リンゴの街で思い出したのは昭和36年でした

台風19号に思う

渡来夢
2019/11/13 3

大雨により、日本全国各地に大きな爪痕を残した台風19号。長野県在住の渡来夢さんは、今回の台風で昭和36年を思い出したと言います。収穫を今か今かと待っていたリンゴの街から、励ましのメッセージをお届けします。

リンゴの街で思い出したのは昭和36年
【目次】
  1. 台風19号
  2. 復興のシンボル

台風19号

以前、手ぬぐいでの手作りを紹介させていただいた時から、ぜひ町の中のリンゴ並木をと思っていました。そうしたら、台風19号が来てしまいました。
    
私の辺りは大きな被害が今のところないようですが、各所での大災害の様子が伝わる中様々な思いが巡り、ショックもあり書くことができませんでした。

当地方(飯田・下伊那)でも、昭和36年(1961)年に大きな災害がありました。1週間で一年間の雨量の3割を超え、死者・行方不明130人、家屋全半壊・流失1500戸、浸水戸数1万988軒と記録されています。道路がえぐられて川のようでした。

丸木を渡した川を叔父に背負われて渡ったり、バケツに一杯の水を持って行けば銭湯にいれてもらえたり、文房具や衣類をいただいたことを覚えています。ありがたかったです。
昭和36年当時、子どもながらに大人たちのものすごく大変な苦労を感じていました。

それなのに数十年に一度の災害が起こると耳にし、もうそんな目には遭わないなどと不謹慎な考えも持っていました。今、本当に、深く反省しています。

南信州の天龍川には堤防が整備されていますが、私は以前から心配な事があるんです。川の常に水が流れていない部分に大小の木が生えていることです。辺りを見れば、近くの川の中にも木が生えています。大水が出れば、あの木々が川水をせき止めてしまうことは、素人でも想像がつきます。

今は被災された皆さんが早く元気に暮らせるようにと祈るばかりです。

リンゴをはじめ、いろいろな作物が水に浸かり本当の被害がどれほどかだんだんとハッキリするでしょうが。

力強く復興をされることを応援したいと思います。

復興のシンボル

飯田のリンゴ並木は1947年(昭和22年)春、中心部の約7割が消失した大火からの復興のシンボルです。

“リンゴ並木”。台風19号前です。
“リンゴ並木”。台風19号前です。

リンゴ並木

防火帯の真ん中に『リンゴを植えたい!』『美しい町にしたい!』と、当時の東中学校の生徒達の提案から始まったそうです。今も手入れ作業(施肥、剪定、草取り、収穫)を東中学校の生徒達が行っています。

リンゴの木

この囲まれている木は、1953年(昭和28年11月)に植えられ、守られ、今に残しているそうです。初めは国光(こっこう)というリンゴ40本が植えられたそうですが現在は「ふじ」「秋映あきばえ」「紅玉」「シナノスイート」「陽光ようこう」「新世界」などが見られました。

陽光

丁度、「陽光」が赤くなってきていましたし、「秋映」は深くて濃い赤色になってきていました。紅玉は収穫が終了していました。

「ふじ」はまだ、これからのようでした。

リンゴ

収穫したリンゴは給食や、飯田市内の小中学校や福祉施設などに無償で配布しています。おいしくできると嬉しいですね。

天皇陛下のお言葉

台風19号で被災された皆さんも、どうぞ前よりいいところになるように!

リンゴの木

10月18日のTVで、長野県の栗を栽培している農家の78歳という男性の
『天は試練を与えた。がんばれよって』と振り絞るようにおっしゃった言葉が印象的でした。

渡来夢

長野県 /68歳
長野県 /68歳

美しいものに触れたいとの思いから美術館に行ったり、植物を育てたり、きものリフォームなどの手芸を楽しんでいます。元気でいられるように、ピアノの練習やパンを焼くことにも挑戦しています。『やってみよう!』の精神で。日常こそ大切、工夫して、お金をかけずに楽しむこころ豊かな暮らしを目指しています。

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