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2020年01月22日
毎年恒例の餅つき大会と懐かしいエピソード
「死ぬまでにやっておきたい事にチャレンジしたい」と話す好奇心旺盛なとし古さん。今回は「お餅に関するエピソード」について語ります。
たぶん多くの日本人が餅好きと思いますが、私は自他ともに認める「餅大好き人間」。独居老人になって、餅は冷凍庫に年中あります。忙しい時や疲れて食事の準備する余裕がない時、あり合わせの食材で味噌仕立ての雑煮に変身させて、私の胃袋を満足させてくれるありがたい食材です。
そんな私にピッタリな活動は、「地域の餅つき大会のお手伝い」です。
まずは、近くのグループホームで。私の役目は「手返し」という、お餅をつく時にひっくり返す役。地域でサロンの手伝いをしている人たちは、入所者たちとお餅を丸める作業。途中で、ホームの職員の人たちが、できたてのお餅でぜんざいを準備してくれます。
次は、年末の地域のモール街での土曜朝市。NPO法人の「ら・ふいっとHouse」のボランティアグループがつきたての餅を販売します。私はまたもや手返しで、つき手はあらかじめ地域の餅つき名人たちにお願いしています。見物している子連れのパパや、昔取った杵柄のジージも飛び入り参加もありつつ、20臼近くつきます。
だいたいお餅がつきあがったところで、子供たちにも杵を握らせてのパフォーマンス。これは地元のテレビ局でも取り上げられて、人気キャスターのダイちゃんと阿吽の呼吸でついたこともあります。ぜんざいコーナー、コーヒーコーナーも設けて、大忙しの年の暮れを賑やかに過ごします。
そして次は、年が明けて地域の17 町内会で行う「とんど」での餅つきです。午前中にとんど櫓を立てたあと、PTAのパパママたちと協力して餅つき大会が始まります。3~4臼並べての同時進行です。
大方つきあがったところで子供たちに杵を渡して餅つき体験をしてもらいます。児童たちは体育館でPTAの役員から餅をもらって、とんど式典のあとに振る舞われるぜんざいでお餅をいただきます。
そんな「餅大好きな私」ですから、お餅にまつわるエピソードもいくつかあります。
戦後まもなく、父は臼と杵を購入してきました。父は古道具屋に行くのが好きだったので、そこから手に入れたのだと思います。家族はビックリ。祖父母は、食べる米も充分じゃないのに……と文句を言っていましたっけ。
ところが、その臼と杵は大活躍。それまでは我が家の餅は餅屋さんか母の実家に世話になっていたのですが、餅つきが我が家の年末の恒例行事となり、小学生だった私も手伝いました。多分一番恩恵にあずかったのは祖父母でしょうか。祖父母はいくつかのお寺詣りを趣味(?)にしていましたので、年末にお鏡餅を奉納させていただいていたのです。
我が家で餅つきをするようになってからは、中くらいの二段重ねの鏡餅を数組作って奉納していました。
また、町内の数軒から、うちでも餅つきをやりたいとのことで、臼と杵を貸し出すことも恒例となりました。
その臼と杵は、私が実家をたたむ時に広島に運びましたが、置き場所がないので玄関前に置いています。オブジェというには余りにも古びていますが、道路から奥まっているので、父の思い出として今も静かに鎮座しています。
私は中学生になるまで、雑煮とぜんさいは同じもので、地方によって呼び名が違うのだと思っていました。中学時代に友人との会話の中で「我が家の雑煮はどうもおかしい……」と感じることがありました。
母にたずねてみると、1月1日は私の曾祖母の命日で、2日が誰それの命日で……という具合で、どうやら、正月と言えども精進雑煮だったようです。
しかし数の子はふんだんに用意されていて(昔は安かったようです)、父はまるで沢庵を食べるかのように数の子を食べていました。
そして祖父母が亡くなると、母はこれが雑煮だと言わんばかりに、鶏肉入りのすまし汁の雑煮を作ってくれました。その時私は大学生だったので、地方によって色々な雑煮があることはすでに知っていました。
広島では雑煮に入れる餅は丸餅ですが、故郷の富山では角餅でした。故郷では丸餅は仏事の際お供えする御華束(おけそく)といわれていたので、この食文化の差に慣れるのに数年かかりました。