#4 つらく苦しいことは、いつかは翻るもの

金澤泰子|ダウン症の書家・翔子の母が語る親の使命

公開日:2019.09.20

更新日:2023.01.30

金澤泰子さん(74歳)は、ダウン症の娘と二人三脚で「書」の道を歩み、書家・金澤翔子を育て上げました。娘がひとり立ちをした今、「最後の大仕事がある」と言います。

翔子はどこへ行っても幸せなんだ

「翔子が書くような大作には墨汁ですが、自分用には墨をすります」

墨を含んだ筆が半紙に下ろされ、ぐい、ぐいと動いてゆきます。

「やっぱり翔子の字の方がいいね」

自分の書を眺める金澤泰子さん。ダウン症の書家・翔子さんの母であり、自身も柳田流の楷書の特師範の位にあります。楷書は一画一画を明瞭に書くもの。柳田流は楷書を極めた流派で、その書のルーツは唐の時代の書家・欧陽詢(おうようじゅん)の字にさかのぼるといいます。「欧陽詢の字は本当に美しい。線の角度、長さ、すべてが一文字をいかに大きく美しく見せるかの工夫に満ちています」

金澤泰子さん
書に集中する泰子さん

書について語り出すと止まらない泰子さん、書との出合いは小学校4年生のときでした。学校の課題で書いた習字が、県の大きな賞を受賞したことで「私は書で生きていく」と直感的に決心したそうです。学生時代には和歌を詠み能に傾倒するなど多彩な日々を過ごし、本格的に書を学ぼうと柳田流の家元・柳田泰雲(たいうん)についたのは結婚してから。「夫は多忙でしたからね。帰りの遅い彼を毎晩夜叉のように待つのが嫌で(笑)、書道に夢中になれてよかった。暇さえあれば書いてました。法華経、観音経……楽しかった」

書のテーマは漢詩であることが多いのですが、泰子さんはお経を好んで書きます。二千年来、無数の人々のよりどころとなってきたお経は、難解であっても、毎日書くうちに、その意味やありがたみを感じ取れたといいます。

ある日の講演会の様子。まず翔子さんの席上揮毫から。この日書いたのは「共に生きる」

天衣無縫な書で知られる娘の翔子さんも端正な楷書を書きます。その書の基礎は、10歳のときに書き続けさせた般若心経にあると言います。

「当時私は常に、娘をダウン症に産んだことに負い目を感じていましたから、翔子が4年生に上がる際、それまで通っていた小学校から『普通学級ではもう預かれません』と言われたときには、社会から全否定されたように苦しかった。翔子と家に引きこもり、奇跡を待ちわびるような思いで般若心経に取り組みました」

楷書の美しさを追求する泰子さんは、翔子さんの筆の運び一つ一つを厳しく指導しました。276文字の般若心経を10組。半年にわたる母娘の修業の日々でした。やがてほとぼりも冷め、支援学級のある学校へ通い始めた翔子さんを見て泰子さんは愕然とします。

「翔子がダウン症であることに苦しんでいたのは私だけだったと気付いたんです。翔子はどこへ行っても幸せ。そして周りの人が笑顔になることだけを一生懸命に考えて行動する――翔子が泣きながら般若心経を書き続けたのも私を喜ばせたい一心だったんです」

翔子の書を誰よりも認めていた、亡き夫

これまでの地方出張の回数は1000回超。どこも満員御礼。九州出張の翌日に北海道に行くことも

二人のスケジュールは月の半分以上が講演会や取材、席上揮毫(きごう)で埋まっています。この過密スケジュールが始まったのは12年前、翔子さんが20歳のときから。高校を卒業した翔子さんは、障がい者のための作業所へ就職する予定でした。その前に一度でいいから、と開いた書の個展がきっかけでした。...

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