ハルメク 健康と暮らしのいい話

2018年09月02日

追伸。―おかんへ―

悲しい病気、認知症。3人の母と娘の名前を、何度でも

面と向かってはなかなか言えない、でも確かに胸の中にある母への感謝や、母への謝罪――。「追伸。」と題し、母を中心とした家族とのエピソードをつづります。明確なはずなのに、なぜかいつも難しい、親子や家族の関係。共感してもらえればなによりです。

悲しい病気

ぼくに向かって、祖母はしゃべり続ける。


「しげちゃん、この前あそこに行ったばってん……」「お父さん、お父さん、ずっとこげん言いよったよね……」。

施設の食堂から、祖母の自室へと移動する。祖母の腕をとり、亀よりものろい歩みで、ゆっくりと。祖母からは少し、つんとすえるような臭いがする。

短いはずの廊下が、延々と続く1本道かのように感じた。その道のうえで、不意にあふれ出す幼かったころの記憶。

祖母はまるまると太っていた。頬を寄せられると、お化粧の匂いがした。博覧強記で、いろんな四字熟語やことわざを教えてくれた。「ケンちゃん、あんたは賢かねぇ!」と、スポーツ刈りの頭をジャリジャリと撫でてくれた。散髪は毎度、祖母の手によって行なわれた。

「重症・軽症」、「重傷・軽傷」。病気やケガは、「重い・軽い」の形容詞で表されることが多い。だが、祖母の患う病気を表すのには「重い」というより、「悲しい」の方がふさわしいのかもしれない。

「しげちゃんあんたの……」、ぼくに向かって、祖母はしゃべり続ける。

おばあちゃん、おれは「しげちゃん」じゃなかよ、「ケンちゃん」よ……。

認知症は、悲しい。
 

祖母の笑顔

妻と娘を連れて、祖母を見舞った。2015年の話だ。幼子を連れての飛行機はなかなか勇気がいるもので、娘が産まれ1歳をすぎて、ようやく福岡へ帰省できた。

「もう、私の名前も呼んでくれん」。毎日のように施設に通う母はそう言っていた。夏がくるたびに「この夏は乗り切れんかもしれん」とも。

何度か訪れたことがあった祖母の自室。窓が広く、光がよく入る。

「じゃあ、○○さん、ゆっくりね」と、施設の方が祖母の名前を呼び、肩をたたき、部屋を出ていった。部屋で唯一の笑顔が、なくなった。

ソファに座り、聞き取れない声で、それでもなにかをしゃべり続ける祖母。その顔は終始しかめ面だ。祖母の肩に、母が腕を回す。

「ほらおばあちゃん。ケンちゃんが帰ってきたよ!おばあちゃん、ケンちゃんのこと大好きやったろう?」
「○○さん(妻の名前)も来てくれたとよ」
「おばあちゃん、久しぶり。ケンスケよ」。祖母はごにょごにょとなにかをつぶやくだけ。しかめ面で。

「最近はコミュニケーションもとれんくてね……」と、母は宙に向かって苦笑いを向けていた。

そのとき、抱っこ紐から解放された娘がよたよたと部屋を歩き始めた。

思いついたように、母は「おばあちゃん、あなたのひ孫よ。会いにきてくれたとよ!」と祖母の肩に力を入れる。持参の布のボールで遊びだす娘に、「ひーおばあちゃんに、どうぞ、して」と妻が促す。おぼつかない足取りで、おむつで膨らんだおしりを振りながら、娘が祖母の前に立つ。

「どうじょ」

祖母は、にっこりと微笑んだ。
 

奇跡の全貌

「あれはもう奇跡やったとよ」

のちのちも母は繰り返しそのときの話をする。

「だって食事のときも、スプーンを向けてもなんにも反応せんかったとよ。でもあとのきは……」。電話をするたびにしつこく言われるので、今は少し鬱陶しくも感じるが、でもやはり、あれは奇跡だったのだと思う。

娘が差し出したボールを、祖母は受け取った。受け取って微笑んで、“会話”をしたのだ。

「ありがとう」
「あんた、かわいかね」
「どこから来たとね?」

妻が娘のそばにしゃがんだ。

「よこはま、だよね」、と妻がゆっくりと言う。
「あんたどこの子ね」
「おなまえは?」と妻が娘に聞く。「○○ちゃん」、と片言で、自分の名前を「ちゃん付け」にして娘が返す。

また祖母が、にっこりと笑った。母が祖母の肩から腕を離し、そのまま両手で顔をおおった。

「ちょーだい!」と、唐突に娘が手を差し出した。

そしてぷくぷくの小さな両手に、しわだらけの手からボールがのせられた。

母はソファを離れ、部屋の隅でぼくらに背を向け、声を上げて泣いた。

祖母。母。妻。ぼくは遠巻きに、その3人の母を眺めていた。

奇跡の光景を、眺めていた。
 

消えない記憶

祖母の自室の壁にはところ狭しと写真が飾られ、何冊もアルバムが置かれている。ぼくはそれらを見て回りながら考える。

悲しい病気、認知症。

若年性、という言葉もある。いつかぼくも、そうなってしまう可能性がないとは言い切れない。本当かどうかは知らないが、新しいことは覚えられない、でも昔の記憶は忘れない、そんな話を聞いたことがある。

