夏休みはウズベキスタン、スリランカ、バルト三国へ!
2018.10.232020年07月15日
現地に行かない今の時代の海外体験ともいえる
イタリア、コロナ禍を共に生きる若者と交流してみよう
雑誌「ハルメク」にも登場した内田洋子さんは、イタリア在住40余年のジャーナリスト。このコロナ禍で、イタリアの若者たちとの交流を記すWEB連載を始めました。そこから見えてくる今のイタリアを、編集部員Sがレポートします。
3月、人々の「心の危機」を救おうと行動したイタリア
2020年3月初旬。日本より早い段階で新型コロナウイルスが感染拡大し、非常事態宣言を発動したイタリア。ニュースでは連日、感染者数や医療現場の状況が報道されていました。当時、日本もじわじわと感染者数が増加し、イタリアみたいな事態が日本でも起きるのか?という不穏な空気に包まれていました。
編集部員はふと、以前取材でお世話になったイタリア在住40年余りのジャーナリスト・内田洋子さんが心配になり、「ご無事ですか?」とメールを送りました。
すると、ちょうど日本に帰国中だった内田さんから、下の写真とともにメッセージが届きました。
画像は、非常事態宣言が発動した後にイタリアの文化財・文化活動省が発信したツイートで、画像のみ、<#私は家に居る>というタグが付いていたそうです。そして内田さんはこうつづっていました。
「『生きていたら、経済のどん底からも必ず立ち直れる。物事の重要さの順位、本末転倒にしてはならないことを肝に命じ、弱い人を守り、他人への責任を果たしましょう』
イタリア政府の封鎖通達を受けて、こうした呼びかけを文化財・文化活動省が出す。事態が由々しいのはウイルスの蔓延もさることながら、人々の心の危機にある、としたからではないかと感じました」
同省は対応が可能なすべての美術館と連携し、所蔵作品をサイトにアップして無料で鑑賞できるようにし、『皆さんが外出できなくなったのなら、文化のほうから皆さんを訪ねていきます』という公告も出しています。(中略)現在のイタリアの日常を、各地の若者の五感を通してリアルタイムでお伝えしてみようと思います。3月16日 内田洋子」
日本では毎日の感染者数や政府対応の問題点が大きく取り上げられていた頃。無意識に感染し合ってしまう怖さ、これからの経済的な不安ばかりが募っていました。ところが、イタリアが一番危惧していたのは「人々の心の豊かさが失われること」だったのです。そして、私たちが失いつつあるのも、まさにそれだと気付きました。
イタリアの若者がコロナ禍の気持ちを語るWEB連載がスタート
話は戻って2019年の秋。
「ハルメク」でご紹介した内田さんの著書『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』を読み、私は遅い夏季休暇の行き先をイタリアに決めました。
イタリア語はあいさつ程度しか話せないTHE観光客な私ですが、旅中、幸運にもたくさんのイタリア在住日本人と出会え、共に食事をしたり街を散歩したり、豊かな時間を過ごしました。皆10年以上イタリアで暮らしていて、口々に「イタリア人は明るくて、適当で、面倒くさくて、情に熱くて、いきなりドライで、付き合うと大変なことも多いけど、不思議とラクなのよね。今不況だから生活はけっこう厳しいんだけど!」と、教えてくれました。
彼らは無事だろうか、元気だろうか。今、何を思い、どんな日々を送っているんだろうか。
そんなとき内田さんから、先程のメッセージに加えて、WEBで連載を始めます、と連絡をいただいたのです。それが「デカメロン2020」です。
『デカメロン』とは、イタリアの詩人・作家であるジョヴァンニ・ボッカッチォの古典。中世ヨーロッパで感染症のペストが大流行の中、難を逃れて引きこもった若者たち10人が10日間語り合うという物語です。
「迷ったら、古典に帰る。歴史に教えてもらう、という意識がイタリアには強くある」と内田さん。そこで、イタリア各地の若者たちに声をかけ、今の心の内を聞き始めたのだそうです。登場するのは、赤ん坊の頃から知る子、小学生の頃預かっていた子、ライブハウスで偶然知り合った演奏家……イタリアでの暮らしで内田さんが出会った17歳から29歳の24人の若者たちです。
