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2019年01月10日
車いすジャーニー~ゆっくり歩けば遠くまで行ける~
車いすユーザーとして、ユニバーサルマナーを全国各地で伝える岸田ひろ実さんの、車いすと旅する姿をお伝えします。今回は、ミャンマー編。良いとはいえない環境に加え、「輪廻転生」が根付く国で感じた障害との向き合い方を振り返ります。
きっかけは、偶然でした。
30年以上前から、ハンセン病患者への医療支援活動など、ミャンマーで積極的に活動する日本財団さんからお声がけいただいたのです。
「日本から資金を援助して終わり、にしたくない。ミャンマーの未来を引っ張っていく人材や技術を育成するために、現地の障害者に岸田さんを会わせたい」
そう言っていただけて、断る理由はありませんでした。
しかし、首都・ヤンゴンに向かう飛行機の中で、私は不安でいっぱいでした。ハワイや沖縄などの観光地ではなく、ミャンマーはアジア最貧国です。バリアフリーどころか、交通インフラも劣悪であるのは明らかでした。とても、車いすに乗って容易に外出はできないと思ったからです。
そして、渡航前に、メディカルチェックという壁にも阻まれました。
「病人ではなく、障害者である」という医師の診断がなければ、ミャンマーの国内線に搭乗することができないのです。
それだけ、障害者が飛行機に乗って移動することは稀なことなのでしょう。
出張は5日間。
娘がいるとはいえ、2段以上の段差があれば、二人だけではどうにもなりません。言葉の通じない国で、どうしたらいいか、見当もつきませんでした。
ミャンマーに降り立った時、「大体、50年前くらいの日本に近いです」と、通訳さんが言っていた意味がわかりました。
歩道は石畳で、所々で破損しています。車道はコンクリートですが、ぬかるみや水たまりがあり、車も大渋滞しています。もちろん、点字ブロックやスロープなどはありません。
ビルも、エレベーターがついていないところがほとんどでした。
こんなところで5日間もどうしよう、と困っていたのですが、心配は無用でした。
空港でも、タクシー乗り場でも、バス停でも、レストランでも、段差や坂道があって困っていたら、どこからともなく人が駆け寄ってきて、車いすを持ち上げてくれるのです。
最初は通訳さんや日本財団さんが呼びかけてくれた人たちかと思ったのですが、どうもそうではありませんでした。本当に、通りすがりの人たちだったのです。
しかも、「ありがとう」という意味のビルマ語を、助けてくれた人たちに伝えると、皆びっくりした顔をするのです。
これはどういうことだろう。
不思議に思って、通訳さんに理由を聞くと、こう答えてくれました。
「ミャンマーは敬虔な仏教徒の多い国です。輪廻転生という概念があるので、人助けをするのは自分のためで当たり前、という考えが根付いています。『ありがとう』とお礼を言われることも珍しいのかもしれませんね」
なるほど、と合点がいきました。
人助けをすれば、自分が徳を積むことになる。
そういった宗教的な考えが浸透しているから、どこに行っても、私を助けてくれる人たちばかりなのです。5日間、屋外で、私が車いすを自分でこいだ時間は、なんと5分ほどでした。その間ずっと、誰かがやってきては、ニッコリ笑って、車いすを押してくれるのです。
その一方で、暗い現実もありました。
輪廻転生という概念の中では、障害者というのは前世で悪いことをした罰当たりな人、と考えることもあるそうです。だから、外に出てくる人も少ないし、閉鎖的な村であれば家の中で一生を過ごさなければならないこともあると聞きました。
ミャンマーで、障害者として生きることの、想像を絶する苦しさの片鱗を感じました。
渋滞する車の中に、日本製のバスを見つけました。
塗装はあちこち剥げていましたが、日本語の企業名が書かれていて、古くなったバスをそのまま日本から輸入して使っているようでした。
なんとそれはノンステップバス(車いすのまま乗り込める低床バス)で、びっくりしました。最低限のバリアフリーすらできていないミャンマーで、最もバリアフリーが進んだ乗り物だったからです。
日本で使われていた中古品の多くは、ミャンマーで売られ、再利用されます。古くなったノンステップバスも、同じでした。日本のバリアフリーが進めば進むほど、ミャンマーのバリアフリーも進んでいく。そんなことを確信しました。
ミャンマーには、ハードはあまりないけれど温かいハートが人を助けている。その一方で、日本はハードだけではなく、ハートも変えていかなければなりません。
私は、ミャンマーで自分が何を話すべきなのかを、ゆっくりと確信しました。次回は後編「第9回ハードがない国で考えたハートが足りない国日本」をお届けします。