インタビュー|余命3年と宣告を受けた写真家

幡野広志さん「病気になった今が幸せだと言える理由」

ハルメクWEB編集部
2019/07/04 196

あなたは自分が、幸せだと言えますか? たとえ治らないがんで余命3年と知っても―。若くして、多発性骨髄腫となった写真家の幡野広志(はたの・ひろし)さん。彼が発信する現代社会で幸せに生きていくための教訓ともいえる言葉に、今注目が集まっています。

幡野広志さん
【目次】
  1. 幡野広志さんとは
  2. がん患者となって気づいた、生きづらさの理由
  3. 死を目の前にして、選んだことと選ばなかったこと
  4. あなたは今、自分の意志で人生を選んで生きていますか?
  5. 自分の人生を「幸せ」と言うために

幡野広志さんとは

幡野広志さんのことを簡単にご紹介すると、「36歳の男性」、「職業・写真家」、「妻と3歳の息子とともに暮らす」、「末期がん患者」です。2017年8月、34歳のときにがんが発覚し、本人の言葉で表現すると“治らないほうの、がん”である多発性骨髄腫で余命3年と告知されました。

幡野さんが世間の注目を集めるきっかけになったのは、2017年12月26日にがんであることを公表した「ガンになって気づくこと。」と題したブログの投稿です。

 

僕、ガンになりました。

父をガンで亡くしているので、自分もガンになるだろうとは思っていたけど34歳は早すぎる気がする。

背骨に腫瘍があり、腫瘍が骨を溶かすので激痛と神経を圧迫しているため下半身に軽い麻痺も起きている。

自殺も頭の片隅に考えるぐらいの激痛で夜も眠れず平常心を保てなかった。

緩和ケアの医療スタッフと強力な鎮痛剤を開発してくれた研究者のおかげで今は穏やかに暮らせている。

妻と結婚してどう控えめに言ってもかわいい息子に恵まれ、病状を知り涙してくれる友人がいる。

社会人とは思えないほど長期休暇を取って広く浅い趣味に没頭し、好きなことを仕事にした。

幸せの価値観は多様性があり人それぞれだけど、僕は自分の人生が幸せだと自信を持って言える。

だから死と直面していても後悔はなく、全て受け入れているので落ち着いている方だと思う。

それでもガンと診断された日は残される家族のことを想い一晩泣いた。

もしも自分の妻や息子がガンになり苦しんでいたら正気を保てないと思う。

自分の苦しみは耐えることができても、自分の大切な人の苦しみというのは耐え難い。

そういう意味で気丈に耐えている妻と母には感心する。

(以下略)

――2017年12月26日投稿「幡野広志のブログ」より

いつか自分が亡くなったとしても息子への愛が伝わるように、毎日息子の写真を撮影しているという幡野さん。この日のブログは「いい写真ってなんだろうという答えが見つかったら、生きるってなんだろうって疑問が湧いてきた。せめてこの疑問の答えを見つけてからしっかり死にたいところ」と、死を目の前にして生きる意欲を示す言葉で締められています。

このブログの投稿以来、がん患者としての心境を正直に吐露する言葉だけでなく、幡野さんの発信する“人生の幸せ”の本質を突く発言が、若い世代を中心に支持を集めています。そして2019年6月には、著書として2冊目となる『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』がポプラ社から刊行されました。

幡野広志さんの本。ぼくたちが選べなかったことを選びなおすために。
「ぼくたちが、選べなかったことを選びなおすために」幡野広志/ポプラ社刊 1500円(本体)​​​

本書は、がんと告知されてから変わった、幡野さんを取り巻く環境と自身の心境がつづられているほか、家族が理由で生きづらさを抱える人たちへの強いメッセージが込められています。

最初にお断りをしますと、幡野さんをかわいそうな人だと思わないでください。なぜなら、先ほどのブログの一節にもあるように「僕は自分の人生が幸せだと自信を持って言える」と宣言しているからです。また本書でも、次のように述べています。

がんの告知を受けて以来、ぼくはずっと「かわいそう」だと言われてきた。(中略)
これからの3年間、自分なりに前を向いて生きていこうとしているというのに、周囲から「かわいそう」と言われ、哀れみの目で見られる。その目がどんなに鬱陶しく、失礼で、邪魔なことか。