まさに「現代版デカメロン」。
それぞれに今を生きている若者たちが、突然、有無を言わさない状況で、閉じ込められる。いきなり始まってしまった身動きが取れない日々を、どんな思いで暮らしているか、何に喜び、悩み苦しみ、何を希望に乗り越えようとしてきたのか――。何気ない言葉でつづられたメッセージから、コロナ禍を生きる若者たちの思いがあふれてきます。
コロナ禍、20代イタリア人女性の投稿にハッとして
例えば、シチリア島在住のキアラ(23歳)。
先の見えない自粛生活に、思わず、愚痴っぽいメールを友人に送ってしまうキアラ。やりとりを繰り返すうちに、とうとう友人から「その悲観的な考え方は、あなたのためにならないわよ」と指摘されます。それでも「もし悪いことが起きたら」と不安をぬぐえないキアラに、友人は辛抱強く、楽観的な返事を出し続けます。
「悲観的でも楽観的でも、心持ちに大きく影響を与える友人の存在は大切だ」そうキアラは綴ります。
例えば、トリノ在住のアレッシア(22歳)。
8歳になるボサボサ頭の小さな従弟とのやりとり。
―学校に行けなくてさみしい?
「ちょっとそうで、ちょっとそうじゃない」(と返事しながら、自分でウケ笑いする)
―ときどき悲しい?
「うん。友達とおばあちゃん、おじいちゃんに会えないから」
―ねえ、私のこと好き?
「うん、ものすごく!」
他愛ないやり取りを終えて、
「この子にも早く会って、キスで埋め尽くしたい」とアレッシアは締めくくります。
読んでいくと、イタリアも日本も変わらないんだな、と思いました。
家族を思い、友人と支え合いながら、不安になったり前向きになろうとしたり、思いがけず身近にある美しさに気付いてうれしくなったり。日本に暮らす私たちも、そうやって、一人一人がこの数か月を精いっぱい暮らしてきたのではないでしょうか。
何気ない日々の出来事。でも、あのとき、あの状況の中でしか生まれなかった思いや言葉。それを共有することで、共感できて心強さを感じたり、新たな視点に気付いたり。自分の心にその瞬間の感情を埋もれさせずに、言葉にして残すことの大切さを実感しました。
次の一歩を踏み出すために、今できることは何か?
この連載「デカメロン2020」は、非常事態宣言の緩和を受けて4月末に終了。彼らのメッセージに内田さんが返事をするかたちで、6月末からは新連載「デカメロン2020を待ちながら」が始まりました。
内田さんは、始めにこの連載の趣旨をしたためています。
「24人から届いた20万字の『ラブリーレター』へ、今度は私が返事を書きます。(中略)
悩み、笑い、悲しみながらも希望をつないで書き続けた24人の若者たちは、その後どんな思いをもち、どう過ごしているのか――。来る日も来る日もコロナ禍からの再出発を待っていた若者たち。未来へ続く「小さな声」をつむぐエッセイです」
第一回で内田さんが書いた文章を引用したいと思います。
小さな声が重なり大きな歴史となる
2020年の前半が終わろうとしている。瞬時だったのか、時はうしろで止まったままなのか。朝起きると、昨日よりも大変な1日が待ち構えている。新しい日を迎える楽しみがない毎日が続いた。
「その瞬間を逃さないこと。今日は昨日よりすばらしくて、明日よりはよくない、と考えること。そういうことを学んだの」
いつ来るのかわからない明日を待ちくたびれた頃、アレッシアからメッセージが送られてきた。「デカメロン2020」に書いていた高校生だ。
(中略)
2020年、疫病がやってきた。世の中が同じ理由で、大きな試練に面している。たくさんの消してはならない声がある。
「新連載は、彼らに手を引かれて、一つの事象から追憶や今後のこと、連想に旅する、という形でご案内しています。デカメロン2020の続きのようですが、また別なのです」と、内田さん。
例えば、第4回「心が荒れるのも生きている証拠」。3月末、ロックダウンが続くイタリアで、決まった時間にバルコニーに出て歌っている人々がいる。若者シルヴィアは初め「みんなでそろって大騒ぎすることに何の意味があるわけ?」と憤ります。ですが、改めて考え「退屈や不安、希望を他の人と分かち合い、寄り添いたいからなのだ」と気付くのです。
