き、日本と世界の違いをあらためて考えさせられました。

ペルーは、乾燥した太平洋沿岸地帯、その東側にアンデス山脈の高地、さらにその東側にアマゾン流域の熱帯雨林が広がるという地形です。
南米有数の大都市である首都リマでは屋上の鉄骨が剥き出しになっている建物が多く、建築ラッシュなのかと思ったのですが、現地のガイドさんによると、建築中の家に住むと税金が安くなるため、建築中と見せかけるためにわざとそうしているのだとか。

太平洋側の砂漠地帯では、バラックがひしめいていました。バラックとは、簡単に言えば建てるのが簡単な長屋のような建物のことです。車窓から次々に見えてくるバラックの一群を見ながら、これは2年、これは1年、とガイドさんが説明してくれました。この国には「4年法」というのがあって、4年間そこに住むと、その土地は個人の所有地になるのだとか。

ただし、政府の役人が視察に来た時そこに住んでいなければならず、視察日は事前に通知があるので、その日には都会の仕事場から急遽バラックに戻るのだそうです。

多くの日本人が海外に移民したのは、ブラジルとハワイくらいしか知りませんでしたが、最初の移民先はペルーだったそうです。今も日系の方が多くいらっしゃるそうで、ペルー人の多くの赤ちゃんのお尻には蒙古斑があるのだとか。ガイドさんによると、移民した日本人は大変な苦労をしたそうですが、その勤勉さで次第に成功する日本人が増えたため、ペルー政府は「八人法」という法律を制定し、日本人だけで働くのではなく日本人以外の人を8割雇うことを義務づけたそうです。

最後の最後で思わぬトラブル!

いろいろなことを考えさせられた旅でしたが、ごった返す帰途のリマ空港では、ツアー参加者の女性が手に持っていたパスポートを落としてしまうアクシデントがありました。どこで落としたかわからず大騒ぎしていましたら、空港公安の体格のよい二人の職員がやってきて、言葉が通じず不安で泣き叫ぶ彼女を両脇から抱えるように連れて行ってしまいました。

まるで犯罪者扱いのようでびっくりしたのですが、40~50分後、別の職員が私たちのところにきて、パスポートの落とし物が届けられた、とのこと。しばらくして彼女も戻ってきて、思わず抱き合って喜びました。お国柄の違いとはいえ、彼女も私たち参加者全員も、帰国間際にいささかこわい思いをして、ペルーの旅は終わりました。

とし古

祖母は60歳の頃、針仕事や寺参りを日課にしていました。母は70歳の頃不自由な体で家族のために働き趣味の書道教室にも通っていました。そして私はいま八十路を歩いています。体力・知力は衰えを感じますが考える事・感じる事は昔と変わらないと思っています。死ぬまでにやっておきたい事に色々チャレンジしたいです。

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