だからぼくは、声明文のように「ぼくは幸せだ」と書いた。勝手に不幸を押しつけないでほしかったし、お涙ちょうだいのストーリーに組み込まないでほしかった。

 多くの人が「かわいそう」とつい思いがちな状況に置かれながらも、なぜ幡野さんは自らを「幸せ」と言えるのでしょうか。がん患者となったことで訪れた変化ととともに、幸せである理由を聞いてみました。

がん患者となって気づいた、生きづらさの理由

幡野広志さん

「がんになって変わったのは僕ではなく、周りの人間でしたね」

幡野さんがブログでがんを公表した後に幡野さんの元に届いたのは、励ましのメッセージとさまざまな“ありがた迷惑”だったと振り返ります。

「お見舞いに、友人たちが来たがるんですよね。楽しい話をしに来てくれるならいいんだけど、神妙な顔でまるでお通夜に来るようだから、こっちが気疲れしちゃって」

また周りからの押し付けにも苦しんだそう。中でも幡野さんが「たくさん言われたことランキング」の1位は、がんが治る食べものだといいます。

「僕、ビワと人参は見るのも嫌なんですよ。『ビワを食ったら治る』『人参食ったら治る』って何度言われたことか。『ウサギだって、がんになるんだぞ』って言い返したら、黙りましたけれどね。病気になると心が弱るし、立場としても弱くなりがちですが、自分の意見を言うことは大事です」

がん患者が味わう苦しみを淡々と語る幡野さんの姿は、ドラマや物語で描かれがちな弱々しい末期がん患者の姿とは程遠く、力強いエネルギーさえ感じます。

何かをすすめられるだけでなく、「健康診断に行っていなかったお前が悪い」「もっと早く精密検査をしていれば」と説教をされたり、挙句の果てには趣味だった狩猟を引き合いに出され「動物を殺していたから、がんになったんだ」と責められたりすることもあったそう。

「がんって、理不尽な暴力みたいなものですから、患者さん自身も、『どうして自分ががんになったんだろう?』と自分で自分を責めてしまうんですよ。もちろん、その家族も。がんは身体だけではなく、患者とその家族の心を蝕む病気でもあるんです」

死を目の前にして、選んだことと選ばなかったこと

幡野広志さんのカメラ

「僕の心を崩そうとする人は、たくさんいました。その人たちも崩そうと思っているわけではないのでしょうけれど、結果として崩しかねない原因になった。でも、そういう人とは全部縁を切るべきだと気づきました。わかり合う努力にエネルギーを使っても疲れるだけだし、最終的にはわかり合えませんから」

実は幡野さんは多発性骨髄腫とわかって以来、母親との関係性を断っています。それは、病気ばかりに気を取られて患者自身を見られなくなった家族と、病気を受け入れて生きていかざるをえない患者、両者のすれ違いにあるようです。

幡野さんが、がんであることがわかってから多発性骨髄腫と確定診断を受けるまでの1か月間。毎日がんで亡くなった父の墓参りをして、何かの間違いだと祈る母親に対して、幡野さんは負い目を感じていたそう。そして確定診断を受け、多発性骨髄腫だったという結果を伝えたところ、母親は怒りの感情をあらわにして席を立ち帰ってしまった――。著書『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』でも、「このとき、ぼくの心は折れてしまった」と、母親との関係が途切れた経緯が描かれています。

母親に対して、「僕は全然会う気はない。葬式に来てくれればいいんじゃないかな」と幡野さんは言います。

「いうなれば、僕の体の状態ってガソリンがもう補給できない、ガス欠寸前の車を運転しているようなものです。そんな中で、今の僕の目的地は、“子どもの幸せ”。子どもの幸せとは、その母親である僕の妻の幸せ。ということは、僕が一番に、そして最大に大事にすべきなのは息子と妻なんですよ。こちらが気を回さないと関係性が保てない母親は、エネルギーを無駄に使ってしまう経由地なんです。そこに寄り道するガソリンは、ないですよね」

 
 

2018年3月2日幡野広志のブログ「誕生日とnoteへの移行。」より
写真=2018年3月2日幡野広志のブログ「誕生日とnoteへの移行。」より

「それで僕のメンタルが削がれて心を崩すなんてことがあったら、妻も心を崩してしまいますし、すると息子のメンタルも削がれてしまう。何を一番大切にするかっていうことを考えるのは、大事ですね」と幡野さん。

