雑誌「ハルメク」24年4月号「入院・介護の備え」
2024.03.082018年08月01日
追伸。―おかんへ―
母の数年ぶりの買い物は、100円均一のポーチだった
面と向かってはなかなか言えない、でも確かに胸の中にある母への感謝や、母への謝罪――。「追伸。」と題し、母とのエピソードをつづります。明確なはずなのに、なぜかいつも難しい、親子の関係。共感してもらえればなによりです。
「3,000円、頼む……」
大学生4年生。就職活動中で「ハルメク」への入社が決まるか決まらないか、そんなときの出来事。
実家は福岡、大学時代は滋賀で過ごしていた。ひとり暮らしということもあり、大学生時代はとにかくお金がなかった。学費は奨学金でまかない、家賃や生活費はアルバイト代でやりくりしていた。ATMから1,000円すら下ろせず、「頼むけん、3,000円入れてくれ……」と、母に泣きの電話をすることもあった。ぶつくさ言われながらも、思った以上の5,000円という大金を手に入れ、もしかしたら、その一部は友とのお酒代に変わった、かもしれない。
裕福と、貧乏。どこからがそれか、線引きは難しい。「上見るな、下見るな」だが、我が家だけの話をすると明らかに、裕福から貧乏へと変わった。
ぼくが15歳、兄が17歳、弟が12歳のときに父が他界した。稼ぎ頭を失い、1,000円にも満たない時給で母は働き始めた。女手ひとつで3人の子を育て上げた。以前の「裕福」など程遠い数年だったはずだ。
「ねぇ、このポーチ、いくらやと思う?」
就職活動の一環で、福岡の実家へ帰省した。母は当時、自宅近くの社員寮の食堂で働いていた。食堂のメニューがあまりにも定番すぎて、自腹でホットケーキの材料を買い、作り、勝手に休日のお昼に出したらしい。若い社員には喜ばれたらしい。当然、責任者にはこっぴどく叱られた、らしい。「その若い社員さんがあんたと重なってね……」と、母。「ごちそうさま、おいしかった!って言われたとき、涙が出てきてね……」と、再現するように、母は泣いた。
そんなこんなで、食卓にはぼくの好物がてんこ盛り。「あ、けんちゃん、ちょっとコレ見てよ」と、食事中に母があるものを取り出した。もぐもぐと口を動かしていたぼくは、目線だけを母へ向ける。「コレ、かわいかろう?」、母が取り出したのは、小さなポーチだった。「ねぇ、ねぇ、コレいくらやと思う?」。もぐもぐ。「当ててみんしゃい」。もぐもぐ。「絶対、当たらんと思うけどね」
もぐもぐ、もぐもぐ……。
弟から聞いて、知っていた。近くのスーパーの中に最近、百円均一の店ができた。
もぐもぐ、もぐもぐ…。
「母ちゃんに見せられたけど、あれプラダのパチ物やね」。脳裏に浮かぶ、弟の苦笑い。
もぐもぐ、ごくん。
「…わからん」
ぼくの“わからん”を待っていたかのように、母は言う。
「コレね、100円よ、100円!」
まるで少女のように輝かせた目で、母は言う。
「100円には見えんやろう。かわいかもん、コレ」
服はすべて、祖母のおさがり。小物もバッグも、すべておさがり。母の、この数年間で初めての、自分のための「100円」の買い物だった。
愛おしそうにポーチを抱く母。何度もファスナーを開け閉めし、執拗に解説してくる母。
もぐもぐ、が止まらなかった。
「母ちゃん、ごめん…」
実家にぼくの部屋はすでになく、仏間でひとりになった。記憶は定かでないが、父の遺影の下で、母の姿を想像して、たぶんぼくは大泣きしたのだろう。
息子の通帳に5,000円を入金する母。
3,000円と言われたけど、よし、おまけたい! と独り言をつぶやく母。
家計のために特売日にスーパーに出かけ、なのに食堂の若い社員のために、ホットーケーキをがさがさとカゴに入れる母。
何度も店の前を通り、迷った挙句、100円のポーチを手にする母。「子どもたちに見せちゃろう」と、るんるんと笑顔で帰路につく母。
「数年ぶりの自分のための買い物が、100円…?」
あの5,000円を、ぼくは一体、何に使ったのだろう。
今、思い出しても、ふがいない自分に腹が立つ。涙腺が騒ぐ。
「ありがとね」
それから10数年。ぼくは無事「ハルメク」に入社し、「ハルメク 健康と暮らし」で、誌面を作る編集業務を担当している。
自分が作ったカタログを見てもらい、母に存分に買い物を楽しんでもらいたい、気に入ったものがあればプレゼントしたい―。仕事への情熱の半分は、母への感謝で構成されている、といっても過言ではない。
母は飛行機に乗れない(「乗り方がようわからん」のだそう)。新幹線で上京してくる。帰り際、母を見送るために新幹線のホームへ。
母はベビーカーのそばにしゃがみこみ、ぼくの娘、初孫の手を握り、顔を隠した。そして、隠し切れないほど、大粒の涙を流した。
母がハンカチを取り出すそのバッグは、入社してすぐプレゼントした、ハルメクのバッグ。いまだに使ってくれている。
「ありがとね」。妻には聞こえない音量で、もちろん母にも聞こえない小さな声で、会うたたびに小さくなる母の背中にぼくは言った。
今でもときどき、母から注文が入る。「あの商品はよかったけど、もっといい情報を載せたほうがいい」、と、一丁前の辛口読者だ。
「買い物気分を味わいたいけん、お金は払う!」と聞かないが、ひと悶着あって、そのほとんどをプレゼントにできている。そのやり取りは面倒くさいが…、また欲しいものあったら、いつでも連絡していいけんね。