人生100年時代をしなやかに生きる
17年の介護、がん闘病…小山明子さん「今満たされている」と言える理由
夫・大島渚(おおしま・なぎさ)監督を長年にわたり支え、自身も病を乗り越えてきた女優の小山明子さん。コロナうつも経験し、90歳になって「すべてが満たされています」と語ります。その柔らかな笑顔の奥にある、凜とした強さの源とは?
INDEX
小山明子さんのプロフィール
こやま・あきこ 女優。1935(昭和10)年、千葉県生まれ。高校卒業後、服飾の専門学校在学中に雑誌「家庭よみうり」のカバーガールとなり、松竹にスカウトされる。55年、松竹映画でデビュー。60年、映画監督の大島渚と結婚。フリーとなり、映画、ドラマ、舞台で活躍。96年、夫が脳出血で倒れ、介護の日々が始まる(夫は2013年に逝去)。介護に関する講演などでも活躍。
あと3年はがんばって元気に生きるのが目標
「90歳になって初めて、死を意識しました」
そう小山明子さんは穏やかに語ります。
「2025年1月27日に卒寿を迎え、家族や友人が盛大にお祝いしてくれたんです。なんて幸せな90歳だろうと思った後、ふと、これが最後のお祝いかもしれない、と感じました。その瞬間に“あと3年はがんばって元気で生きよう”と目標を立てたんです。息子に言ったら『お母さんは100歳まで生きるよ』と笑われましたけど(笑)」
今は明るく笑う小山さんですが、ここまで歩んできた道は波乱に満ちていました。
「私の少女時代は戦争の真っ只中。空襲や疎開を経験し、終戦の翌年に11歳で母を亡くしました」と小山さん。その後、松竹にスカウトされ映画女優に。「仕事一筋で年間10本くらい撮影していた」と振り返ります。
健康も経済も生きがいも、いっぺんに失った
1960年、映画監督の大島渚さんと結婚。その年、映画『日本の夜と霧』が上映停止になったことで監督の大島さんと松竹が対立。小山さんは大島さんとともに松竹を退社しました。
「幸せいっぱいの新婚生活も束の間、二人とも職がなくなって経済的には大変でした。私はテレビに活動の場を移し、多くのドラマに出演。映画を作るという夫婦の目標に向かって経済を担いました」
そうして30年以上、二人三脚で支え合い、大島さんは『戦場のメリークリスマス』などを制作。二人の息子が結婚し、ようやく「夫婦で旅行でも」と話していた矢先の96年、大島さんが脳出血で倒れました。
「『大島は回復しないかもしれない』『制作発表したばかりの映画を撮れなかったら、莫大なお金がかかって我が家は破産する』『歩くことができず言葉すら失った大島を私が家でちゃんと介護できるのか』……そんな不安と妄想にとりつかれた私は、うつ病と診断されて入院。健康も経済も生きがいも、いっぺんに失ったと思いました」
17年間に及ぶ介護「やりきったと思いました」
女優業を休み、うつ病が完治しないまま介護を続けた小山さん。先の見えない日々を支えたのは、大島さんの存在でした。
「彼は弱音を一切吐かない人でした。不自由な体を受け入れて黙々とリハビリを続け、看護師さんにも私にもいつも『ありがとう』と言ってくれた。それは見事でした」
99年には奇跡ともいえる回復で映画『御法度』を完成させ、周囲を驚かせた大島さん。ところが2002年、今度は十二指腸潰瘍穿孔(せんこう)で緊急手術を受け、長期入院。退院後は寝たきりに近い状態になりました。
「大島が入院中から看護師さんが体を拭いたり、おむつを替えたりする様子を観察し、退院後はヘルパーさんの力も借りて自宅で介護しました。新訳聖書に『神は乗り越えられない試練は与えない』という言葉があります。だから『きっと私はやれる』と解釈して、苦しいとは思いませんでした。
退院した翌年の夏、車いすに乗ってテーブルについた大島に『暑いからおビールでも飲みますか』と聞いたら、『当然』と答えたんです。大島らしい一言に“生きる”という意思を感じて、本当にうれしかったですね」
小山さんは17年間に及ぶ介護の末、大島さんを看取りました。
「やりきったと思いました。あの人が生きようとする限り、私は支える。それだけでした」
80代にたくさん病気をしましたが、私は負けていない

夫を看取った小山さんを待っていたのは、自身の病との闘いでした。82歳で左右の乳房にがんが見つかり、切除手術を受けました。「右の乳がんはスキルス性で進行が早く手術が必要でした。左の方は進行がゆっくりでしたが、どうせならと両方切除することにしたんです」ときっぱり語ります。
その後、大動脈弁膜症、脊柱管狭窄症の手術を立て続けに受け、さらに肺がんが発覚。手術後、しばらくは体調が落ち着いていましたが、89歳で肺がんが再発し、ステージ4と診断されました。年齢的に手術は難しく、小山さんは放射線治療を選択。肺がんは小さくなり、現在は経過観察中です。
「病気になっても私は“もうダメだ”とは思わず、“どうすれば乗り越えられるか”を考えます。80代になってたくさん病気をしましたが、私は病気に負けていないんです」
そう朗らかに話す小山さん。
家族に弱さを見せたら、心が軽くなりました
一方でコロナ禍には再びうつになったと打ち明けます。
「予定していた講演が全部中止になり、収入が途絶えたとき、この先、貯金とわずかな年金でやっていけるのか不安に襲われ、食べられない、眠れない状態になりました。幸い息子夫婦が異変に気付き、お嫁さんが『お困りのことがあったらお手伝いします』と言ってくれて。
思い切って不安をすべて話し、カードや保険を整理してもらいました。『お母さん、大丈夫です』と言われて安心しましたね。今はお金の管理を任せて、お小遣い制なんですよ。人に頼ることは恥ずかしいと思っていたけれど、弱さを見せたら、かえって心が軽くなりました」
現在は、仲間との麻雀、プール、コーラスなど充実した毎日を過ごしています。
「大島が倒れた後、私は健康・経済・生きがいを全部なくしたと思いました。でも90歳の今は全部ある。心は満たされています」
そのまなざしには、90年を生き抜いた人の静かな凜々しさが宿っていました。
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