ならば、絶対に忘れたくない。ここにいる、3人の母と、娘のことは。

唇が動きを覚えてしまうくらいに、今のうちから何度も何度も、呼んでおきたい。

「おばあちゃん」「お母さん」「妻の名前」。3人の母とそして、「娘の名前」を。


アルバムに貼られた、祖母のメモに目がとまる。視界がにじむ。

『世界一の孫達 私の誇り』

祖母の頭の中ではきっと、小学生のころのぼくが走り回っているはずだ。そう思った。「忘れるわけがなかろうもん」、得意げにツンと顔を上げてみせる、祖母の笑顔が浮かぶようだった。

ぼくのことを今「おまえ」と吐き捨てるあなたも、ぼくにとっては「誇り」です。

ここからは余談です。

祖母が唯一呼べる名前がある。それが、「しげちゃん」。すでに亡くなっている祖父の名前ではなく、母を含め親戚一同、その正体は誰も知らない。身内の中では「初恋の男性なのではないか」という話で落ち着いている。

当時は戦時下、それでも。

少女は甘酸っぱさを胸に抱き、ドキドキとキラキラを繰り返していたのかなぁ。

宮崎 謙輔
宮崎 謙輔

みやざき・けんすけ 2007年入社。「ハルメク 健康と暮らし」で、編集業務に携わる。出身は福岡、住まいは横浜。妻の家族と4世代7人で、わいわい、がやがやと暮らしている。

みんなの コメント
【限定コラボ】職人技が光る!ハルメク×マエノリのセーター誕生秘話

子どもに残すべきはお金?不動産?どちらがお得?

子に遺すべき資産は?

「現金」か「不動産」か…どっちが得?メリット・デメリットは?相続や親族間のトラブルに悩まされないためにしておくべき準備とは

2024.12.12
【PR】「渋滞の文字で……」トイレ事情あるある

突然の我慢できない尿意

実は多くのハルメク世代が悩んでいる「尿トラブル」…中には上手に対策をしている人も!気軽にできる対策って?

2024.12.10
【PR】個人情報の上手な管理・整理術とは

個人情報管理できてる?

銀行口座・保険・クレジットカードなど、「デジタルの情報」をきちんと管理できていますか?煩雑にしていると思わぬ落とし穴が…

2024.12.09
【PR】三井住友銀行アプリにシンプルモードが登場

お金の管理が簡単に!

三井住友銀行アプリに「シンプルモード」が新登場!スマホ操作が苦手な人でも簡単に使える便利機能が満載です!

2024.11.29
認知症セルフチェック

認知症セルフチェック

「もの忘れが増えた」「名前が思い出せない」という症状に心当たりがある方は要注意!それ、「認知機能のレベル低下」が原因かもしれません…

2024.11.22
思わず笑顔になるコミュニケーションロボット「ニコボ」

健気な姿がかわいい!

「思わず笑顔になる」と巷で話題の「永遠の2歳児・ニコボ」!ハルメク世代の2人に、ニコボとの生活にハマる理由をお聞きしました!

2024.11.22
デジタル資産の遺し方

生前親に●●聞き忘れると

老親の契約や登録しているサービス、これらを子が把握していないと将来ムダな出費や面倒なトラブルに発展する可能性が!特に見落としがちなのは…

2024.10.11
【PR】50代からの願いを叶える新しい資金調達術

50代~お金の増やし方

将来を見据えて、50代から「まとまった資金の調達」が重要になります。どんな選択肢があるか、ご存知ですか?

2024.11.20
【PR】たった60日で英語が話せる!3つのコツ

60日で英語が話せる!

英語をマスターするのに「完璧」はいらない!初心者でも60日で英語が話せるようになる、驚きの3つのコツとは?

2024.08.29
認知症のリスクを確認してみませんか?

今なら無料でお試し!

将来、自分の認知機能が低下するリスクがあるか、簡単に予測できるサービスが誕生。今なら無料で先行利用できます!

2024.08.08
【PR】頼れる家族がいない……入院・入居どうする?

おひとり様の備えはOK?

この先「おひとり様」になったら意外な落とし穴がいっぱい…。そんな不安に備える、おひとり様専用お助けサービスが誕生!

2024.07.22
50代から1日1分!脳トレクイズで楽しく脳を活性化

50代から1日1分脳トレ

認知機能を衰えさせないためには、早い時期から「脳を活性化」させることが大切。脳トレ効果がグッとアップするコツって?

2024.12.04