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- 『日本語に飢える!』英語に慣れてきた2年目
夫の仕事に伴いニューヨークで海外生活がスタート。さまざまな国籍の人たちとの交流やボランティア活動への参加、その活動を通じて感じた人種差別など異文化体験を回顧します。今回は滞在2年目の頃、日本語禁断症状になってしまったエピソードを語ります。
「子どもの中身がだんだんアメリカ人になっていくのが怖い」
ニューヨーク滞在に少し慣れてきた2年目だったろうか。ニューヨーク日本人学校の中学生相手に日本語を教えるバイトをし始めた。
彼は東京で生まれてすぐにシドニーに渡り、発語も英語で、最初は3歳上のお兄さんの通訳がないと「何を言ってるのか母親でさえ分からなかったのよ」と、母親である友人は笑っていた。小学校低学年の頃に夏休み(アメリカは6月半ばから8月)になると帰国してほんの短期間日本の小学校に通ってはいたけれど、日本の高校へ進学するには日本語力(特に読み書き能力)が不十分だということで、家庭教師をして欲しいと頼まれたのだった。
当時の在ニューヨーク邦人の保護者の方々は、子どもにはせめて日本の高校教育を受けさせたい、できれば大学もと考える傾向にあったようだ。自分の子どもの中身がだんだんアメリカ人になっていくのは怖いわ、と友人は本音を吐いた。
日本語禁断症状
さて、私は、久しぶりに日本の国語の教科書を見たせいか、無性に日本語の本が読みたくなってしまった。『Betty Crocker's Cooking Book』とか『Family Circle』(当時は日本版もあった)とかが身近にあって、毎日がほぼ英語一色でも何も不満はなかったのに、突然の飢餓感のようなものに憑りつかれてしまった。
ニューヨーク近代美術館(MoMA)の分室に日本の文庫本コーナーがあり、貸出していると聞いて出かけて行った。当時は、1ドル=200円ほどで、マンハッタンには日本書籍店があったが、そこでは1ドル=100円換算で、1500円の単行本なら15ドルというわけである。カリフォルニア米10㎏1袋が10ドルだったから、本一冊がどれだけ割高かわかっていただけるだろう。
MoMAの文庫本コーナーには、商社の駐在員の方々が帰国時に寄贈なさったものが多いとかで、ビジネス新書あり、ミステリーあり、文藝春秋あり、司馬遼太郎の全集が揃っていたりと、私にとっては久しぶりの日本語だらけの世界が広がっていた。恥ずかしながら、初めて文藝春秋を最後の1ページまで読破した。10日に一度ほどバスでMoMAに通って昼夜を分かたず思う存分日本語の本を読み耽り、『更級日記』の作者が葛籠いっぱいの源氏物語の写本をもらって読み耽った気持ちもかくや、と思った頃、MoMAの蔵書のほとんどを読み尽してしまっていた。
恩師の著書との遭遇!!!
MoMAの日本語蔵書を読み尽し、私は自分のDNAが安心する母の胎内のような日本語の世界から放り出されてしまった。大げさな、と思われるかもしれないが、しばらくは英語の聴き取りが2年まえに戻ってしまったようだったのだ。いったん甘美な世界に浸ってしまうと、その後にあるのは以前よりきつい日本語禁断症状だった。
そんな頃に、ジェームズ夫人のイェンから、「コロンビア大学の図書館に、日本語蔵書コーナーがあるから一緒に行ってみるか」と誘われた。当時、イェンは大学院で「英語圏外の国の子どもたちがどのようにして英語の語彙を増やしていくか」という研究をしていて、図書館に出入り自由、文献のコピーもできるよ、という誘いに私に否やはなかった。
コロンビア大学は、悪名高きニューヨークハーレムの北側に位置していて、かつてジェームズがあまり乗らない方がいいと教えてくれた地下鉄でしか行けなかった。イェンにそのことを言うと、「私たちの住むブロンクスだって治安の悪さではたいして変わらないわよ」と一蹴された。確かに。。。
石造りの図書館は入口に警備員が立ち、地下鉄の改札口のような格子状の回転ドアが付いていて、私は当日のみ有効の入館証を発行してもらった。ドアを入ると正面には高い天井まで届くかと思われる明かりとりの窓があり、三方はぐるりと二階建ての書庫で囲まれていた。床にはずらりと長机が並んで、その一つずつに照明用スタンドが付いていた。
しばらくは「うわあ」としか言えない、くらいその佇まいに圧倒されていた私の手を引いて、イェンは横手のドアを入って半地下のスペースに連れて行った。もう一度「うわあ」である。
そこには、日本語、韓国語、中国語をはじめ、(おそらく)東南アジア諸言語の本が集められていた。だが、日本語の棚の本は古いものが多く、新しくて三島由紀夫、川端康成、大江健三郎だったように覚えている。
内心、「そうかあ」と思いながら書棚を巡っていたら、見覚えのある、でも今ニューヨークにいる日本人で知っている人はいないだろう名前を見つけた。東 明雅著『つゆ殿ものがたり』である。
私の出身大学のお世話になった国文科の教授が、若き頃に著された本だった。千にひとつ、万にひとつ、いや、百万にひとつさえないくらいの邂逅だと思って魂がふるえた。
「一冊でいいの」と聞くイェンに、これだけでいい! と力強く頷いて借り出してもらった。
見開きでB5版の小ぶりの本で、いわゆる擬古文といわれる文体で書かれていたが、一冊丸ごとコピーしてそれを持っているだけで私の禁断症状は治まったから、人の心は不思議なものである。
次は『流産と健康保険』についてレポートします。
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