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2018年12月10日
車いすジャーニー~ゆっくり歩けば遠くまで行ける~
車いすユーザーとして自身の視点や経験を生かし、全国各地で〝ユニバーサルマナー”を伝えている岸田ひろ実さん。 今回は、車いすユーザーになって初めての海外旅行先「ハワイ」で、スタディーツアーのアテンドを務めた時のお話の後編です。
前編のお話はこちら「第6回初の海外旅行。不安をほぐしてくれたハワイの風」。
ADA法(障害を持つアメリカ人法)が施行されたアメリカの中でも、ハワイのバリアフリーは特に進んでいます。街全体が隅々までバリアフリー化されているので、私の場合は、滞在中もほとんど誰かに助けてもらうことはありませんでした。
ホテルには車いすに対応した広い客室があり、長期滞在にも不自由しません。公共交通機関では、ホノルルの街をのんびり走る「トロリー」や「ザ・バス」にもスロープやリフトがついていて、それに飛び乗ればどこへでも行けます。
小さなカフェやレストランまでもフラットでスロープがついているのは、日本ではなかなかお目にかかれない光景です。私のお気に入りのスターバックスコーヒーには、車いすのままコーヒーを受け取れる低いカウンターも設置されていました。
一方で、ハワイには古い建物も多く残っています。入り口が自動ドアではなく、重い開き戸の建物だと、車いすに乗っている私は一人で入ることができません。しかし、心配は無用でした。そんな時は、ハワイで暮らす人たちがサッと扉を開けて待ってくれるのです。
にっこりと笑って英語で「どうぞ!」と言ってくれるので、その爽やかな対応に私もいつの間にか「すみません」ではなく「ありがとう」と返すのが当たり前になっていきました。
これは、ハワイの人々に息づく、助け合いともてなしの心「アロハ・スピリッツ」が根付いているからだそうです。障害者だから特別扱いされたり、緊張して対応されたりするのではなく、あくまでも自然な対応をしてくださるので、リラックスした時間を過ごすことができました。
街中の移動に慣れた頃、念願のビーチへと向かいました。コンクリートで舗装されておらず、足元が悪い砂浜は、車いすに乗るようになってから近づけなくなった場所の1つでした。
ワイキキビーチへは、道が一部舗装されており、海にずいぶん近いところまで自分の車いすのまま行くことができます。その後、私はレンタルしたビーチ用の車いすに乗り換えました。このスペシャルな車いすは、なんと乗ったまま海に入ることができるのです。おへそまで冷たくて気持ちのいい海に浸かった瞬間、なんとも言えない開放感と、嬉しさがこみ上げてきました。
海だけではなく、美しい景色を臨むマカブウ岬には、車いすに乗ってハイキングができるスロープがあります。
ツアーでは観光だけではなく、ハワイの知的障害者教育訓練センター「ヘレマノプランテーション」を訪れました。地元の、知的障害のある方が訓練を受けて働いているレストランがあります。そこで、ビュッフェスタイルの美味しいランチをいただきました。
私の仕事中、日本で留守番をしてくれているダウン症の息子の笑顔が頭をよぎりました。いきいきと、ハワイの大自然に包まれながら、誇りを持って仕事をしている知的障害のある方たちを見て、日本にもこんな施設がもっとあったらいいな、と感じました。
日本とハワイを比べた時、ハワイでは障害のある方を街で見かける機会が圧倒的に多いことに気づきました。障害のある方が街で買い物をしたり仕事をしたりすることで、周りの人も対応に慣れていきます。対応を何度も重ねる内に意識が変わり、向き合い方がどんどん洗練されていったのでしょう。
外出する障害のある方、それを迎える街の人々、相互の歩み寄りが作用して、「障害があることを忘れてしまうくらい“当たり前”の環境」ができていると、強く感じました。
日本における障害者への向き合い方は、残念ながら、無関心か過剰の二極化になりがちです。それは障害について、どうしたらいいかわからない、声をかけたら迷惑になる気がした……などの思い込みが原因となっているのかもしれません。
ハワイには「アロハ・スピリッツ」が根付いています。それでは、日本はどうでしょうか。例えば日本には「おもてなし」という言葉があります。障害者だからこうしなければならない、ではなく、「目の前の人に喜んでもらいたい」「粋でさりげない気遣いを実践したい」など、日本で暮らす人々が本来持っている文化や向き合い方を実践していけるのではないか、と私は思っています。
次回は、「第8回輪廻転生と障害者について知った、ミャンマー」。よいとは言えない環境に加えて、「輪廻転生」という仏教の考えが根付く国で気づいた、陰と陽の側面とは。