そんなシルヴィアのメッセージを受けて内田さんがつづるエッセーは、生身のイタリアを映し出し、私たちをより深い場所に連れて行ってくれます。
会いたくても会えない今は寄り添いたいと強く願い、「文句も悪習慣もすべて生きている証拠」とすら思えるけれど、コロナ禍以前はどうだったのか、とシルヴィアに投げかけます。
そして内田さん自身もまた、船上暮らしの経験から「長く近く居すぎると次第に息づかいすら疎ましくなる」ことを思い出すのです。この人間の身勝手さが、なんだか滑稽でもあり、愛おしくもあり。
「子供を育てることは自分の人生の予習復習だ、と思ってきました。誰も愚痴を書かなかった。余白だけを送ってきた人もいました。静かな声の大きさを改めて感じました。24人といっしょに過去へ未来へ、そして現在を旅する気持ちです。若い人たちが、すでにそういう自由をものにしているなんて。大切に記録を残し、次の世代へ敬意を表したくて一生懸命に書いています」と、この連載への思いを語ってくださった内田さん。
日本も、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言がようやく解かれ、もろもろの問題を抱えつつも日常生活を取り戻そうと世の中が動き出しました。私たちはどのようにこれからを生きるべきか、アフターコロナを見据えて、何を見つめるべきか。
若者と内田さんのやりとりには、withコロナ時代という今を軽やかに生きるヒントがあるような気がするのです。
イタリアの若者にメッセージを送ってみよう
実はこのWEB連載「デカメロン2020を待ちながら」では、私たち読者も内田さんとイタリアの若者たちと、交流することができます。
内田洋子さんが、メッセージをイタリア語に訳して伝えてくれます。それに対して、イタリアの若者たちが、時には動画でイタリア語で答えてくれることもあるのだそう! ただ、読むだけでなく、同じ今を生きる私たちも自分なりの言葉とともに、参加できるのです。
シチリア島在住のキアラも、シチリア旅行をしたことがある読者から、今の状況を聞かれて、いろいろなことが変わったけれど「私もやっとバカンスで、これでも十分うれしいです」と笑顔で答えています。
(C)Chiara Lanza/UNO Associates Inc.
方丈社HP「デカメロン2020を待ちながら」より
私にとっては、行ったこともない土地で暮らす、会ったことも話したこともない女性。
でも、この連載を読み、あの時期の思いを共有した今、親しみが生まれているから不思議。
「少し落ち着いてよかったね、まだ大変なことがあるけど、がんばろうね!」
そう思える仲間が、海の向こうのイタリアにもできるなんて。
編集部員はまだメッセージを送れていませんが、東北の田舎で暮らすかわいい甥っ子たちとは今もLINE電話で話す日々。トリノ在住のアレッシアに、あなたは甥っ子には会えた?と聞いてみたいです。
会えたら、よかったね!と喜び、まだだったら、共にがんばろう、と励まし合えるような気がします。
現地に立って、人と触れ合い、話して、食事をして、そういう経験や出会いはしばらくお預けですが、今の時代に必要なのは、距離を超えて心の言葉を共有することなのかもしれません。
内田洋子
うちだ・ようこ 1959年神戸市生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒業。通信社ウーノ・アソシエイツ代表。
2011年『ジーノの家イタリア10景』(文春文庫)で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。著書に『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』『もうひとつのモンテレッジォの物語』(方丈社)、『サルデーニャの蜜蜂』(小学館)などがある。2020年、イタリア三大文学賞の一つで、イタリア版『本屋大賞』ともいえる『第68回露天商賞』の授賞式で、イタリアの書店員連盟より『金の籠賞』を授与された。