幡野さんにとって、一番大事なことは「息子と妻」。だから母親は選ばないという選択をしました。自分の大事なことを守るという確固たる意志があるからこそ、生き方に迷いがありません。

余命がわかって最初に手放したのは、“カメラマンとして食べていく”ために引き受けていた仕事でした。自身の意思で撮影したい写真だけ撮ることにした幡野さんは、それまで使っていた重いカメラではなく、持ち運びしやすいカメラを持ち、日々成長していく息子の表情を撮影しています。

 
 

幡野広志さんのnote 2019年6月17日投稿「3歳の誕生日。」より
写真=幡野広志さんのnote 2019年6月17日投稿「3歳の誕生日。」より

あなたは今、自分の意志で人生を選んで生きていますか?

幡野広志さんのインタビュー

「病気になってからずっと僕、自分の好きなことしかしていないです。健康なときだったら、いやなことも無理してやろうかなぁって気にはなるけど、病気になってまで、ね。好きなことだけしてればいいかなと。だから今、これまでの人生で一番生きやすいです」

「でもね」と、幡野さんは続けます。

「がんになってから、たくさんのがん患者の方に会ってきたけれど、いざ死を目の前にすると『自分が、何がしたいのかわからない』っていう人がたくさんいるんですよ」

実はがんと告知されて1年以内のがん患者の自殺率は高く、がん診断から1年以内の人は、がんになっていない人よりも、自殺および他の外因死のリスクがともに約20倍という研究結果もあります。(※参照:国立がん研究センターによる「多目的コホート研究」http://epi.ncc.go.jp/jphc/)

手術で腫瘍を取り除くまでの間、幡野さんは体の痛みに心が折れそうになり、趣味の狩猟用に持っていた鉄砲の引き金を引くことを何度も考えたことがあると本書でも述べています。しかし、自殺につながる原因のひとつは「残された人生で、何を選べばいいのかわからないからでは」と話します。

「病気になると、その人の生き方や性格が色濃く出ます。僕は、健康なときから自分の好きなことをやってきた人間だから、がんをきっかけに自分のやりたいことがもっと絞られました。

でも、仕事に人生を重ねて長時間働いてきた人が、がんになる。すると結局、仕事をクビになってしまうことが多いので、そうなったときに何も残らないんですよ。挙句の果てに、家族の中でもお荷物になってしまう。50代、60代の男性がん患者は『死にたい』『仕事をがんばるんじゃなかった』とよく言っていますよ。生き方を決められないと、死に方も決められない。すると延命治療を家族や医者に託すことになって、結局苦しむことになるんです。選べないというのは、いいことではありません。でも、これまでの人生で選ぶ状況や選択肢が全然なくて、これまで押し付けられて生きてきてしまうと、死に際になっていきなり選びましょうって言われてもやっぱり選べないですよ」
 

自分の人生を「幸せ」と言うために

幡野広志さん

幡野さんは多発性骨髄腫について調べていくうちに、家族にトラウマを残すような壮絶な最期を迎えるケースがあると知り、最期はスイスでの「安楽死」を選択したいと考えています。残される息子と妻が少しでも幸せになることを、第一に考えているからです。

「とはいえ息子のためにも最後まで延命治療してと、親族には言われるんですけどね」

どういった経緯で幡野さんが、日本では認められていない安楽死を選びたいと考え行動しているかは、ぜひ著書を確認してみてください。

「本当の大人は、人に押し付けられずに、自分で考えて好きなことをできる人だと思います。でも自分の好きなものを選び取っていくことは、健康なうちからでないとできないと思います」と幡野さん。

病気になってからではなく、健康なうちから自分の最期を意識し、人生において何が一番大切なのか取捨選択をすることは、幸せに生きる上で誰もが必要なこと。たとえ、それが血を分けた親族であっても、選ばないという選択をとってもいい――。

誠心誠意、自分の意志で生きることの大切さを伝える幡野さんの言葉に、ぜひ耳を傾けてみてください。


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取材・文=竹上久恵(ハルメクWEB編集部)、撮影=山下コウ太


 


「ぼくたちが、選べなかったことを選びなおすために」
幡野広志/ポプラ社刊 1500円(本体)​​​

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