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2018年11月10日
車いすジャーニー~ゆっくり歩けば遠くまで行ける~
車いすユーザーとして自身の視点や経験を生かし、全国各地で゛ユニバーサルマナー”を伝えている岸田ひろ実さん。 今回は、車いすユーザーになって初めての海外旅行「ハワイ」での、ドキドキと感動を振り返ります。前半・後半に分けてお伝えします。
第4回「退院したら沖縄に!」。車いすで初めての旅へでお話したように、車いすユーザーになってから初めての国内旅行は沖縄でしたが、初めての海外旅行はハワイでした。旅行会社のエイチ・アイ・エスさんから依頼をいただき、「アメリカの先進的バリアフリーとADA法を学ぶハワイ5日間」というスタディツアーのアテンドを務めました。
アメリカでは、1990年から雇用、州・地方自治体の公共サービス、公衆施設において、障害差別を禁止するADA法が施行されました。この法律ができてから、様々な施設・サービスなどのバリアフリーが整備されています。ツアー当時、日本でも2016年から「障害者差別解消法」が施行されることが決まっていたので、先進事例としてアメリカを見学しよう、という趣旨でした。
先進的とは言え、車いすユーザーになったばかりの私にとって、ハワイ旅行は心配でした。当時から20年以上も前、歩いていた頃に一度訪れたことはありますが、その頃はまさか自分が歩けなくなるなんて思ってもいなかったので、バリアフリーの状況は覚えていません。
大きな荷物を持っての移動、入国審査、現地での交通手段、ホテル、言葉の壁……すべてに不安があり、出発まではよく眠れない日々を過ごしました。
まず初めの関門は、パスポートの更新でした。旅券を発行する窓口まで車いすで行けるのか、証明写真は車いすに乗ったまま撮影できるのか、心配はそこからです。しかし、心配性が高じて事前に電話で問い合わせていたため、窓口へ行くと意外とすんなり発行の手続きができました。
東京駅から成田国際空港へも、バリアフリーな動線があってフラットに移動することができ、わかりやすいサイン案内と駅員さんの丁寧なサポートのおかげで、想定していた時間よりもずっと早く移動することができました。国内、海外と、移動が多くなった今でこそ感じることですが、日本の駅・空港におけるバリアフリーのレベルは非常に高いのです。
成田国際空港からホノルル空港(現ダニエル・K・イノウエ国際空港)まで、6時間のフライトでした。何よりも私が恐れていたのが、座りっぱなしによる褥瘡(床ずれ)です。この褥瘡が一度できてしまうと、手術や入院で治療をしなければいけませんでした。
持ってきたフェイスタオルを丸め、お尻の下に敷き、こまめに左右の高さを変えたり、片側のお尻を浮かせたりしていました。そして、一部の国際線の飛行機には車いす対応トイレというものがあることを、私はこの時初めて知りました。機内用の小さな車いすに乗り、お手洗いも無事に済ませることができました。数時間もすると心配はどこへやら、ぐっすり眠ってしまい、起きたら着陸の時間になっていました。今では、国内線も国際線も、飛行機に乗ったらすぐに熟睡するほどまでに安心できるようになりました。
空港に降り立つと、すぐさま空港のスタッフさんが車いすを押しに来てくれました。他にも4、5人の車いすユーザーがいたのですが、1人につき1人のスタッフさんが付き添ってくれるのです。きっと忙しいだろうにと私は申し訳なくって「自分でこぎますよ」と言ったのですが、スタッフさんは「いいんですよ」と言いたげに笑って、結局最後までお世話になってしまいました。
入国審査では、「優先で通してほしい」とお願いすれば先に通してくれるのだと思いますが、私は特別扱いされることなく、他の人と同じ様に並んで待ちました。広い通路があるので、全く邪魔にもなりません。あえて特別扱いされないことと、優しくて気持ち良いスタッフさんの対応。空港で出会ったこの2つの対応が、その後のハワイ旅行で、大きな気づきに繋がることになるのでした。
ようやく空港の建物から外に出ると、爽やかな風と素晴らしい景色が私を待ってくれていました。下半身麻痺で自律神経が失調しやすい私にとって、最適な気候でした。ただ空気を吸っているだけで、元気になれるような気がするのです。
ハワイに来る前の不安は、この風を目いっぱい吸い込むと同時に、すべて無くなってしまいました。
次回は後編。「第7回障害のことを忘れさせる、アロハ・スピリッツ」に続きます。
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