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2019年02月10日
岸田ひろ実の車いすジャーニー
車いすユーザーとしてユニバーサルマナーを全国各地で伝える岸田ひろ実さんの、車いすと旅する姿をお伝えします。今回はミャンマー後編。当事者が時代を変える熱気を感じた岸田さんが、日本での障害者のあり方をミャンマー、アメリカでの旅を通じて考えます。
前編の記事は、こちら「第8回輪廻転生と障害者について知った、ミャンマー」
1件目は、マンダレーにある、盲人マッサージ師の養成学校。20名以上の視覚障害のある若者が、住み込みでマッサージの勉強をする施設でした。
私が自己紹介をかねた講演をした後、学生の皆さんはオリジナルソングを演奏し、歌ってもてなしてくれたのです。通訳さんに歌詞を和訳してもらったのですが、そこには「私たちをかわいそうだと思わないで」から始まる、強いメッセージが込められていました。
その後、学校長から聞いた話によると、この学校へ来る子どもたちは、自分たちの村で厄介者扱いされ、悲しい思いをしていたそうです。明るく元気に、歌って、楽器を弾いてくれる皆さんの姿からは、そんな現実は想像できませんでした。
前編でも触れましたが、ミャンマーは輪廻転生を信じている国です。「障害者は前世で悪いことをした人たちだ」と烙印を押される現実を、目の当たりにしました。
障害者は悪い人でもなければ、かわいそうな人ではない。厄介者じゃなくて、自分の力で、自分のお金を稼げる人だ。
それを実現するために、ミャンマーの伝統医療を取り入れ、初めて設立されたのがこの学校でした。ミャンマーに暮らす視覚障害者の、希望を背負っているのです。
学校長からは、「あなたのメッセージを聞いて、私たちは間違っていないと確信した。世界中の人の前で、ぜひ話してください」と、握手で送っていただきました。
2件目は、ダウン症や自閉症などの知的障害のある子どもたちの訓練施設。
「New World」という施設名の通り、ミャンマーでは非常に革新的な施設です。69歳で亡くなった日本人女性の遺産により創設され、150人もの学生さんが通い、生き生きと過ごしていました。
講演では、ダウン症の障害をもつ私の息子、良太のことを中心にお話しました。良太を育てた話や、彼の生き方、就労支援を受けながら簡単な仕事をしていることを伝えると、涙ぐんでくださるお母さんたちが大勢いました。
講演が終わると、お母さんたちは我先にと集まってくれて、「RYOTA」と私の息子の名前を呼んでくれるのです。「RYOTAの写真がもっと見たい」「RYOTAは日本でどうやって働いているの?」と、口々訪ねてくれます。
日本で留守番していた息子は、まさか自分がミャンマーで人気者になっているなんて、思いもしなかったでしょう。
一人のお母さんから、こんなことを言われました。
「私たちは、ミャンマー人の中でも、恵まれていると思います。ここへ子どもを通わせることができているのだから。それでも、先が見えない未来で毎日が不安でいっぱいでした。私が死んだ後も、子どもが飢えずに生きていけるのか、ひどい目にあったりしないか……って。今日、ひろ実さんのお話を聞いて、信じられない気持ちと希望で胸がいっぱいです。知的障害のある息子さんが、笑顔で生きて、学校へ行って、働いている国が本当にあるなんて思いもしませんでした」
そう言って、泣くお母さんを見て、私も涙ぐんでしまいました。
今でこそ、何の不安もなく私も息子も毎日を送っていますが、息子を生んだ時は、誰にも悩みを話すことができず、社会から隔離されてしまうことに怯えていました。
私と息子が向き合っていた経験が、地球のどこかの、誰かの救いになった。過去はすべて無駄ではなかった、意味があったのだと、胸がいっぱいになりました。
3件目は、ミャンマーの若者が率いる障害者団体「MILI」。
障害のある人やそのご家族など100名近くの方々が足を運んでくださいました。この団体では、障害者の起業や、コンサルティングなど、ミャンマーの中でも特に先進的な取り組みを研究されていました。
私は、ミャンマーで過ごした日々について、ゆっくりと自分の言葉で伝えました。
正直言って、ミャンマーでは「障害者は生きられない」という先入観を持っていたこと。
実際に訪れてみれば、道路の石畳が破損していたりとハード面はやはりひどくて、車いすではとても移動しづらかったこと。輪廻転生という宗教的な考えが、深く人々に根付いていたこと。
それでも、悪いことばかりではありませんでした。むしろ私はこの数日間で、ミャンマーのことがとても好きになりました。
障害者は悪いことをした人という宗教的な考えに負けず、自分の力で前へ進もうとしている障害者とその家族。法律を変えよう、仕事を変えよう、意識を変えよう、と挑戦し続ける組織や団体。世界中の事例から少しでも学ぼう、気づこうと、長時間にも関わらず真剣に耳を傾けてくれた講演会。
そういった、障害のある方が時代を変えていく熱気を、ひしひしと感じたからでした。
私が日本で続けてきた活動と、志を同じくしてくれる仲間がミャンマーにいたことに、私も本当に勇気づけられました。
むしろ、日本がミャンマーに学ぶべきことの方が多いかもしれません。
ミャンマーには、困っている人を助けるという宗教的教義があります。
毎日寺院へお祈りし、皆の幸せを、皆が願っています。手を差し伸べてくれる人たちばかりで、障害のある私が街で困ることは、ほとんどありませんでした。
アメリカでは、日本よりも10年以上早く、障害者に関する法律が制定されました。ハワイで暮らしていても、法律により整備されてきた環境や人々の意識を感じました。(参照:車いすジャーニー「第6回初の海外旅行。不安をほぐしてくれたハワイの風」)
日本はどうでしょうか。
障害者や高齢者に向き合うハード面(環境)は進んでいても、ハート面は遅れていると感じます。
宗教的なバックボーンがミャンマーほど強くはなく、法律の整備もアメリカほどは進んでいないということも理由でしょう。「察する=声をかけない方が良い」という、控えめな国民性もあって、困っている障害者に声をかけられない人も多くいます。
でも、だからこそ、日本は日本でしか醸成できない文化があると考えています。それが、ユニバーサルマナーです。過剰でも、無関心でもない、さりげない配慮です。
関係のない他者ではなく、誰もがぱっと気づいて、さっと行動に移せるような、そんな土壌が、日本から広がっていくことを願っています。
※障害者や高齢者、ベビーカー利用者、外国人など多様な方々と向き合うためのマナーを身に着けるユニバーサルマナー検定があります。社会人や学生の方など、どなたでも受講および取得が可能です。詳しくは、日本ユニバーサルマナー検定の公式サイトまで。
次回、心温まるエピソードと大阪のバリアフリー事情についてお伝えします。品川駅のタクシー乗り場で声を掛けられた人とは⁉